Ⅲ 激流

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「見えたぞ」  ガコの声が聞こえて、ターシャが窓から顔を出す。ナルはそんなターシャを見た。  前方に小さな丘のような街が見える。丘の真ん中を赤い線が真っすぐ伸びていた。 「ドムだ」  わざと勿体つけて言うガコに、誰も笑わなかった。ただ丘を見つめる。  あれが、ドム。いろんな思いが去来したターシャの耳に、陽の声が重なった。 「あれが」  その声は車輪と石がぶつかる音に紛れて、すぐに消えていき、他の誰の耳にも届かなかったようだった。  ターシャは同じことを考えていたから、ちょうど耳に入ったのかもしれない。  それも、本当に聞こえたのか、ターシャは自信がなくなってきた。  あれが、ドム。  父、アウローラが太陽神国の王となる分岐点となった町だ。  あの町の腐敗が先王を麻薬カエルムで殺し、隣国ガザの侵攻を呼び寄せた。アランは王にならざるを得なかった。  そしてドムが腐敗の末に滅亡するのを、すんでのところで救ったのが、当時アランの側で隠密のようなことをしていた蘭だった。  母タミアから前王妃であるラン王妃のことを聞いた後、密かにターシャが調べたことだった。  父と父の側近であるコルニクスは、前王妃である蘭の名前を極力ターシャの前では出さなかったが、それでも国にある記録や、古株の役人や兵士の話を繋げると、大体の事は見えてくる。  そういえば、陽は蘭の息子だ。ドムでのことを蘭から聞いたりしているのだろうか。  陽の顔を見たかったが、彼は真っすぐ前を、丘を見ていたので、その表情はターシャからは見えなかった。  やがてだんだん丘が近づいてくると、赤い線に見えたのは、大きな道であることが分かった。  そして町は、失敗して塗りつぶした絵のように、不揃いな色が塗りこめられていた。 「分かったよ!」  ガコが嬉しそうに走って戻って来た。大人びた様子はすっかり影を潜め、好奇心溢れる年相応の男の子に見える。  大したものだ。この子は自分がまだ子どもであるということを、しっかりと利用している。  同じ年ごろの頃、出来るだけ大人たちと対等になろうとした自分を思い出して、ターシャは苦笑した。  今となっては、それがどれほど子どもじみて見えていたか分かる。ユースティスはそんなターシャを、どんなふうに思っていたのだろう。  不意に苦しくなって、ターシャは無理やりユースティスのことを頭から追い出した。  ガコは浮かれた様子そのままに、ターシャたちにだけ分かるように片目を瞑った。 「最近引っ越したらしいよ。後で行ってみよう」  ドム中央のナナライの家を訪ねたのだが、そこには誰も住んでいなかった。周りの目を気にして、家を間違えたふりをして立ち去ったのだが、当てにしていた場所にいなかったので、ドムの世話役のナナライの居場所なら分かると豪語していたガコは、大いに焦った。  そこで、人が多い場所で聞き込みをしようと、歓楽街ナランダに行ってみたのだ。  ナランダはドム暗黒時代から続く歓楽街で、古くからの店が多い。目まぐるしく代わるドムの状況をものともせず、今日までにぎわってきた。  人の多さと猥雑とした店の様子に、ターシャは面食らったが、陽もナルでさえも、平気なようだった。戸惑うことなく席を探し、ターシャを座らせると、自分たちも席につき、陽などは馬車と歩きで疲れた体をほぐし始めた。  ガコは「適当に頼んでおいて!」と言うと、聞き込みに飛んでいった。  すぐに給仕の女が近づいてきて、注文を訊ねた。その早口にターシャは瞬きをするだけだったが、陽は壁に貼ってあったメニューから選んで告げると、あとはジーニを頼んでいた。 「陽、ドムは初めてなのよね」  ターシャが小声で訊くと、陽は「そうだよ」と不思議そうに言ってから、「ああ」と納得したように相槌を打った。 「村の外には行くしね。酒場はどこも似たようなものだよ」  ターシャの目には、自分が場慣れしているように見えたことが分かったようだ。そしてターシャが気後れし、陽やナルがそうでないことに動揺したことも察したようだった。鈍いのか勘がいいのか、この男はいまいち分からないところがある。  それはともかく、ガコがナナの情報を掴んで戻ってきてから、四人は明朝ナナライの家を探すことにした。ガコによると、ナナライの家はかつて「下流」と呼ばれた貧民街の一角にあるらしい。夜に行くのは危険だった。
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