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屋台ランチ
そして、ふたりは市場の隅にある屋台ゾーンに向かった。そこには、各種の屋台が出展されており、異国の香辛料の匂いもしてきてエキゾチックな雰囲気になっている。ここは交通の要衝でもあるため、異国の料理文化も取り込んでいるのだろう。お嬢様にとっては、まさに初めて見るものばかりだった。
「ねぇ、ラファエル様!! すごい、知らない料理がたくさんあるわ。あれは何? あの大きな鳥を焼いているのよね!?」
「ああ、あれは若鳥のハーブ焼きですね。外国のハーブや香辛料に付け込んだチキンを炭火で焼いているんですよ。美味しいですよ!」
「すごい。あんなに豪快にチキンを焼くのが普通なんて知らなかったわ!」
「この屋台は、市場で働く人の胃を満たすためにありますからね。量もたくさんなんですよ」
「そうなのね、でもこんなに美味しそうなものがあったらどれを選んでいいのかわからないわ。あのソーセージもたくさん種類があってすごい!! あのワッフルもいいにおいがするわ。朝から何も食べていないから、お腹が空いてしまって……」
「では、まずは食べやすいものを食べましょう」
「でも、何を選んでいいのかわからないわ」
「なら、最初は私のおススメを買ってきますよ。それを食べて、まだ食べられるのでしたら今度はお嬢様の好きなものを食べてください」
「わかったわ。なら、よろしくお願いね」
そう言ってお嬢様は近くのベンチに腰掛けた。女性一人を置いていくのも心配だが、さすがにこの人が多いところで暴漢などはでないだろう。
「では、行ってきます」
執事は食事を買うために屋台へと向かった。
※
「お待たせしました、お嬢様!!」
執事はベンチで待つお嬢様に料理を届ける。簡易な木製プレートとカップには蒸気を立てた料理が詰められていた。
「ありがとう。それはいったい何??」
食い気味にマリアは、ラファエルの手に持たれている料理を凝視した。早く見たいという気持ちが表情に出ていた。
「では、まずはこちらを! 熱いので注意してくださいね」
「本当だ。とても温かいわ」
木製のカップにはスープが入っていた。
「こちらは丸ごとオニオンスープだそうです」
「すごいわ。オニオンが丸々一個入っている!! やっぱり豪快なのね、屋台のご飯は!」
野菜と塩漬け肉が溶け込んだブラウンなスープの中には、トロトロに煮込まれた甘いタマネギが丸々浮かんでいた。コショウやパセリも入っていて粉チーズも少しだけ入っていた。
「オニオンが丸ごと入っているのに、すごく柔らかいわ。フォークでつついただけで簡単に崩せちゃうわね。あのラファエル様? スープを飲むのにスプーンはないの?」
貴族のテーブルマナーの常識もこの市場では通用しない。
「お嬢様、残念ながらスプーンはありません。ここはパーティー会場ではありませんから、カップに直接口をつけて飲むのがここでのマナーです」
「そうなの!?」
「ええ、商売人たちは、忙しいですからね。テーブルマナーも変わるのです」
お嬢様は周囲を見渡す。たしかに、他の人たちはカップに直接口をつけてスープを楽しんでいた。
「ホントね。みんな直接飲んでいる」
「さあ、どうぞ。熱いうちに……」
「本当にいいのよね。飲んじゃうわよ、私?」
「どうぞ」
お嬢様は習慣になっていてテーブルマナーを崩しての食事を恐る恐るはじめた。だが、スープを口に含んだ瞬間、その恐れは一瞬で吹き飛んでしまった。
「なに、これ甘くて美味しい。野菜のうまみがたくさん詰まっていて……オニオンも口に入れると溶けちゃうみたいにすぐになくなっちゃうし……こんなの王宮の晩餐会でも食べたことないわよ」
「ええ、この料理は庶民の人が作るから美味しいんですよ」
「どういうこと?」
疑問符が頭についたお嬢様に執事は説明する。
「このスープの旨味にクズ野菜が使われているんですよ。お嬢様? たとえば、オニオンやキャロットの皮ってどうしますか?」
「捨てるでしょ」
「ええ、貴族の豪華な食卓ではそうでしょうね。でもね、庶民の人たちはそれを捨てないんですよ。例えば、スープに入れて煮込んでしまえばいいんですよ。野菜の皮には栄養が詰まっていますからね。食べにくい皮でも煮込んで栄養を溶かせば美味しくなるんですよ」
「すごいわね」
「だから、このスープは美味しいのです。あと、このバケットも入れてしまえばさらに美味しくなりますよ。試してみてください!」
行儀が悪いという考えが浮かんだが、食事の美味しさの前にはそのような抵抗は意味がなかった。
受け取ったバケットをスープにひたした。いや、ひたすというよりも、むしろ丸ごと入れたと言った方が正しいだろう。
堅かったバケットはスープが染みることで柔らかくなっていく。
そして、その柔らかくなったパンを口に放り込むと、ジュワっとスープが染み出すごちそうになっていた。
「すごい、野菜とスープのうまみがしみ込んだパンがこんなに美味しいなんて!!」
「まだまだ、前菜ですよ、お嬢様? 次はこちらを食べてみてください。タルティフレットです」
「タルティフレット?」
