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最後
老いたなぁ……
俺は自分の手の平を見る。最近はこうやって自分の手を見る機会が増えた。硬くてゴツゴツした汚い手だ。生まれて48年。戦場に出て戦い始めたのが12の時だから36年という期間を戦場で過ごした。
ベテランを通り越して老境の域に差し掛かっている。最近では若者から爺さん呼ばわりされることも珍しくない。
この前も戦場で盛大に転けて若者に助け起こされた、なんてこともあったな。
はは。情けないだろ?
でも、これが俺なんだ。
何者にもなれなかった人間の成れの果て。若い時は戦場に夢を見たもんだ。そこで活躍して英雄として成り上がり、どこかの貴族に従士として召し抱えられる。そんな夢を。
そして美味しい物を食べて、綺麗で可愛い嫁を貰って、子を為し、可愛い孫たちに囲まれて死んでいく。そんな夢。
それもこれも遠い昔に見た夢の話しだ。
「よぉ爺さん」
最近。俺の下によく来る若者がやってきた。
「なんだ。また来たのか」
「連れないことを言うなよ。酒を持ってきたんだ。どうだ?」
「……あぁ貰おう」
この若者は、この傭兵団の中でも将来を期待されている人間だ。英雄の素質とでも言うか。人を惹き付ける魅力を持った若者だ。
「どうよ爺さん。美味いか?」
「あぁ。美味い」
「そうか」
そう言ってニッカリと笑う若者。傭兵と言う職業にはあまり似つかわしくない笑顔だ。だがこれがこの若者の魅力を引き立てている。
「それで爺さんよ。今回の戦い。どう見る?」
老いぼれの。それも36年と言う年月を戦場で雑兵をやっていた俺に尋ねるかね……
「まぁ、負けだろうなぁ」
すると若者がまた笑う。
「あっはっは。だよな。このままじゃあ負けだ。そうだ。本来なら負けなんだよ」
何を言っている?
「逆転の目があるとは思えんが?」
しかし若者は言う。
「俺に秘策があるんだ」
そう言って若者が語るのは無謀を通り越したような、策ですらない夢物語だった。俺は怒鳴る。
「無茶だ! お前……クラウドだったか? 英雄と言われて酔ったか!」
しかしクラウドは言った。
「はっは。夢物語を現実にして実現して来たから俺は俺でいられるんだぜ?」
狂ってる。だが、不思議とこの若者ならと思わなくもない自分がいる。
「無理だ、と言いたいが……お前さんならなんだかやり遂げそうだな」
するとクラウドがニヤリと笑った。
「どうだ? 爺さんもこの作戦に加わらねぇか?」
「俺がか?」
「そう。爺さんだ。爺さんが必要だ。俺には分かる! きっとアンタの力が必要な時が来る!」
男の言葉に血が滾るような目眩がした。英雄から。きっとこれから伝説になっていくような男から必要とされている。
ここで応えないで何が男か。
ぐっと奥歯を噛みしめる。最近は自分の手ばかり見てる。今。俺の手には酒が入った盃が握られている。自分の中で何かが動いた気がした。
「いいだろう。その無茶な策。参加しよう。俺の命。貴様に預けてやる!」
「そうこなくちゃな!」
英雄が笑う。男臭いのにどこか子供のような笑み。
きっとこれが。この場面が俺の転換点。
死ぬ間際に見る走馬灯という夢は、きっとこの場面だろうなと思えるような……
※
※
※
戦が始まった。
平地。それも荒れ地と言ってもいいぐらいに乾ききった大地。
風が強く、今にも雨が降りそうだ。砂が舞い、目もまともに開けていられない。きっとこれから降るであろう雨は、俺たちの血を洗い流してくれるだろう。
俺と英雄を含めた100人の隊は現在、別働隊として本体から離れた位置で待機していた。
ちょっとした森で、100人程度が身を隠すにはうってつけの場所だ。戦場から離れているので誰も気を払わないが……
ぶぅぉおおおお。
開戦の狼煙が上がり戦鼓が鳴った。つい昨日までの俺たちは攻城戦を行っていた。敵は籠城していたのだが今日は勝時と判断したのだろう。平地での野戦を選んだようだ。
敵は城塞都市の壁を背後にして、およそ5千の兵士が並んでいる。
対して俺たちは3千に満たない2千8百をわずかに超える程度。
倍近い戦力差。普通なら勝てるはずがない。その上。俺たちの軍は後ろに川を背負っている。
まさに背水の陣。
逃げ道も逃げ場もない。そんな位置取り。だからこそ。生きて帰りたくば戦え。敵兵を突破すれば帰れるぞと言ったのは総大将の貴族様だ。
たかが傭兵の俺たちには貴族様の考えることは分からん。が、ハッキリ言っていい迷惑だ。死出の旅路は独りで行ってもらいたいものだ。
