Ⅲ 激流

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 二人は今、ガザ帝国との国境近くの街、アウローラ公国ドムにいた。かつてカエルムに毒された町として有名なこの町は、今や二国間の重要な交易都市となっている。  先のアウローラ大公によるガザ襲撃事件で、二国間が緊張状態であった時も、ドムの町は時世を注視しながらも、交易を止めることはなかった。 「わたし、実は初めて来たのよ」  凛が感慨深そうに、町をキョロキョロ見回した。 「公国からガザに入った時も、急いでいたから通り抜けただけだったのよね」  町といっても、この辺りは貧しい地域で、壁にひびの入った細長い古い家が、身を寄せ合うように密集して建っていた。道は狭く、日当たりがいいとは言えず、昼間なのに薄暗かった。その狭い路地で、子どもたちが石蹴りをして遊んでいた。  昂は凛の先に立って歩くと、その細長い家の一つのドアを叩いた。  しばらくして、ドアがギ、ギギギと音を立て、一人の男が顔を出した。 「こんにちは、ナナ」  昂が礼儀正しく挨拶すると、男も気安く笑顔になった。 「よう。コウじゃないか、久しぶりだな」  そうして、昂の後ろにいる凛に向けられた目が、訝し気に眇められ、その後、驚愕に見開かれた。 「なんで!」  凛が「お久しぶりね、ナナライ」と挨拶を終える前に、凛と昂はナナライに家の中に引っ張り込まれた。 「王妃、なぜ、いや、そもそも……」  ナナライの視線が、王妃の頭と足元を何度も往復している。結局、彼は言葉を形にすることが出来ず、代わりに、大きな息をついた。 「とにかく、奥へどうぞ」  昂はナナライに同情した。  凛は人を驚かせるのが好きだが、これはやりすぎだ。ナナは、ガザ王妃が単独で自分の目の前に現れたことと、そのあまりにショッキングな髪形に、口がきけなくなってしまった。  ナナライはドムの顔役のような位置にいる人物だった。特に重要な役に付いているわけでもないのに、公国の大将の親友で、アウローラ大公にも、ガザ帝国炎王にも、なぜか気に入られており、信用されている。  本人は嫌がっているが、本人の意向は無視され、両国から面倒事を持ち込まれる人物だった。  もちろん、その反対もあり、ドムの為に両国に話を付けに行くのも彼だった。  少し前まで、ドムの中でも中央に位置する場所に住んでいたのだが、もういい加減引退したいと、かつて住んでいた下流の町に最近隠居したのだった。  だが、そのつもりなのは本人だけなので、こうやって、王妃が目の前に現れたりするのである。 「奥」と言っても、この建物の奥行など知れている。一つドアを開けると、低い長方形のテーブルを、五つの座椅子が囲んでいる部屋が現れた。それだけで、ほぼ部屋がいっぱいである。 「狭いところですが」と勿体ぶることもなく、ナナライは「どうぞ」と二人に座椅子を勧めた。それからどこかに消え、すぐにカップに入った水を持ってきた。
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