Ⅳ 狂気

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「これは明らかに公国の策略ですぞ」  崑の当主(こん)が唾を飛ばしながら、大声で言うのを、炎は顎を撫でながら聞いていた。  崑の隣で(そん)の当主が、眉間にしわを寄せ、宙を睨んでいた。(いん)の当主は人形のように、青白い顔で押し黙っている。  カエルムらしき麻薬の被害が、ガザ帝国内に報告され始めたのは、前回の氏族会議のすぐ後だった。ガザは広大で、辺境や山奥の村の情報が届くのは時間がかかる。カエルムは地方から広がり始めたらしく、氏族会議より前にはもう兆しがあったと考えられた。  それがどうも、公国から入ってきているという情報を持って帰ってきたのが、情報を集めていた隠密たちからの、最大で唯一のものだった。  もっとも、各氏族が情報の出し惜しみをしている可能性はある。かく言う炎も,得た情報を全て出したわけではない。  ただ、公国から入ってきたのは確かなようだった。国内での流通ルートは確認できなかった。逆に、公国から入ってくる流通ルートを押さえることができたのだ。  だがそれは、かつてのカエルムほど高価ではなかった。煙草ほどの値段で、実際煙草と偽って売ったというものもあった。  煙草と変わらぬ価格では、そうと言われれば、疑わないだろう。問題はそうしてまで、ガザで売りさばいた意図だ。  公国で出回っていたのも、その下地づくりか?  何のために? 「自分の国で起こった過去の悪夢を、ガザで起こしてやろうというのだろう」  その悪夢の原因が、自分の国(ガザ)であったことなど忘れたかのように、遜の当主が軽蔑の声を上げた。  カエルムが公国のドムという町を滅茶苦茶にしたことは、ガザでも公国でも、よく知られている。一つの町を滅ぼしかねなかったことを重く受け止め、国王炎はカエルムの全面禁止を強行したのだった。  允という氏族がカエルムに関わっていた以上、それは簡単なことではなかった。炎が即位したばかりの不安定な時期なら尚更だ。  だが、それを押さえつけてまで、カエルムを葬る必要があった…… 「……ガザを潰そうというのか」  炎の呟きに、遜の当主が重々しく応えた。 「ではやはり公国の陰謀ですな」  遜にとって、公国は大事な取引先だ。それなのに、まるでけしかけるように言う遜の当主を、炎はじっと見た。  公国からのルートがあるなら、公国がまるで無関係ということはあるまい。だが、これは遜が言うような単純な事件とは思えない。  誰がどこまで関わっているのか。先の師団への攻撃事件とは、関係があるのか。  しかしそれが分かるまで、公国を放っておくことはできない。  ルートを潰さなくてはならないし、不利益を被ったなら、報復しなくてはならない。そうせねば、国民が納得しないからだ。矛先は、容易に王宮に向く。 「調査団を公国へ送ろう。同時に国境を封鎖。国境に一個師団を派遣し、国境警備隊と共に、厳戒態勢をとれ」  炎は氏族長たちにも聞こえるように、声を張り、隣にいた国軍大将の(かい)に命じた。 「はっ」  櫂がすぐに部屋を出ようとすると、崑の当主の太い声が引き止めた。 「お待ちください」 王の命令の邪魔をするとは……櫂は険しい顔で足を止めた。だが、崑の当主の言を無視するわけにはいかない。 「なんでしょう」 「どちらの国境でしょうか。我が国と公国との国境は、黄神山脈を除けば、二か所ありますが」  確かにガザと公国を行き来できる場所は、二つある。それが、ドム近くの国境と針森である。  櫂は、原因がカエルムということもあり、ドムへ続く国境だと思った。それに誰が言ったわけではないが、針森は不可侵であることが暗黙の了解だった。公表はされていないが、針森は王妃凛の故郷だからだ。 「状況を考えれば、どちらも封鎖することをお勧めしますが」  崑の当主の言に、櫂はギクリとしたが、炎はあっさり頷いた。 「そうだな、そうしよう」
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