ふたりのよる

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ふたりのよる

 眠れない。マリアはもがいていた。彼が少しでも動くと、その物音や振動が彼女に伝わってきてしまうから。この部屋には二人だけという事実が襲いかかってくる。もともと、グレードが高い部屋なので、ふたりが寝るスペースは十分に取れている。ベッドも2つ設置されているから、そこまで緊張する必要もないとはわかっているのに……  彼女はやはり近くで気になる男性が寝ているという事実に落ち着きを失わされていた。 「はぁ」  彼女は小さくため息をついた。  彼のことをどう思っているかなんて、自分でもよくわかっている。さっきの彼の愛の告白が嬉しくないわけがない。だが、自分の境遇を考えると、彼の気持ちに本当にこたえていいのだろうかと不安になる。  彼の気持ちにこたえれば、ある意味ではラファエルのことを公爵家に縛り付けてしまうことになる。それも、マリアは政治的に影響力を持ちすぎている。ラファエルは自由を失ってしまうだろう。  もし、彼を家に縛り付けなければ、初の平民宰相すらあり得るほどの才覚を持っている。彼のキャリアを台無しにさせてしまうかもしれない決断だ。  たしかに、王太子の件で一度は政治的に危ない立場に置かれていたラファエルだが、今ではその王太子派が崩壊したので、彼の才覚を今まで以上に発揮できる舞台が王都に用意されている。  ラファエルもよくわかっているだろう。すでに、平民階級としては異例のスピードで出世を遂げた傑物だ。この旅を終えて王都に戻れば、仕官を求める手紙がたくさん届くのは想像するまでもない。それだけではない。今回の王太子失脚の件で、彼が果たした役割を考えれば、中央省庁の幹部に任命されてもおかしくないほどの功績を上げた。 「(本当にそれでいいのかな? 私のせいで彼の自由な立場と将来を捨てさせることになってしまうのではないの?)」  彼女は、そこも危惧していた。大好きな人だからこそ、自分が重荷になりたくはないのだ。  だが、それとは別の方向の気持ちも強まっている。独占欲だ。 「(でも、ラファエル様を手放したくない。彼がいなければ、私はもうどうにかなってしまうかもしれない)」  生まれて初めての恋が彼女を苦しめていた。いままでは、責任と義務に従って生きてきた彼女は、初めて自由の重みを知ったのかもしれない。  彼の吐息だけでも、すべてが愛おしい。もし、神様がいるのならば、彼女はこの瞬間を切り取って永遠に過ごしていたいと願うだろう。  だが、窓の外の降り注ぐ雪と同じように時間は過ぎ去っていく。  ※ 「(どうして、こうなってしまったんだ)」  マリアが眠れなくなっている横で、ラファエルも眠れない夜を過ごしていた。さすがに、この状況はまずいと彼は後悔している。そもそも、まだ彼は執事なのだ。主人と同じ部屋で寝るというのは、いくらなんでも越権行為だ。  しかし、この状況を自分が作り出したという罪悪感もあった。やはり、愛の告白が早すぎた。落ち込んでいた彼女を少しでも慰めることができればと、珍しく気持ちが暴走してしまった。  はっきり言えば、マリアは公爵家の主であるものの、まだ若い女性だ。責任感が強すぎるひとりの女性なのだ。それが国家存亡の陰謀に巻き込まれて、前婚約者に引導を渡すというのは、あまりにも酷な話だ。少なくとも、ラファエルは彼女のそんな弱さも認識していた。  あの船長の依頼を断るべきだったと彼は思っていた。いや、彼女を守るためには自分一人であのふたりを確保すればよかったのだ。ラファエルは、そうやってずっと後悔している。  もちろん、ラファエルは断るように何度か進言していたりもするのだが、責任感の塊であるマリアの気持ちを変えるまでには至らなかった。  そして、あの発言に繋がったのだ。  ※ 「終わらせに来ました、すべてを。元婚約者として、王国の4大公爵家の当主として、そして、一番の友人としてです、殿下?」  ※  4代公爵家の当主としては完璧な振る舞いだ。国家存亡の危機にある状況で、個人の気持ちよりも責任をまっとうするという賞賛されるべき行為を主人は行ったのだ。だが、このままでは彼女は責任感に押しつぶされるだろう。すべてを捧げて生きるには重すぎる責務だ。 「(お嬢様の近くで支えていきたい。彼女にはすべてを捧げる価値がある。そして、自分が一生をかけて尽くしていきたい魅力的な女性だ)」  彼の決心は重いものだった。たしかに、このまま王都に帰れば、栄達の道が待っているだろう。だが、彼にとってはその栄光の出世の道は、もはや何の価値も魅力もないものだった。  マリアと一緒にいることが、自分にとっての一番の幸せになっていた。  ※ 「こんなに寒い日に外で寝たら、風邪ひいちゃうよ」  ※  先ほどの言葉はラファエルにとっては嬉しかった。彼女の本質的なところが強く出ていたから。彼女のもっと素の部分を見たいという願望が強まる。  だからこそ、彼女のこの部屋に残るべきという提案を受けてしまった。 「ねぇ、ラファエル様? まだ起きていますか?」  彼女の声が聞こえた。
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