7.嘘

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7.嘘

「花火大会に行ってたのか」 「……うん」  事実を訊ねられただけなのに、なんだか責められているように感じる。  おまえは叔父や家族の生活をめちゃくちゃにした。楽しむ権利なんてないはずだ、と。 「父さんは……?」 「明日おばあちゃんの施設に行くから、頼まれていたものを取りに。すばるにも連絡したと言っていたが」 「え、あ、ごめん」   慌てて巾着を探り、スマホを取り出す。父の言葉通り、荷物を取りに行くよう頼んだ旨のメッセージが来ていた。 「今見た。ごめん。人がいっぱいいて、電波がつながらなかったから……」 「この子は?」  すばるの釈明にいいとも悪いとも言わず、父が訊ねる。  こんな田舎で、父の世代ともなれば、ヤンキー金髪とおしゃれ金髪の区別などつくはずもない。  いかにも胡散臭いものを見るような目をしているのが腹立たしくて、語気は強くなった。 「クラスメイトの、辻。今日、泊る約束してるから」  そう口にした瞬間、父親のまとう空気が険しくなった。 「泊る?」  呻くような声音で言って、すばるの腕を引っ掴む。汗ばんで湿った肌に食い込むほどの力だった。玄関に向かってどんどん引っ張られる。 「痛っ……! 父さん? 辻が」 「いいから来なさい」  父の横顔は険しかった。 「おばあちゃんが心配ないっていうから一人で住まわせてたのに、人を引っ張り込むなんて、まったくいかがわしいことばっかり――」  どうして急に乱暴な真似を、という疑問がその一言で解決した。しないほうが良かった。  つまり父は、自分と辻の性的な関係を疑っているのだ。 『おまえが誘惑したんじゃない、よな?』  全身がかっと怒りで熱を持った。  そして急速に冷えてく。  ――必死で勉強して、進学校に合格した。ただ家を出たいというのは許されないような気がしたから。高校に受かってからも、油断せず、ずっと上位をキープした。  自分の存在が両親にとって不快なら、せめて距離を取る。それが唯一自分に出来ることだったから。  それでも、両親の中では自分に対する認識はなにも変わっていなかった。  ――〈アルファを誘惑する、淫らなオメガ〉  おれは叔父さんの居場所を奪った。両親からも〈なんの問題もない普通の家族〉という幸せを、奪った。  おれがいくらこれから誰も愛さないと決めても、それは変わらないんだ。  ずっと――  あらためて突きつけられた絶望に、手足が震える。  父が引き戸を開けた。力任せに押し込まれそうになる。 「い……っ」  すばるが思わず声を上げたとき、父との間に立ちふさがったのは、流星だった。 「痛がってますけど」 「なに?」  上背のある流星が立ち塞がると、さすがの父の興奮も一瞬醒めたようだった。しかし、すぐにまた険しい表情になる。 「この子には特別な事情があるんだ。悪いけど、なにも知らない人間が首を突っ込まないでくれないか」 「こいつがストレイシープだってことなら、俺、知ってますけど」 「……!」  父は流星でなく、すばるをきつく睨みつけた。痛みを感じるほどの鋭い眼差しだった。   やっぱり、父はまだ自分を赦していないのだと、痛いほど伝わってくるほどに。 「俺が無理矢理聞き出したんです。叔父さんのことも」 「すばる、おまえは――」  父親が腕を振り上げて、すばるはぎゅっと目を瞑る。  痛みは、いつまでも襲ってこなかった。    自分と父の間に流星が割り込んで、父の平手は流星の横っ面を張っていたからだ。  よその子供に手を上げてしまったことに、さすがに顔色を変える父に反し、流星の声は低く感情を押し殺したものだった。 「……オメガに生まれついたのも、突然発情したのも、なにひとつすばるのせいじゃねーだろ」  抑えた声なのに、心臓を貫かれたような気がした。  痛い。  どうして流星はいつも、おれが一番欲しかった言葉をくれるんだろう。    今まで、他の誰もくれなかった言葉を。  口の中を切ったのか、流星は口元を抑えながら言った。 「てか、高校生の息子が同年代の男と一緒にいたら、友だちだって思うのが普通じゃねえの」  流星の大きな背中が、まるで敵から守るようにすばるを隠す。 「いかがわしいのは、あんたの頭の中じゃねーの!」    流星がそんな言葉を投げつけると、辺りはしんと静まり返った。  先程まで、流星が苦笑するほどの蛙の声や虫の声が聞こえていたのに、こんなときに限って。  ぴくりとでも動いたら、なにかが大きく崩れてしまう。そんな気がして、すばるも何も言えなかった。  緊張を破ったのは、 「はい、ちょっとすみませんね~」  という、間延びした声だった。  懐中電灯の明かりが三人を照らす。――町の交番の巡査だ。 「大声で騒いでる人がいるって通報があったもんだから。あなた、ここの人? お父さん?」  のんびりとしているが、そうすることで逆に探りを入れているのが伝わってくる口調だ。さすがに父親は、冷静な父親を演じてくれた。 「はい。――すみません。花火大会帰りだったので、はしゃいでしまったようで」 「ああ、そう。まあ、お父さんがついてるならいいけど。このあとはしゃいでたばことか飲酒とかしないようにね~」  すばるは平常心を顔に貼りつけて、巡査を見送る。  自転車の灯りが見えなくなると、父は告げた。 「荷物をまとめてきなさい、すばる。家に帰るぞ」  この場合の「家」とは中学まで過ごした「家」のことだ。もう祖母の家にひとりで置いておけないということだろう。元々、祖母が施設に入った時点で、一度そういう話はあったのだ。すばるが勉強を理由に強く拒んでいただけで。 「明日も学校が――向こうからだと、遠いし」  一応そう抵抗してみるが「車で送る」と一刀両断されてしまった。 「待てよ」  気色ばむ流星を、すばるは制した。 「――大丈夫だから」  すばるの心の中で、いくつもの感情がほどけない糸のように絡まっていた。  流星が庇ってくれたのは嬉しい。  だけど。 『同年代の男といたら、友だちだって思うのが普通だろ』  それは、すばるを父から守ってくれると同時に、流星との関係は偽物でしかないと思い知らされるものだった。  ――流星は、自分を友だちだと思ってる。  バース性のせいで傷ついた仲間同士、同情してくれている。  自分が抱いている感情とは、全然違う。  哀しみはすばるを冷静にさせた。 「取り敢えず一旦はそうしないと、収まりがつかないだろうから」  父が祖母に頼まれたという荷物を取りに行っている間に、すばるは流星にそう囁いた。 「泊めてあげられなくなってごめん。お姉さんに怒られちゃうかな」 「なに言ってんだよ、そんなの全然どうでもいい。今は自分の心配しろ」 「流星ならそう言うだろうな」と思っていた言葉が返ってきて、すばるは苦笑した。  ほら、流星はやさしい。そして正しい。  もっと、見た目通りの本当に無茶苦茶な奴だったら良かったのに。  父親に急かされる。 「すばる。早く着替えなさい」 「――本当に大丈夫か?」 「心配しすぎ」  流星はしばらく探るような眼差しを向けていたものの、やがて諦めたようにため息をついた。 「また明日、学校でな」 「うん」  肩を叩かれ、すばるは精一杯の笑顔を作る。  ほら、流星に触れられても平気だ。  流星は、おれのことが好きなわけじゃないから。
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