Ⅲ 激流

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「あの男、どう思われますか?」  そう問われて、書類から目を上げた。白い部屋。問いかけた男も白い。もちろん自分自身も。 「あの男、と言いますと?」  そのまま返してみると、男はあからさまに苛立った顔をした。  太陽神に仕えるより、世俗にいざこざの方が好みらしい。神官より、貴族の秘書にでもなった方が良かったのではないだろうか。  だが、こうもすぐに顔に出る性質(たち)では、出世は望めないだろう。言葉の選び方も配慮に欠ける。 「サボン家のユースティス殿です。彼は公女の婚約者でしょう? 信用できるのでしょうか?」  意気揚々と言葉を繰り出す男に、内心ため息を付く。この神官は大神官の側付きに任じられてから、自分の地位が上がったと勘違いしている。  本当に人材不足だな。 「これをデミルに渡してください」  静かにそう言い、机の上にあった白い紙に何事か書付け、二つに折りたたむと、空いたカップと一緒に、不満顔の神官に渡した。  デミルはこの神官の上司だ。これでこの神官が、自分の部屋に入ってくることは、もうないだろう。  これでは神官より、従僕の子どもを付けてもらった方がまだましだ。  デミルにはまた小言を言われるかもしれないが、それより自分の平穏な環境の方が大事だった。  何も知らない神官は、何か大事な書簡でも授けられたように喜色を浮かべ、恭しく頭を下げた。 「かしこまりました、大神官様」  神官が退出し、部屋の扉が閉められると、また部屋全体が真っ白になった。  神聖なる太陽神殿の大神官の部屋。  自分が少年神官の時から、部屋自体はあまり変わらない。磨き上げられた白。  だが、神殿自体の活気は昔と比べようもない。ただの祭事場に成り下がっている。  ……わたしが太陽神殿(ここ)に来た意味をお考え下さい。  彼の言葉に心を動かされなかったと言ったら、嘘になる。  太陽神国から公国となって以来、神殿は政治の中枢から、すっかり切り離されてしまった。  その言葉が持つ意味も、それゆえの危険性も、大神官には痛いほど分かっていた。  今まで希望がなかった。今舞い込んだ希望が、たとえ危険であるとしても、無視を決め込むには、虚しい日々が長すぎたのだ。  大神官は立ち上がり、白い衣の裾を払った。  希望をもたらした客人のところに向かうため、廊下に出る。  大神官が客人の許へ自ら足を運ぶなど、あまりないことだった。  昔の名残で大神殿の廊下は長い。大神官や大巫女、巫女姫の許に、簡単にはいけないように、廊下が入り組んで迷路のようになっているのだ。  だが、大巫女も巫女姫も、今はいない。  死をもって太陽神の花嫁になるという巫女姫の制度を、アウローラ大公が廃止してから、巫女姫はもちろん、それを輩出するための重要な役割であった巫女という存在自体も、だんだんと軽いものになっていった。実際、当時の大巫女が亡くなってから、新たに大巫女を立てることもなかった。  巫女は舞や機織り、神酒の製造など、することは昔とあまり変わらないが、地位は神官よりだいぶ低くみられる。もう巫女は選ばれし者ではなく、熱心な信者の女子が自ら請うてなるものとなった。
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