※
ラファエルがマリアに手渡した皿には真っ白な物体が乗っていた。
これは何だろう。チーズが溶けているみたいだけど。ピンクに見えるのはベーコンよね? チーズの下に一体何があるのかしら。そんなふうに、彼女の頭の上には、はてなマークがたくさん並んでいた。
「ラファエル様、これはいったい何ですか? 上にのっているのは溶けたチーズですよね? あと、ベーコンはわかるんですけど……」
「チーズの下にある白いやつですか?」
「はい!」
「それは、ポテトと炒めたオニオンですよ。その上にたっぷりチーズをのっけて、オーブンで焼いたものですよ。ほら、向こうの屋台で今準備をしているでしょう?」
マリアは、ラファエルの指さした場所を視線で追う。ちょうど、屋台のおばさんが、野菜の上にチーズをのせている瞬間だった。
「まるでグラタンみたいですね」
「基本的にはたしかにポテトグラタンに似ているかもしれませんね。こちらはホワイトソースではなくて、生クリームでかなり優しい味になっていると思います。それにチーズが贅沢に使われていますから」
ラファエルの指摘通り、皿の上には大きなチーズの塊がのっていた。
もうグラタンというよりも、チーズが主役のような料理だと彼女は思った。
「さあ、どうぞ、召し上がれ。このチーズが焦げた部分は最高ですよ」
王都で食べたグラタンよりもとてもシンプルな味付けだった。だが、中のポテトは熱々で、ミルクのうまみが凝縮されている。舌をやけどしそうになりつつも、幸せな時間を堪能していた。
「美味しい。どうして、こんなに美味しいの? 王宮の食事だって豪華な食材を使っていたはずなのに……料理人の腕だって、一流のシェフが作っているのよ」
「たしかに、食材を購入するためにかける費用は王宮の方が上でしょうね。料理人の腕もそうです。ですが、お嬢様? ここは市場です。採れたての食材がここに集まっているんですよ。鮮度が違います。王宮の周囲には畑などありましたか?」
「なかったわ」
「ですから食材は採れた場所から時間をかけてあなたのもとに運ばれていたのです。そうすれば当然劣化します。時間が経てば経つほど味は落ちるのです。その自然の摂理には、どんな一流料理人ですら抗うことはできないのですよ」
「なるほど……」
「どうですか。屋台料理、堪能できましたか?」
「ええ、堪能したわ。でもね、やっぱりお肉も食べたいわ。それにラファエル様は食べないの?」
「私は執事です。主人とともに食事をすることなど許されるわけがありません」
「なによ、それ……それじゃあ、一緒に旅行している意味がないじゃないの」
「ですが、それでは――」
「主人の私が一緒に食事をしたいと言っているのだから、同意しなさい。主人の命令は絶対よ」
「わかりました」
「なら、あなたの分の食事も取りに行きましょう。私ももっと屋台ご飯が見たいわ! あと……」
「どうしました?」
「もしよかったらなんだけど……」
「はい?」
「あなたが選んだ食事も一口だけ分けてもらえない?」
マリアはとても恥ずかしそうにそう言った。貴族社会のテーブルマナーを叩きこまれている彼女にとってはこの提案は、震えるほど恥ずかしいものだった。はしたない! 教育係がこの様子を見ていたらそう叫んで注意していただろう。
だが、それと同時に屋台料理の魅力と、男女で食事を分け合うというロマンス小説のようなシチュエーションを体験してみたいという欲望。それがふつふつと沸き上がり、ついポロリと本音が漏れてしまった。
「……」
王子の婚約者時代の真面目で堅いイメージとは正反対の提案にただ、驚いていた。王宮時代の彼女のイメージは、優等生だ。若くして公爵家の当主でもあった彼女は当然ながら、貴族社会の嫌な部分も乗り越えなくてはいけなかったため、弱みを見せることができなかった影響もあるのだろう。実際、王位継承権1位の妻になるだけでも、嫉妬の対象になる。影では嫌がらせのような行為をされていた。だから、同年代の友人も希少だった。
そんな彼女が……
どうして、こんなロマンス小説のような提案をしてくるんだ。なにか、裏があるんじゃないか。ラファエルも、貴族社会を生き抜いてきた人間だ。多少の警戒心を持った。しかし……
「ねぇ、ダメかな?」
そんな少女のように甘える主人を見て、先ほどの疑念は吹き飛んだ。ああ、私は信頼されたんだなと直感する。ならば、彼女の気持ちにはそれ相応のもので答えなくてはいけないだろう。
彼女の友人として……
「わかりました。では、こちらもお言葉に甘えるとしましょう」
「よかった!! 夢だったのよね。みんなで食事を分け合うのって……なんか、家族や親友じゃないとできないじゃない。さすがに、王族の方々とはそんなことはできないし」
「ふふ、ではお嬢様は何が食べたいんですか?」
「やっぱり、さっきの大きなチキンかな。あと、なにか甘いものも食べたいわ」
「わかりました。なら、一緒に探しましょうか」
「ええ、そうしましょう」
こうして、ふたりはまた歩き始めた。本当の意味でのふたりの旅は始まった。
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