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ディヴィジョンの街
ふたりはゆっくりと田舎道を進んでいた。ラファエルが馬車を操り、隣でマリアが景色を楽しんでいる。
あのパーティーのあと、ふたりはすぐに屋敷と家に戻り荷物を整理した。そして、面倒ごとにならないように翌日の朝すぐに出発した。婚約破棄の噂はすぐにでも広まるだろうし、王子が逆上して何か妨害でもしてきたら大変だ。
なるべく高位な貴族であることを隠すために、質素な服に着替えて旅人がよく使うであろう馬車を使っての旅行。いつも王族専用の馬車と数多くの護衛によって守られていたマリアにとってはとても新鮮な旅路だ。
「馬車の外をこうしてゆっくり見るなんて初めてよ。お外はこんなに空気が澄んで、風が気持ちいいのね!!」
「お嬢様、あまり身を乗り出さないでください。危険ですからね」
「わかっていますわ、ラファエル様! でもね、昨日までかごの中の鳥だった私にとっては世界のすべてが新鮮に見えるのよ。緑の平原、飛んでいる蝶。青い空と白い雲と小鳥。安全のために、馬車から風景も見ることができなかったなんて嘘みたい」
「まあ、仕方ありませんね。しばらくは、代わり映えしない風景ですが、これなら退屈もしないでしょうね」
「ええ、見ているだけで楽しいもの!」
ラファエルは子供のようにはしゃぐ主人のことを幸せそうに見つめた。たしかに、自分も今まで仕事続きで景色を楽しむ余裕がなかったことに気づく。
「意外とお嬢様に与えてもらってばかりなのかもしれないな」
「なにが?」
独り言で言ったつもりの言葉を聞かれて少しだけ驚くも、彼は笑って否定する。
「独り言ですよ」
「そう? ならいいけど。それにしても楽しみね。ディヴィジョンの街! 一度行ってみたかったのよね」
ふたりが向かっているのは、王国の中央にあるディヴィジョンの街だった。
「一度、公務で行った時はあんまりゆっくりできなかったから、今度はちゃんと観光がしたいわ。ラファエル様は行ったことある?」
「ありませんね。ですが、美食の都として有名ですからね。近くには有名なワイナリーもたくさんありますし……最初からそんな街に行けるなんてとても嬉しいです」
「ええ、とりあえず街についたらご飯を食べましょう。それでどこかに宿を取って、次の日は街の観光よ。3日目はワイナリー見学とかしたいわね」
「いや、すごい豪遊ですね」
「お金の方は大丈夫だから、少し高い宿に泊まりましょうよ。大きな街だから、為替所もあるだろうし……」
「わかりました。とても楽しそうだ。ん?」
「どうしたの、ラファエル様?」
「後ろの馬車の様子がおかしいですね。さっきからずっとこちらをつけてきます」
「まさか、王子の追手?」
「いや、運転している者を見たところでは、兵士というよりも……」
その言葉を聞いて、マリアはすぐに後ろを振り向いた。眼帯をつけた体格の良い男が3人にいた。その馬車が猛烈なスピードでこちらを追いかけてきた。
「盗賊ね」
「間違いありません。完全に狙われていますね」
だが、ふたりは思った以上に冷静だった。
『そこのカップル。止まれ。ここは俺たちの土地だぞ。通行料を払いやがれ!』
盗賊たちは叫んでいた。
「あらら、私達カップルに間違われているわよ?」
「恐れ多いですね」
「本当は嬉しい?」
「……」
「嬉しいんだ?」
「バカなことはやめてください。向こうに追いつかれます」
「大丈夫でしょ。だって、あなたのようなボディーガードがいるんだから」
ふたりが話しているとそれを邪魔するかのように山賊たちは怒号を上げる。
『命が欲しければさっさと止まりやがれ!! ここでは俺たちが法だぜ!』
「ねぇ、この状態なら間違いなく正当防衛は成立するわよね?」
「ええ、もちろんです。命がないと言っていますからね。ですが、あんな奴らを捕まえて当局に引き渡すのには時間がかかるし手続きが面倒です。もしかしたら、王子に居場所を知られるかもしれません」
ふたりは、なら方法はひとつだけだという考えで合意した。
「馬車の運転は、私が代わるわ。大丈夫よ、貴族たるもの、馬の扱いには慣れているからね。だから、ラファエル様はあいつらをやっちゃって!」
「はい、お嬢様。仰せのままに」
マリアは手綱をつかんだ。
「一度やってみたかったのよ。馬車の運転!! 今日は飛ばすわよ」
「お戯れを!!」
荷台に飛び移ったラファエルは、自分の道具袋から弓を取り出した。
『おい、あの男! 一丁前に弓なんか取り出してきたぞ』
『当たるわけがない。あんなに馬車が揺れてるんだぜ』
『それに結構距離もある。女の前でカッコつけているだけだ。あんな奴はつかまえてひんむいてやれ!』
ゲスが! 普段は冷静なラファエルはが怒りをあらわにした。青く美しい髪が振動で揺れていく。
「相変わらず、美しいほどの所作ね」
ちらりと荷台の方を見て、マリアは感想をつぶやく。そこには、まるで止まっているかのように張り詰めた空気と、丁寧に弓矢を引くラファエルがいた。
「東の風。やや強く、距離400。足元は悪い。最悪の状態だが……」
まるで、夜の空にたたずむ射手座のように、山賊の馬車を狙撃した。
そして、次の瞬間、サジタリウスの矢は正確無比に後続の馬の前右足を撃ち抜いていた。
