第2話 令和飛鳥山合戦ゲバゲバ 桜花の巻①

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2. 「だから、ちゃんと謝っているじゃないか」  スーツ姿の大の大人が、目の前のソファに座った華奢な女子高生に平謝りしている。  女子高生の目前にある長机には、淹れたての玉露が置かれてあり、その横には購買で売られていた苺大福があった。まだ未開封である。  側からみると親子喧嘩に見えなくも無い光景に、周りの面々は笑いを抑えられずにいた。  日野出学園高等部北校舎一階。日当たりの良くない校舎の中でも、1階の廊下は昼でも薄暗い。そんな1階廊下の隅に歴史研究同好会は部室を構えていた。  部室の中には、現在5人の人間がいる。  顧問を務める日野出学園高等部1年4組担任大杉正義(おおすぎまさよし)、1年4組森本夕(もりもとゆう)、同じく4組の木下隼人(きのしたはやと)、3組の松本泰司(まつもとたいじ)、3年生の新聞部と兼部している藤野昌孝(ふじのまさたか)の計5名である。  この場を支配しているのは、最も新参者である森本夕であった。  木下も松本も、藤野でさえも、この学園には中等部から通っている持ち上がりである。大杉に至っては10年もの間学園に勤務している。夕を除けば、中等部時代から面識のある連中ばかりだ。  なぜ森本夕が怒っているのかというと、昨日の夕刻にまで遡る。  森本夕は、変わり者であっても生徒に親身に寄り添うように見えた大杉教諭を信じて、歴史研究同好会の入会届に署名した。しかしその直後に発覚したのは、大杉のスマホによる舟券購入だった。  しかも外れた。  勤務中にスマホで舟券を購入した不良教師に、夕は遂にキレたわけである。  彼女は先程からツーンと顔を横にむけている。一切喋らない。 「森本さん、大杉先生の競艇好きにも理由があるんだよ」  藤野が両人の様子を見かねて助け舟を出した。 「俺が高等部に入る前、大杉先生が三年生を担当していたんだけど、その中に高田凛っていう人がいてさ。スポーツ万能だったんだけど歴研に在籍していて、競艇の道に進んでいったんだよ。今は江戸川競艇がある東京支部に所属してる。その人のことを、大杉先生はいつも応援していたんだ。俺たちが入ってきた時も「高田君の試合見に行くぞ!!」って夏休みに歴研会員総出で江戸川に応援いったりしてさ。そんな感じで、一応生徒の気持ちを考えてないわけじゃなかったんだよ」 「では先輩にお聞きします。大杉先生が負けたレースに、その高田先輩は出ていらしたんですか?」  大杉に顔を向けないまま、夕は訊ねた。  藤野たちは大杉を見た。大杉は力なく顔を横に振る。 「ではただの職務怠慢です。校長…いえ、理事長先生にご報告します」  室内がざわつく。私立日野出学園に於いて、生徒がなし得るこれ以上の脅しはない。  可愛い女の子だと思って甘く見ていたらまずいと男共は襟を正した。 「夕君。ホンダ自動車の新入社員が、いきなり本田宗一郎社長にお会いできると思っているのかい。無理だよ。理事長先生にお会いするのだってそうだ。大企業の会長でもあるんだぞ」  現行犯がバレた被告人の分際で、強気な教師である。 「理事長先生は、何かあったらいつでもきなさい。理事長室のドアは開けたままにしている。と、入学式の際おっしゃっていました」 「あのオヤジ、そういう点は田中角栄の猿真似してるんだよな」 「あ、そのお言葉も追加で」  大杉は土下座した。 「頼みますからご内密に……。ただでさえ競艇場に生徒を動員したと高等部のお偉方から睨まれているんです」  普段の大杉教諭からは想像できない醜態に、ついに藤野は笑い転げた。 「先輩も笑っている場合じゃありません。先生の行為をなぜ止めないんですか」  藤野は笑いが一瞬で引っ込んで、大杉の隣に瞬間移動したかと思うと土下座の体制に入った。  松本が援護に入る。 「まあまあ、森本さん。ここいらで許してくれないかな。大杉先生にはキツく言っておくから。俺たち会員の監督不行き届きだよ」  夕は机をダン! と握り拳で叩いた。