つくね

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つくね

 桜通りと名づけられた、駅前から続く道。通りの左右にはドラッグストアや回転寿司、カフェやスイーツなどのチェーン店の他に老舗のそば屋、やきとり屋、保育園、高等学校、スポーツセンター、地域に根ざした調味料工場などが点在していた。そう名乗れる程度には桜が街路樹として植えられている。  一口に桜といってもこの国には原生種から変種自生種、栽培品種を含めると二百以上ある。日本では盛んに品種が作られており、その辺に(うわ)っているものはほぼ人の手によって創り出されたものなのだ。  これは日本に限ったことではなく、どこの国でもこうした品種改良によって生み出された花はたくさんある。花に対する人類の並々ならぬ情熱。鬼気迫る執念の積み重ねが、我々の目と心を楽しませてくれ、愛でることができるのだ……。  と、私はそれほど思い入れのないことを延々と熱っぽく飲み友の喜美(よしみ)に対して講釈を垂れ流していたのだが、やはり本人の興味を惹くことはなかったようだ。 「桜もバラも、花なんてみんな同じようなもんでしょうよ。そもそも、なんで雨の日曜に飲みなのよ?」  食べ終えたやきとりの串を私に向けて、突き刺すように喜美はいい放つ。私が先端恐怖症なのを知りつつ、だ。 「前から決めてた日だし。それに雨だから外じゃ飲めないでしょ」 「ああもう、花は見れないし、やきとりはいつも通りだし。裕子(ゆうこ)、どっからでもいいから男の子呼び出してよ」 「私はどこぞのくしゃみで呼ばれる大魔王じゃないっての。ウチの息子なら連れて来てもいいけど、話しは通じないだろうし……それ以外の男の子なんて知らんわ。っていうか、喜美。あんたもそういう歳じゃないんだし、いい加減にしときなよ。ほら、私の分のつくね、あげるから機嫌直して」 「誰にも読まれない小説書いてるあんたに、歳のことはいわれたくないなぁ。賞のひとつでも取ってから偉そうなことをいいなさいよ。(かす)りもせずに散って行ったお話しに申し訳ないと思ってんなら、朽ち果て腐敗した作品を弔う意味も込めて明日からペンネームを『死屍(しし)累々子(るいるいこ)」に改めた方がいいんじゃない?」  いちいちごもっとも。いい返す言葉は思いつかず、まさにぐうの音も出ない。  私の差し出したつくねに、仏頂面だった喜美はにわかに締まりのない笑顔に変わった。そしてつくねにたまごの黄身をとっぷり(ひた)すように(まと)わせ、吸い込むように頬張(ほおば)る。 「ん〜ん! むふふふ!」  喜美が大袈裟(おおげさ)に笑い出す。その気持ちはわかる。  ここのつくねは荒く包丁で叩いた鶏の胸肉を使っているのであっさりした味だが、鶏モモとはまた違った肉の感触を味わえる。刻んだ軟骨を混ぜるという姑息(こそく)なことはしていない。タレでも塩でも、そのどちらも食感を引き立ててくれる。  だが、タレが絶品なのだ。他のやきとり用の使い回しではなく、つくねによる、つくねのための、つくね専用に調整された醤油(しょうゆ)ベースのタレなのである。  しかし。  この時点では、つくねとしてはまだ未完成。  そう。  つくね(タレ)に添えられた『たまご』の卵黄。  強めに入ったタレの甘さを柔らかく包み込み、醤油の刺激的な塩味と融合されることで、ややもすれば淡白ともいえる胸肉に独特な味の深みを与えるのだ。『たまご』の黄身は各要素がバラバラだったつくね(タレ)に至上の調和を生み出し、そのどれもが慎ましやかな主張で口の中全体を至福の味わいで(みた)してくれる。もし仮に(あってはならないことだが)黄身を欠くことになれば、そのつくねは平凡なつくね(タレ)のままでその短い人生……もとい、つくね生を終えてしまうであろう。『たまご』の黄身は、つくね(タレ)の生に()いて、光り輝く黄金時代を築くために欠くことのできない重大な責務を負った存在なのである。  しかも、この『たまご』。店主がこだわって全国の産地を回り生産者を選別し、試行錯誤の上でつくね(タレ)に合う『たまご』の最適解を見出した……そういった逸話(いつわ)は一切ない。近所の農家さんが片手間で飼っている、平凡な餌で育った白色レグホンから生み出された『たまご』を仕入れたものだ。新鮮であるのは間違いない。だが、生まれも育ちも平々凡々、なのにこの神秘的なほど色とりどりに豊かな旨味の数々、黄金色の深淵でゆったりと渦巻く泰然とした滋味(じみ)。幸いなことに鳥インフルエンザの被害もなく、このやきとり屋に供給され続けている。 「いつ食べても、ここのつくねは美味(うま)いよねぇ」  喜美はホッピーを(あお)ったあと、ふっと息を吐くようにいった。  まさに黄金律を体現しているであろうこのつくね(タレ)は、誰もが享受していてもおかしくないはずだが、なぜか人気の一品ではない。店主お任せの盛り合わせという、至高の選抜メンバーには入っていないことも、認知度の低さにつながっているのだろう、と私は常々感じているが、広く知れ渡ることがないよう切に願っている。そう、ライバルは少ない方がいい。品切れなどもっての外だ。  もちろん『たまごかけごはん』もメニューに入っており、これはこれで間違いない組み合わせだ。が、メニューからそれを注文するのは私からいわせれば素人である。つくねから()み出た鶏の味、タレ、黄身。これらを最後まで味わい尽くすには小ライス一択。異論は認めない。  とか、そんなことを考えていると、私の目の前でとんでもない光景が繰り広げられようとしていた。
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