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「おい、練はいるか」
允の館に戻って来るなり、允の当主は神経質な甲高い声で、侍従を呼んだ。
「はい、ここに」
すっと影のように、当主の侍従である練が姿を現した。跪きこそしないが、深く頭を垂れたまま、主人の許に参じた。
「カエルムが公国から我が国に入ってきたそうだ」
当主は興奮した声音を隠し切れずに、上ずった声で、垂れた侍従の頭に向かって言った。
「左様でございますか」
練は感情の分からぬ声で、顔を上げないままそう応じる。
「うちの…は大丈夫だろうな」
当主が声を潜めて練に耳打ちすると、練は頷いた。
「もちろんです。数に異常はありません」
当主の肩から、あきらかにホッと力が抜けた。
「そうか、ならいい」
そう言って、下がるように手を振った。
練がそのまま下がろうとすると、当主は「待て」と手で制した。
「アレはどうしている」
当主が「アレ」と言うのは、彼の不肖の息子である。氏族長の自覚もない、到底、当主を譲ることなどできないと、当主は常日頃から周りに言っていた。
それでも、允の当主になれるのは、一人息子である「アレ」だけだ。どうあっても強くしなければならない。
允の一族に関わる全ての者に、彼の息子を監視し報告するように、当主は命じていた。
当主の世話をする練には、特に息子の側にも付き、一挙手一投足すべてを報告するように言っていた。
「翠様は」
練は下を向いたまま答えた。
「少し、風邪を召されていらっしゃるようで」
当主は、「ちっ」と舌を鳴らした。
「駄目だな、あいつは」
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