『なんだとっ、ぎゃああぁぁっぁああああああああ』
盗賊たちの馬車は、馬のコントロールを失い猛スピードで地面に崩れるかのように叩きつけられていく。
「お見事!!」
主人は誇らしそうに執事を褒めたたえた。
※
「あ~、馬車の運転楽しかったわ。とても爽快ね。まるで風になったみたいに早かったわ」
盗賊たちを撃退ししばらくたった後、ふたりは運転を交代した。
「お嬢様はどうやらかなりのスピード狂らしい」
「早ければ早いほどいいじゃない。だって、逃げていたんだから」
「ですが、弓を射るこちらのことを少しは考えて欲しかったですよ」
「大丈夫よ。あのくらいの揺れで外すような人じゃないって信じているから」
「どうやら、私はとんでもないお嬢様の元に雇われてしまったようですね」
「あれ、不服?」
「いえ、とても度胸がありますよ。普通の令嬢なら怖くて震えているはずですからね」
「盗賊なんかが怖くて、あの公共な場で王子から喧嘩を買って、多額の慰謝料をふんだくるなんてできるわけないでしょ。なめないで。むしろ、初めての馬車の運転で興奮していたくらいよ」
ラファエルはそう言って恍惚な表情を浮かべる令嬢を見て苦笑いをする。
「頼もしい限りですね」
「あら、惚れてくれたの?」
「女性としてではなく、器の大きさに……」
「それはちょっと、女として傷つくな」
傷つくなんて言いながら、公爵は楽しそうにからからと笑っている。こんなに楽しそうに笑う彼女は、3年間の中でも初めて見る。すべての重荷を取り払って、人生を楽しむ女の子を見て、これでよかったのかもしれないと執事は安心した。
「でも、さすがに緊張しちゃったからか疲れちゃったわ。あとどのくらいで目的地かしら」
「えっと、たぶん1時間くらいでしょうね」
「なら、少しうたたねさせてもらうわ」
「わかりました。荷台に仮眠用の毛布を入れているので、使ってください」
「何を言ってるの?」
「えっ?」
「こんなにお天気がいい時に、暗い荷台で眠りたくないわ。ひなたぼっこしなきゃ……」
「ですが、ここでは眠りにくいですよ。枕もないし」
「枕ならあるでしょ。ここに?」
ラファエルの肩を指さす。
「まさか」
「主人命令よ。少しの間、肩を貸しなさい?」
そう言って問答無用で、頭を預ける彼女と焦る男。ラファエルは、女性特有の甘いにおいに鼻をくすぐられて何とも言えない気持ちになった。
「ドキドキしてる?」
「さぁ、どうでしょうか」
「その答えは絶対にドキドキしているわよね」
「……」
「図星ですね。おやすみなさい、ラファエル様?」
「はい、お嬢様」
ふたりはそのまま1時間ほど馬車に揺られた。
※
街の入り口に馬車を預けて、ふたりはディヴィジョンの街に入った。
ディヴィジョンの街は王国の中央部にあり、歴史的に見ても交通の要衝として発展している。他国との交易の要衝でもあり、豊かな場所と知られている。
周辺は広大な農業地域で、道路と緑豊かな景色の中に突然大きな街が出現する様子にふたりは感激し興奮していた。
「ここは街のどこらへんなのかしら?」
「私たちが入場したのは、街の北門ですね。ここの近くには、市場や公園が集中している場所になりますね。さっそくですが、昼食にしましょうか?」
「ええ、市場にも行ってみたいわ。王都の市場には行ったことないから是非とも見学したいの」
「わかりました。では、市場をぶらぶらしながら、近くのレストランにでも入りましょう」
「最高ね。じゃあ、行きましょうか」
ふたりは市場に向かって歩く。露天商がフルーツや野菜を販売している。この地域は周辺が農牧地帯であるため、比較的に商品数はたくさん陳列されている。
「すごい綺麗ね。トマトやキュウリ、パプリカが彩り豊かに並べられている!! ねぇ、ラファエル様。あの白くて大きいのは何?」
「ああ、あれはチーズの塊ですよ。量り売りしているんでしょうね。店主に言えば、切り分けて売ってくれるんです」
「あれがチーズなのね!! 王都では切り分けられたやつしか見たことがなかったのに。それにいろんな種類があるわ。こんなにたくさんのチーズがある。すごい、感動しちゃう!!」
まるで幼い子供のようにはしゃぐマリアを見て笑顔になる。
「何を人の顔を見て笑って。もしかして、子供っぽいとか思ってる?」
「いえ、思ってません」
「嘘だ。絶対にバカにしている。もう、いいじゃない。こんな市場なんて初めてなんだから興奮しちゃっても……」
「ええ、どんどん楽しんで下さい。せっかくの旅行です」
「ねぇ、本当に私子供っぽくなかった? 大丈夫??」
「大丈夫ですよ。とても微笑ましいので、続けてください」
「やっぱり、バカにしてる! 主人をバカにするなんて失礼しちゃうわ!!」
そう言ってわざとらしく不機嫌になる主人を見て執事は嬉しそうに笑った。
「では、お嬢様……せっかく市場に来たのですから、市場らしい食事をしませんか?」
食事と聞いて不機嫌な演技をすぐに終わらせて、嬉しそうな顔になった。
「市場らしい食事!!」
「ええ、きっとお嬢様は驚きますよ。今日は屋台ランチにしましょう!」
マリアは今日一番の笑顔を見せて笑った。
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