Ⅲ 激流

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 ふいに目の前に誰かが立っている気がして、大神官は思わず足を止めた。  目を(しばた)かせる。窓から入る光は、長い廊下の白さを明るすぎるほど浮き立たせていた。  目の前には誰もいない。眩しさに目が眩んだだけだ。  あの時も、自分たちを守るように立ちふさがった人は、目を覆いたくなるほど眩しかった。  やっと目的の扉の前に立つと、大神官は遠慮がちに扉を叩いた。 「はい、どうぞ」  その声は思ったより冷静で、大神官は自分が今からぶつけようとしていた言葉の数々が、見当違いに熱いのではないかと危惧した。  ゆっくりと扉を押し開けると、中にいた男は大神官の姿を認め、跪いた。 「これは大神官様自ら、おいで下さるとは」  言葉とは裏腹に、男の声音は熱を帯びていなかった。大神官が一人で誰かの部屋を訪れるなど、あるはずがないことだというのに、男はそれにさえ気づいていないようだった。 「二人で話がしたいと思ったので、参りました」 「はい」  大神官のそんな言葉でさえ、この男の前では価値がないものに思えた。この男は今、何歳だろう。自分より年上だったか。普段は全く気にしない相手の年齢を、気にかけている自分を発見して、大神官はにわかに動揺した。  自分の神殿なのに、男に勧められて、部屋中央にある椅子に腰掛けた。  男は言葉を待っている。大神官は唇を湿らせてから、口を開いた。 「ユースティス殿」  緊張が表に出ないように気を付けたつもりだったが、いつもより少しだけ高い声になってしまった。  自分に向けていたユースティスの目が、更に自分の目の奥を見つめてきた。 「あなたは太陽神様を信仰していらっしゃるのですか」  ユースティスは微笑んだ。その微笑みを見て、大神官は自分が何か間違いを犯したのではないかと、ギクリとした。  ユースティスは微笑みを湛えたまま、滑らかに言葉を紡いだ。 「わたしの言いたかったことを、分かって下さったのですね」  ……わたしが大神殿に来た意味…… 「神殿のこのような状態を、放っておくことは出来ません。かつてこの国がなんという国だったか、もちろんご存知ですね」  もちろん、知っている。大神官がまだ少年神官だった頃。あの、神々しい時代。  太陽神国(たいようしんこく)。  あの頃の神殿がすべて正しかったとは思わない。太陽神の御為(おんため)と称した数々の間違いを正そうと、大公と共に力を尽くしたのは自分だ。  だが、その結果得たのは、名ばかりの抜け殻のような神殿だった。実のない外側だけの入れ物。 「大公の罪を太陽神殿が糾弾するのです」  いつの間にかユースティスは大神官に近づき、耳元で囁いていた。  落ち着いた声が大神官の耳に流れ込んでくる。 「だが……」  大神官はユースティスから少しばかり身を離した。  この男は何年も前から、公女の婚約者だ。 年が離れているにも関わらず、二人の仲は良いと聞く。彼は婚約者をも裏切る気なのだろうか。 「あなたは公女様の婚約者でしょう。公女様をも裏切るおつもりですか」  そう言うと、ユースティスは驚いたような顔をした。 「裏切る?」  それから否定を示すために、首を二度横に振った。 「大公の過ちをこのまま放置しておけば、それは必ず公女様の(あだ)になります。わたしは公女様を助けたい」  そう言ってから、また微笑んだ。 「ですから今、大公を追い落としたいのです」
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