Ⅲ 激流

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『神殿に行くのかと思った』  ムスッとした顔のまま、指文字で言葉を作るナルを見て、ターシャはクスッと笑ってしまった。  こういう姿を見ると、やはり自分より下の子だと思ってしまう。宿襲撃の時、ナルに男を感じたのは、勘違いだったのかもしれない。  ガコはどこからか馬車を借りてきた。翌朝、まだ日も昇らないうちにたたき起こされ、追い出されるように隠れ家から這い出ると、町の外れまで急がされた。  そこに馬車が用意されていたのだ。  どこにでもいそうな馬一頭に、くたびれた車。おあつらえ向きだ。  オロの伝手だと言っていたが、ガコが夜の間にこれだけのものを用意したのだろうか。  ターシャは改めて、ガコに助けてもらった幸運に感謝した。  陽が御者を引き受けようと言ったので、ターシャは針森の人間が馬を操れるのかと驚いたが、陽は「俺は器用だから、割となんでもできる」と涼しい顔で言った。  そんな風に言っても、陽が言うと嫌味にはならない。まぁ、そうかと思ってしまう。  陽が馬を()り、ガコはその隣に納まった。  結果、ターシャとナルの二人が後ろに乗ることになった。  二人きりになった途端、ナルが文句を言ってきたと言うわけだ。 『大神殿に行ったところで、ユースティスには会えないと思うの』  ターシャは手話で話し始めた。ナルが不信の目で、それをじっと見ている。 『ユースティスはわたしがラウルの館に現れると分かって、姿を消したのよ。わたしに会わない理由があるんだわ。また追いかけて行っても、同じことが起こるだけ。それなら』  彼からの手紙の通り、わたしたち大公家と縁を切りたいだけかもしれない。だが、それにしたって、こんな逃げるような仕打ちには、そうしなければならない理由があるはずだ。 『わたしは別の方向から攻める。本来の目的は、大公が襲撃したという事件の真相を突き止めることよ』  ナルの顔がいよいよ険しくなる。ナルの優先事項は、主人であるユースティスの救出である。  だが、会おうとしない相手を追いかけている時間はない。 『(さん)王女に会おうと思うの』  燦王女はガザ帝国唯一の王女である。ガザ国王夫妻には、燦以外の子どもがいない。  ターシャは六年前、燦王女に会ったことがある。ターシャとユースティスの婚約を祝いに、公国に来てくれたのだ。  二人ともまだ子どもで何の力もなかった。それでも国を憂い、何とか自分が国を背負うにふさわしい者になりたいという意気込みにおいて、二人はお互い近しいものを感じた。  今でも、二人にはたいした力はない。  それでも、だからこそ、ターシャはガザ王や凛王妃ではなく、燦に会うべきだと思った。 『ドムに行って、ナナライに取り次いでもらうわ』 『ドムはマークされていると思う』  すかさずナルはそう返した。  ナナライはガザ王家とも縁が深いが、大公とも懇意である。だから得難い人物なのだが、今大公の行方を探っている公国の人間は、当然大公がナナライのところに現れるのではないかと、警戒しているだろう。そこにターシャが行けば、たちどころに見つかってしまう。 『陽とガコに手伝ってもらうわ』  事件から何か月もたっている。公国軍の人間が、ナナライの所を探したかもしれない。いつまでも、いないところに張り付いているわけにはいかないだろう。 「アランがナナライのところにいるかもしれない」という可能性は、ターシャは低いと思っている。今まで見つかっていないということは、そういうことだ。  もしかしたら、と思っていることがある。  もしかしたら、あの事件は父が騙され、仕掛けられたものではないのかもしれない。  もちろん、大公がガザ帝国を攻撃するはずはない。だが、父は全く何も知らず、罠に落ちたわけではないような気がする。  お父様、あなたは一体…… 『あの事件の真実が分かれば、ユースティスにもつながると思うの』  ユースティスの真意もきっと分かる。  ターシャは初めて、もしユースティスと本当に別れることになれば、ナルとも会えなくなるかもしれないと、思った。  ナルは少し考えた素振りを見せて、結局頷いた。
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