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「え?どうしちゃったの、凛? 失恋?」
驚きすぎて、昂はガザ王妃の顔、正確には髪を凝視し、戯言が口から漏れた。
昂はガザ王妃凛の甥だが、いつもはきちんと挨拶をするくらいの礼儀は守っている。
今回はそれも忘れて、会った途端、第一声でそんな馬鹿げた言葉が口から出てしまった。
「か、髪は……」
昂が仰天するのも無理はない。
腰まである漆黒の絹のような美しい髪。
それはガザ王妃凛の代名詞のようなものだった。
それが今は少年のように短くなっている。
「似合うでしょ?」
本人はあっけらからんとそう言い、耳の横に流れる髪を触ってみせた。形の良い耳たぶが毛先から覗いている。
似合う。似合っているけれども。
もったいないなぁ、と正直思ってしまう。綺麗な髪だったのに。
「よく、旦那が許したね」
凛のある種の神々しいまでの美しさは、少なからず、王家の求心力の一助となっている。
凛は鼻にしわを寄せて、渋い顔をした。
「あんたまでそんなこと言うの?」
心底うんざりしたように、息を吐く。
「なんで自分の髪を切るのに、炎の許可がいるのよ」
そりゃま、そうだろうけどさ。
自分達の故郷、針森ではそうだろう。髪が切りたくなったからといって、旦那の許可を得なくちゃならないなどと、聞いたことがない。だいたい、そんなことで人に意見は求めない。
だが昂は商師として、ガザや公国を飛び回っているので、各国の事情にも通じてくる。
王妃の容姿は、市井の人々とは意味も価値も違ってくる。
「誰も似合っていると言ってくれない」
ぶつぶつ言っている凛を横目で見ながら、昂は炎王に同情した。政治的な意味はもちろん、炎王は単純に凛の長い髪が好きだと言っているのを聞いたことがある。
きっと凛は誰にも言わずに、バッサリ切ったに違いない。絶句した炎王の顔が目に浮かぶ。
「いいのよ。この方がばれないでしょ」
分かっているのか、いないのか、凛は何でもないようにそう言うと、「それにね」と付け加えた。
「もうガザ王妃のシンボルは必要ないと思うの」
どういう意味だと訊こうとした時、目的の建物が見えてきた。
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