だが、その死出の旅路に我らが英雄クラウドが言ったのだ。
「必ず勝てる策がある。だから戦おう」
その結果がわずか100人での決死隊。無茶苦茶だと思った。だが……
「天候が味方をしている……」
ただでさえ見つかりにくい森の中。それを砂煙が覆い城へと近づく事を許してくれている。そんな俺の呟きを英雄が拾った。
「だろ?」
そう言って、俺の肩に手を置いていった。
「英雄になろうぜ。皆でな。終わったら祝杯だ」
胸が熱くなる。俺の槍を持つ腕に力が滾る。最近ではすっかり癖になった手の平を見る。武者震いで震えていた。こんなに興奮するのは何年ぶりだろう。思わず小さく笑う。
視線を戦場へ向けると戦が始まっていた。
※
※
※
仲間たちが次々に討ち取られていく。そんな様をただただ見守る俺たち。
「まだだ」
この隊の将である英雄クラウドが俺たちを留めている。彼が将でなければ、とっくに飛び出していたかもしれない。早く。早くと気が急く。今にも飛び出したい。俺を戦わせろと俺の中の獣が囁く。
平地を砂埃が舞い、視界はすこぶる悪い。
そこに味方陣営の『後退』の戦鼓が鳴った。
開かれた戦端より後ろへいったん退くようだ。でも後ろは川。仲間たちに撤退の文字はない。河の前でもう一度、陣形を整えたように見えた。
敵の本陣がそれに合わせて前へ。河の前へと押し寄せていく。追撃戦と判断したようだ。
すると英雄が言った。
「行くぞ」
どこへとは聞かない。
俺たちは黙って彼に付いていけばいい。
そうして付いて行った先には開いた城門があった。
「なんで……」
城門が開いているんだ?
英雄がニヤリと笑い教えてくれた。
「昨日。敵の鎧を着せたうちの兵士を敵の怪我人に紛れ込ませたんだよ」
なるほど。既に仕込み済みだったわけだ。
英雄が号令一下。
「突撃!」
将が雄叫びを上げれば俺たちも雄叫びを上げる。そうして城内へとなだれ込んでいく。
英雄クラウドが叫ぶ。
「絶対に城を盗る! 城を盗れば俺たちの勝ちだ! 援軍も来る。本陣もある! 盗ったら死守するぞ! 続けぇ!」
英雄が先陣を切って城内の敵兵を斬り倒していく。城内は大混乱だ。しかし、そこに敵の居残っていた将兵が出てきた。
「我はグランツ・ホル。この城内の守備隊長だ! 貴様がこの隊の指揮官か?」
英雄が頷く。
「俺はクラウドだ。傭兵クラウド」
「ふん。傭兵風情が!」
そう言ってグランツと名乗った守備隊長がクラウドに飛び掛かった。そこからは一騎討ちが始まる。一進一退の攻防。
「凄い……」
グランツと言う守備隊長の剣は剛剣だ。それを綺麗に捌く妙技を魅せるのがクラウド。俺たちはその剣技に魅了されていた。だから気が付かなかった。後ろでコソコソとクロスボウを構えて今にも英雄を討ち取ろうとしている輩がいることに。
俺がそれに気がついたのはたまたまだ。
光が反射して目に入った。それで意識がそっちに向いたのだ。
キリリと今にも射出されそうなクロスボウのボルト矢。俺は英雄に視線を向けて叫んだ。
「クロスボウだ! 狙われているぞ!」
その瞬間。俺は走った。英雄の元へ。
英雄クラウドの意識も一瞬だが確かにクロスボウへと向けられた。その隙きをグランツという守備隊長が見逃すはずがない。このままじゃ英雄が斬られる!
俺は二人の間に滑り込んだ。
その途端。衝撃が襲った。背中と胸に。
剣で斬られボルト矢が胸に刺さったようだ。しかし同時に俺の横をすり抜けるように英雄の剣が守備隊長グランツの胸に刺さっていた。
良かった……
彼は……無事だ。
視界が一瞬だけ暗転した。倒れたようだ。目に映るのは灰色の空。雨が降り始めていた。声を出そうと試みる。
「かふっ」
しかし声が出ない。
口の中に血の味が広がる。
視界に英雄の顔が映った。寂しそうな笑顔で俺を見ている。そして彼が屈み込んだ。一瞬の浮遊感。抱き上げてくれたようだ。
「すまない……爺さん。ありがとう。助かった」
いいさ。気にするな。
その言葉は口に出来なかったが、彼には伝わった気がした。
呼吸が苦しい。
「城は盗ったぞ。援軍も来た。平原の敵は撤退を始めた。俺たちが勝ったんだ」
英雄の腕の中で、俺は勝利の結果を聞いた。悪くない。
「爺さん。いや……アッサレアル村のオーランの息子。ゲラルト。英雄ゲラルトよ。俺はお前を生涯忘れない。ありがとう。友よ」
彼の真っ直ぐな瞳が俺を見つめている。俺への最後の言葉。それに笑顔で応える。
そうか。俺も英雄になれたか。
あり、が……
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