Ⅳ 狂気

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「最初は煙草の一種だと思ったんだよ」  ポツポツと灯りの点く家が目に映る。  油は貴重だ。この村では、よほどのことでもない限り、灯りを灯すくらいなら、眠ってしまう。  だが今夜は、無事帰ってきた夫や父親、息子の為に、少ない油を減らしてでも、その無事を喜びたいのだろう。楽し気な声も時折流れてきた。  譲は後ろを歩く瑠を振り返ることなく、前を向いたまま、しゃべりだした。  瑠は慌てて、譲の横に並んだ。  風は強く、押し殺した譲の声は、とても後ろまでは聞こえなかった。 「あいつだけじゃない。最近は景気も悪くて、あまりいい仕事がなくてな。出稼ぎ(俺たち)に残されているのは、きついやつが多かった」  ボソボソとしゃべる譲の声は、横で聞いても聞き取りにくかった。  俯いて歩く暗い顔は、闇に溶けて見えなかった。瑠には、隣を歩く黒い塊が、普段快活にしゃべる、譲おじさんだとは思えなかった。 「過労や事故で死んじまう奴もいた。身体もギリギリだったが、心が限界だった。何かでごまかさないと、次の日仕事に行けなかった」  男たちは、外での仕事の話を、あまり村ではしない。女たちも敢えて聞かない。だが、それが楽ではない仕事だとは、女たちも分かっている。 「ある時、他の村から来た奴が、疲れた時はこれが効くぞ、と煙草をくれた。次の日、それを吸ったやつは、清々しい顔で仕事場に来ていたよ。疲れが取れて、力がみなぎると言っていた」  話を聞いていて、瑠は「まさか」と思った。 「だけど、そのうちまた暗い顔になり、荒い息を吐いている。次の日は仕事場に姿を現さない。慌ててそいつの寝床を覗くと、布団をかぶってブルブル震えながら、煙草をくれと懇願するんだ」  譲は暗い声で話を続ける。 「俺たちも、そいつが仕事をしないと、村で待つ家族が飢えてしまうのを知っているから、煙草を手に入れてやる。煙草だって言われていたから、危険だとは思わなかった」 「……」  本当に?  瑠は黙って、譲が続きを言うのを待った。  だって、村から出たことがない瑠でさえ、思った。その症状は昔聞いたアレに似ている。  もう、当の昔に禁止され、姿を消したはずのアレ。  譲は止めていた息を吐くように、大きな息を吐いた。 「…違うな。疑っていた。だけど、気が付かない振りをしていた」 「…それで、どうなったの?」 どうして止めてくれなかったのかと、責めたい気持ちを(こら)えて、瑠は話の続きを促した。 「弱っていた奴」の中に巌がいるのだろう。瑠が最初に責めるべきは、弱って楽になるものに負けてしまった巌だ。 「教えてくれた奴も、売っていた奴も、いつのまにか姿を消した。煙草が切れても手に入らなくなると、暴れる奴が出てきた。よその村から来た奴は、煙草欲しさに怪しい仕事を請け負って、そのまま姿を消したって話を耳にして…村に戻ろうと思った」  譲は唇を噛んで、「すまない」と押し殺した声で言った。 「いいえ」  瑠は首を横に振った。譲の判断は最善だった。いつもより戻ってくるのが早いと思ったのは、気のせいではなかった。頭としての譲の判断に、瑠は感謝した。  譲の判断が遅かったら、巌は今頃行方不明になっていたかもしれないのだ。 「話してくれてありがとう。ここでいいわ」  自分の家が見えてきたので、瑠はそう言って譲と別れようとした。  時間はかかるかもしれないが、村でゆっくり静養すれば、巌はそのうち元に戻るだろう。  暮らしは厳しいが、まだ子どもはいないし、ふたりなら何とかやっていける。この機会に子作りに専念してもいい。 「巌の顔を見ていくよ」  そういう譲をやんわり断ろうとしたとき、自分の家の扉が勢いよく開くのが目に入った。
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