カエルの向こう側

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 確かにあたしの生まれ故郷は田舎だったからそのせいで卑屈になってしまったのかと言われればそうだとも思うし、そうじゃなくて卑屈なのは親から受け継いだ血のせいだとも言えたけど、本当は卑屈なのは血でも環境でもなんでもなくただあたしが生まれつき卑屈なだけで、それはもうそういう性格なだけとしか言えない残念な話だった。  久しぶりに実家に帰ったのは、こんな感じの雪の降る冬だった。山間の村は相変わらずひっそりとしていて、来るものを拒むかのように往来には雪が降り積もり、人の住んでいる気配はどこにも感じられなかった。  あたしはこの田舎に生まれて、大人になるまで都会に強い憧れを抱いていて、大人になっても都会の色に染まれないことを知って、大人だと思っていた人に裏切られて、また戻ってきたのだ。 「あんたにゃやっぱりここがよう似合うよ。しばらくゆっくりしぃ」  年を取るだけでいつまでもなにも変わらない家族を前に、あたしはこれからのことを考える気力をすっかりなくしてしまった。  ここは完全に取り残されていた。すべての世界から。  雪がパラパラと降っているのを眺めながら、煙草に火をつける。実家で吸う煙草は都会とは違う味がした。だからあたしはもう煙草を美味しいとはきっと思えない。その奪われた分だけ、あいつが憎かった。死ねばいいのに、と心から思った。  やはりあたしは卑屈なのだろうか。すぐに他人の不幸を願ってしまう。それなのに自分の不幸にはやたらと敏感だった。だから刺激を受ければ受けるほどプライドは鋭く尖り、気がつけば枯れた小枝のように醜く折れやすくなっていた。 「いい機会だけぇ今年の正月は神社行くか」  あたしの地元では正月に神社で催事があった。田舎特有、というのだろうか、多分、よそではやっていない。それはこの村だけの秘祭みたいなものだった。聞いた話によると起源は三百年も昔にさかのぼるという。だからあたしはその時点で嘘だと思っている。そんなわけがない。きっとどこかに嘘が混ざっている。人間はそんなに強くはないのだから。  まず神社の境内の真ん中に火を焚いて、その周りを巫女が踊るといういかにもありそうな神事だけど、違うのはここからで、巫女が参加した人に一つ一つカエルの串焼きを手渡していき、それを食べるとこの一年無病息災になると言われている。  そのカエルは夏の間に村の有志が捕獲したものが使われる。いつだったかあたしも無理やり参加させられたことがあった。田んぼの中に入っていき、網で捕まえるのだけど、ここら辺のカエルは食料が豊富なのか、気持ちが悪いほど大きくて、そして醜かった。獲ったカエルは内臓をさばいて、天日に干し、神社の裏の小屋に置いておき、時期が来たらそれを湯がいて、串にさして、炙るのだった。  どんな味だったのか、あたしはもう覚えていない。子供の頃は大人全員が食べていたからあたしも普通に食べていたけど、いつからかその光景が異様に見えて、食べられなくなったのだ。  でも今年は食べてみようと思っている。味なんかどうでもいい。そうやってこの村の人たちはずっと生きてきたのだし、だからこその絆が生まれたんだと思う。  あたしはこれからこの村で生きていく。仕方なく。だから仕方なくカエルを食べるのだ。あのどっぷりと太ってドロドロのあのカエルを。  窓のすぐ近くにも雪が降っているのに、部屋の中はあたたかくて、あたしは文明の利器に感謝はするものの、自然に対しては軽蔑の心を持っていた。いや、自然だけではない。あたしの思った通りに動かないすべてのものに、だ。いったい誰が人生を失敗したというのか。あたしはなにもしてない。失敗も、成功も、過去も、これから先のすべての未来にも。 「灯油、買ってくる」  そう言って年寄りは出ていった。家にはあたしだけが取り残されて、お腹が空いたから何気なく冷蔵庫を開けてみると、そこには昨日の残り物とか梅干しとか牛乳とか納豆とかがぎちぎちに詰め込まれていて、ふと冷凍庫を開けてみたら、そこも同じようにぎちぎちで、でもその奥になにかその場にそぐわない違和感のある袋があったから、あたしはそれを取り出して、開けてみた瞬間悲鳴を上げそうになった。  中にはカエルが入っていた。あの例の、神社でもらうはずの。きっと親はこれを去年もらって、食べずにこうして冷凍しておいたのだろう。いつか食べようと思って。いつか? あたしは、きっと卑屈だ。だからこのカエルはきっともう誰にも食べられることもなく、ひっそりと捨てられるのだろうと思った。  そして卑屈だから、なんとなくそれが許せなくて、あたしは親が帰ってくる前に、カエルを食べてやろうと思った。チンして、塩とか醤油とかマヨネーズとかかけられるものすべてをかけて。  誰がお前らの思い通りになってやるものか。  あたしはその夜、高熱を出して病院に運ばれた。そのおかげで正月は神社に行かなくて済んだけど、あの日からどうにも体調が悪い。カエルの呪いかもしれないし、単に食中毒かもしれない。お祭りの夜、親が袋を持って帰ってきた。特になにも言わずにそのまま冷凍庫にしまうのだろうか。そのとき、いつかのカエルがなくなっていることに果たして気がつくのだろうか。  三が日が終わって、あたしは回復した。久しぶりに外に出た。その足で例の神社に行ってみることにした。遅い初詣だ。  境内は昔となにも変わっておらず、田舎のくせに正月らしい雰囲気と神事の痕跡がそこら辺に転がっていて、あたしは足元から這い上がってくる孤独感に殺されそうになった。  ここはダメだ。どうしても。  お賽銭を入れずに手を合わせる。さっきまで吹いていた風が止んだ気がして、振り返ると雪の上に足跡があった。カエルだ。あたしはその足跡を踏み潰すと、急いで家に戻った。家は相変わらず年寄りの匂いがして、寒々しい空気が漂っていた。  冷凍庫を開ける。先日のカエルを取り出して、あたしはカバンに入れた。 「ごめん、やっぱりここじゃないわ」  そう言って家を飛び出して、都会に向かった。  電車の中、カエルはきっとじわじわと溶けている。今夜はどこに泊まろうか。あいつのところに行ってみてやろうか。そんなあたしの心とは裏腹に雪はどこまでも白く降り積もって、山の向こう側にある故郷を永遠に凍らせていった。汽笛が鳴った。トンネルだ。窓の外が真っ暗になった瞬間、卑屈な予感がした。あたしはどうせまたあそこに帰るのだと。煙草を吸おうと思って、ライターをカチカチとした。火はつかなかった。何回も何回も試したけど、どうしても火はつかなかった。
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