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「最初は煙草の一種だと思ったんだよ」
ポツポツと灯りの点く家が目に映る。
油は貴重だ。この村では、よほどのことでもない限り、灯りを灯すくらいなら、眠ってしまう。
だが今夜は、無事帰ってきた夫や父親、息子の為に、少ない油を減らしてでも、その無事を喜びたいのだろう。楽し気な声も時折流れてきた。
譲は後ろを歩く瑠を振り返ることなく、前を向いたまま、しゃべりだした。
瑠は慌てて、譲の横に並んだ。
風は強く、押し殺した譲の声は、とても後ろまでは聞こえなかった。
「あいつだけじゃない。最近は景気も悪くて、あまりいい仕事がなくてな。出稼ぎに残されているのは、きついやつが多かった」
ボソボソとしゃべる譲の声は、横で聞いても聞き取りにくかった。
俯いて歩く暗い顔は、闇に溶けて見えなかった。瑠には、隣を歩く黒い塊が、普段快活にしゃべる、譲おじさんだとは思えなかった。
「過労や事故で死んじまう奴もいた。身体もギリギリだったが、心が限界だった。何かでごまかさないと、次の日仕事に行けなかった」
男たちは、外での仕事の話を、あまり村ではしない。女たちも敢えて聞かない。だが、それが楽ではない仕事だとは、女たちも分かっている。
「ある時、他の村から来た奴が、疲れた時はこれが効くぞ、と煙草をくれた。次の日、それを吸ったやつは、清々しい顔で仕事場に来ていたよ。疲れが取れて、力がみなぎると言っていた」
話を聞いていて、瑠は「まさか」と思った。
「だけど、そのうちまた暗い顔になり、荒い息を吐いている。次の日は仕事場に姿を現さない。慌ててそいつの寝床を覗くと、布団をかぶってブルブル震えながら、煙草をくれと懇願するんだ」
譲は暗い声で話を続ける。
「俺たちも、そいつが仕事をしないと、村で待つ家族が飢えてしまうのを知っているから、煙草を手に入れてやる。煙草だって言われていたから、危険だとは思わなかった」
「……」
本当に?
瑠は黙って、譲が続きを言うのを待った。
だって、村から出たことがない瑠でさえ、思った。その症状は昔聞いたアレに似ている。
もう、当の昔に禁止され、姿を消したはずのアレ。
譲は止めていた息を吐くように、大きな息を吐いた。
「…違うな。疑っていた。だけど、気が付かない振りをしていた」
「…それで、どうなったの?」
どうして止めてくれなかったのかと、責めたい気持ちを堪えて、瑠は話の続きを促した。
「弱っていた奴」の中に巌がいるのだろう。瑠が最初に責めるべきは、弱って楽になるものに負けてしまった巌だ。
「教えてくれた奴も、売っていた奴も、いつのまにか姿を消した。煙草が切れても手に入らなくなると、暴れる奴が出てきた。よその村から来た奴は、煙草欲しさに怪しい仕事を請け負って、そのまま姿を消したって話を耳にして…村に戻ろうと思った」
譲は唇を噛んで、「すまない」と押し殺した声で言った。
「いいえ」
瑠は首を横に振った。譲の判断は最善だった。いつもより戻ってくるのが早いと思ったのは、気のせいではなかった。頭としての譲の判断に、瑠は感謝した。
譲の判断が遅かったら、巌は今頃行方不明になっていたかもしれないのだ。
「話してくれてありがとう。ここでいいわ」
自分の家が見えてきたので、瑠はそう言って譲と別れようとした。
時間はかかるかもしれないが、村でゆっくり静養すれば、巌はそのうち元に戻るだろう。
暮らしは厳しいが、まだ子どもはいないし、ふたりなら何とかやっていける。この機会に子作りに専念してもいい。
「巌の顔を見ていくよ」
そういう譲をやんわり断ろうとしたとき、自分の家の扉が勢いよく開くのが目に入った。
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