大杉が淹れた、一切口をつけていない玉露の茶碗が揺れて、中身が木の皿に少し溢れる。高いお茶なのになぁ。要らないなら飲ませてくれないかな。と、木下はもったいなく思った。 「生徒が教師に対して監督不行き届きとは何ですか!!そんな人に教わるなんて嫌です。私、この同好会やめます!!」  夕は机の苺大福を掴み、席を立った。 「わわわ、ちょっと待ってくれ」  大杉教諭が退出しようとする夕を止めに行こうとした途端、戸が開いた。 「!」  森本夕は目の前にいた少女の美貌にドキリとして、一瞬固まった。 「あ、堺彩香」  木下が思わずつぶやいた。夕はその名前に聞き覚えがある。学園のスターではないか。 「…どうも」  夕は軽く会釈して、出て行こうとした。すると、彩香の後ろからひょっこりと由衣が顔を出していた。 「あ、松下さん」 「夕ちゃん、ごきげんよう」  彩香は2人の様子を見遣って、 「あら、お友達なのね」 「はい。クラスメートで、一昨日の新歓ライブの日直係を代わってもらったんです」  この言葉を聞いた瞬間、彩香の目が鋭くなる。由衣も思わず口を手で覆う。失言である。 「なんですって。おバカ!ライブなんか後回しでいいのよ。お勤めはちゃんと果たしなさい!」  由衣は縮こまって、小さい声で「ごめんなさい」と呟くように言った。  夕はいきなりの教育的指導に驚いて、慌てて手に持っていた苺大福を掲げた。 「わ、私は大丈夫です!お礼に苺大福いただきましたし。大好きなんです」  これがフォローどころか逆効果になった。 「また貴女は! ライブのために余計な金は使うなっていつも言ってるでしょう!あたしなんか素人に毛が生えたようなもんなのよ。そんな奴のライブを見るために苺大福で買収なんて、愚かしい!」  買収された側の夕まで背筋が伸びそうになった。 「私のライブは究極のエンタメよ。ナルシストだって言われても構いやしない。目立ちたがりやナルシストさが無いやつはステージになんか立ちゃしません。でもね、エンタメは余暇に楽しむからこそ尊いの。やるべき仕事をサボって来られても、私は嬉しくないからね。そんなのはロックでもパンクでもない。ただのサボタージュ。それが許されるのは人生の重大事が迫った時だけよ。私の、しかも新歓ライブなんかにそんな価値はないわ」  夕は驚いた。ロックの人だと聞いていたから、もっと不良っぽく、「日直の仕事なんか放っておいてとっとと私のライブを見に来い」なんて事を言うようなキャラなのかと思っていたら、バカみたいに真面目ではないか。 「えらい!!さすが堺君だ。それでこそ我が校のスターといえるよ」  大杉が泣きながら拍手を送っている。この不良教師はひとまず堺彩香の爪の垢を煎じて飲むべきである、と夕は心の中で突っ込んだ。 「ただでさえ不良扱いされますからね。真面目にやるべきところは真面目にやらないと、イメージが悪くなります。アンチが増えちゃうと、結局ファンの子たちが悲しんじゃうわ」  加えてファン思いだ。夕は一曲もこの先輩の音楽を聴いてないし、ライブを見ていないが、ファンになりそうだった。 「あの、夕ちゃん。苺大福、早く食べないとダメになっちゃうよ。消費期限は今夜じゃなかったっけ」 「そうね。あげちゃったものは仕方ないから、ありがたく頂いちゃいなさい」  彩香はそう言うと、部室に入っていった。 「大杉先生、座ってよろしいですか?」  先程まで夕が座っていた場所だ。夕は今になって溢れた玉露の茶碗を思い出す。こんな厳格な先輩が見たらまた怒るかもしれない。夕はすぐに机の玉露を持ち上げようとしたら、大杉がそれを先に手に取った。 「いいよ、僕が洗う」  生徒のご機嫌取りに必死である。 「いいです。先生はとっとと先輩とのお話を始めて下さい」 「できれば、火急のことでして」  彩香の声のトーンが下がる。夕の先ほどの怒りなど吹っ飛ぶくらいの凄みである。大杉は茶碗を離すと、すぐに机の問い面に座り、「まあ、座んなさい」と2人にソファを勧めた。  夕は流しの水を少なめに出しながら、玉露を洗い流そうとした。 「もらい」  木下が捨てそうな玉露を引ったくると、そのままグイッと飲み干した。 「冷めてるでしょ」 「玉露はぬるめが美味しいんだそうだよ」 「そうなの?」 