15人が本棚に入れています
本棚に追加
そこは簡素な執務室だった。執務机は重厚であったが、決して華美ではなく、机の前にあるテーブルと寝椅子は、洗練されたものだが、実用の域を出ないものだった。
「久しぶりね、ターシャ」
隼が扉を閉めるのを確認すると、王女らしき人は待ちかねたようにそう言って、ターシャを抱きしめた。
そうされて、ターシャはようやく、この人はやはり燦王女だったのだと、確信を持つことができた。
「王女様もお元気そうで」
燦の腕の中でターシャがそう言うと、燦は笑いながら腕をほどいた。
「六年前と変わっちゃって、驚いたでしょう」
もちろん驚いた。しばらく本当に燦なのか、信じられなかったくらいだ。
だがターシャは首を振った。
「わたしだって変わりましたわ」
公女として公舎に守られていた頃とは全く違う、粗末な服を着た胸を勢いよく張って、そう応えた。
燦の目に一瞬だけ影がよぎったが、すぐにその目は細められ、愛しむような笑顔になった。
「そうね、大人になったわ」
それからターシャの少し後ろに立つナルに目を向けた。
「あなたもね」
燦の言ったことが分かったのだろう。驚いて目を見張ったが、その意味を理解して、目を伏せて後ろに下がった。
ナルが覚えていない六年前の惨事で、燦はその渦中にいた。事の中心であったナルの顔を、燦が忘れるわけはないだろう。成長期を経て、外見が変わったとしても、燦には分かったということだ。
「昂は?」
出し抜けに陽が声を出したので、ターシャも燦も揃って驚いた顔で、陽を振り返った。隼だけが面白そうにニヤニヤしている。
「隼、何ボヤっとしているの、皆さまにお茶をお持ちして」
そう言って、不満顔の隼を部屋から追い出すと、燦は改めて陽の顔を見た。
「あなたが、陽?」
「そうだよ。俺のこと知ってんの?」
「ええ。昂がよく話してくれたわ」
燦はターシャたちに寝椅子に座るよう、促した。
ターシャは言われた通り腰掛けながら、陽の態度に驚いていた。いつも大人びていて冷静な陽が、子どものように不機嫌な態度を隠そうとしない。そもそも、王女とは初対面のはずだが、どうしていきなりこんな失礼な態度なのだろうか。
昂という名前には覚えがある。六年前も燦と共に公国を訪れていた。ナルを探していて、その行方をターシャが教えたことがある。確か金髪で短髪の男だった。
そう言えば、陽がマルゴで昂という兄がいる話をしていた。
やっと昂という人物の話がターシャの中でつながった。陽の兄ということは蘭の息子か。金髪の……
「昂がどこにいるかは知らないわ」
燦の声で、ターシャは我に返った。
「はっ」と陽は笑い声を上げた。
「ついに別れたか」
「別れてはいないわ」
「じゃあ、なんでどこにいるか知らないんだよ」
「彼は行商人で、わたしは蒼碇の長官よ。彼の行動の全ては把握できないわ」
「あいつもいるのに?」
陽は隼が出て行った扉を指さした。
「昂にそんな監視を付けるみたいなこと、したくない」
「どっちかにしろよ!」
陽が声を荒げて、立ち上がった。
「あんたは昂の気持ちの上に胡坐をかいているだけだ。一緒にいられないのなら、突き放せ。優しいふりをして、エサをちらつかせるな」
「そんなんじゃないわ。一緒にいるのは難しいけど、会えば……」
「それで、飼い殺しか!」
陽は吐き捨てるように言った。
その剣幕に、ターシャはただただ陽を見つめることしかできなかった。
陽が息をついて、ターシャに目を向けた時、その目は情けなく歪んでいた。
「ごめん、ターシャ。冷静にここにいられないみたいだ。ちょっと出てるよ。ターシャは自分の話をして」
陽はそう言って、部屋を出て行った。
少ししてナルも立ち上がると、『二人きりの方がいいんじゃない』と手話で示し、陽を追うように出て行ってしまった。
最初のコメントを投稿しよう!