「知らない。聴いただけ」  夕はなんだそりゃと呆れて苦笑いするしかない。  こんな和気藹々な流し台の方へ、大杉教諭は声を上げた。  「君たち!静かに」  大杉はそういうと、彩香と由衣の2人に目を向けた。 「ライブ直後の汗だく状態で、こんな気温も低くて薄暗いところに風邪をひくリスクを負ってまで遥々来たのにはワケがあります」 「酷い言い方だね」 「先生にしか相談できない事があるのです」  彩香は隣に座る由衣に何か促した。由衣はブレザーの内ポケットからスマホを取り出し、ロックを解除して通話履歴画面を見せた。 「これは…!!」  大杉は思わず身を乗り出した。今まで夕に平謝りしていた男とは違う、生徒を守るべき教師の目になっていた。  思わず隣にいた松本も画面を見てみたくなり、覗いてみた。 「同じ電話番号で何十回も…由衣ちゃん、ストーカーされてんの?」  由衣はフルフルと首を横に振った。 「いいえ違うわ。どっちかって言うとストーカーはこの子の方よ。私目当てで入学してきてるんだし」  彩香はふんぞり返って宣った。 「俺も憧れて入ってるんですが」  松本は自分を自信なさげに指差す。彼も中等部時代から彩香のギタープレイに憧れて日野出学園軽音部に入り、ロックを始めた口である。 「あんたも由衣も迷惑電話はかけてこないだけマシよ。酷いやつは家まで来るからね。おかげでカバンの中には常に特殊警棒を忍ばせるようになっちゃった」 「ストーカーじゃないなら何だ。一体どこからの電話だ」  大杉は口調を厳しくあらためている。夕は気になって退室するタイミングを逸しているが、無自覚である。 「由衣が言いにくいなら、私が言います。架空請求業者からですよ」  その場にいた全員が固まった。思っているより遥かに恐ろしい相手だった。 「匿名掲示板で、私のアンチスレがあると知ったそうです。そんなもの気にしてないんですが、この子は真剣で。探しているうちに、18歳未満入室禁止な場所にまで入り込んでしまったようです」 「もともとエロい広告が沢山出てきてましたから、気持ち悪いと思っていたんですが、いつの間にか裸の女の人しかいないような場所にまできちゃって、そしたら架空請求メールが来たんです」  大杉はその言葉をメモに書き留めながら聞いて行く。 「それで?電話まで来たって言うのか?」  由衣は俯く。彩香はその様子を見て助け舟を出した。 「それがこの子、メールの番号に電話しちゃったんですよ」 「架空請求業者に? このスマホでか!!」  ヒエっ…と松本や藤野が声にならない悲鳴をあげる。  森本夕も蒼白になる。そのような事をすると向こうの思う壺である。 「当然、非通知でかけはしなかったんだな」 「はい……。そんな設定があることも知りませんでした」  その結果が、通知の山である。何としてもこの鴨から金をむしり取る。そういう了見がヒシヒシと感じ取れた。 「それで来たんです。先生、私はこのまま泣き寝入りするのは嫌です。できれば何とかして、この腐れ外道を懲らしめたいんですよ」  彩香の発言に、一番驚いたのは由衣だった。 「お、お姉さま!そんなことできるわけないじゃないですか!」 「じゃあこのまま電話番号変えるかどうかするっての? なんで罪のない人間が、真っ黒くろすけの悪党に泣かされなきゃいけないのよ。理不尽じゃないの。しかも由衣は私の大事なファンなのよ。先生。私は、少なくともこの学園で私のファンを公言してる人を苦しめる奴を決して許しませんよ」  彩香の眼光に、大杉すら身構えた。この堺彩香と言う女は、夕が思っているよりもチャラチャラした人間ではなく、むしろバカみたいに真面目にファンの身を守ろうとしている。  それが行きすぎた正義感の暴走すら生み出している。ファンのためなら、人を殺さなくても半殺しにはしてしまいそうな勢いがある。  そんな中、机に置かれていた結衣のスマホに着信が入った。  件の架空請求業者からの番号であった。                   つづく
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