そのころ王子は

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そのころ王子は

 ふたりが大聖堂を楽しく散策しているころ、王都では王子が癇癪(かんしゃく)を起こしていた。  昨日はやっと目の上のたん瘤だったマリアとの婚約破棄が成立し、ミーサと添い遂げられると喜んだのもつかの間……  ※ 「もう一度繰り返す。マリア、お前との婚約を破棄する。わかったか!!」 「!!」 「婚約破棄を喜んで受け入れると言っているのです。ただし、殿下は王位継承権を持っていると言えども、法令には縛られます。わかっていますか?」 「これは一方的な婚約破棄です。であれば、婚約破棄した側である殿下は、私に慰謝料を払う義務が発生します。当然ですよね」 「さらに、こんな公衆の面前で罵倒(ばとう)されて、我が家名は大変に傷つきました。当然のことながら、その影響で慰謝料は増額されます」 「であれば、どうしてこのような場で婚約破棄など申し出たのですか? 王族が公共の場で嘘をつくことがどれだけ危険か、わからないのですか、殿下は?」  ※  元婚約者に言われた言葉を思い出して、イライラが募る。さらに、貴族社交界の重鎮が集まる卒業パーティーの場で、あのような恥をかかされてしまった。さらに、多額の慰謝料も払わざるを得なくなり悔しさでいっぱいになる。  さらに、側近だったラファエルにまで口ごたえされてしまった。  こうなったら誰かにあたることでしかイライラは解消できない。 「ラファエル、ラファエルはどこにいる!!」  彼は怒声をあげて側近の名前を呼んだ。優秀ないつものラファエルならすぐに目の前に現れるはずだった。だが、どんなに待っても彼は現れなかった。 「どこにいるんだ。あいつは!!!!」 「殿下……」  護衛の兵士が見るに見かねて声をかけた。 「なんだ! 俺はお前じゃなくて、ラファエルに用があるのだ」 「それが」 「なんだ、はっきり言え!!」 「では……ラファエル様は、殿下が昨日、解任なさったではありませんか?」 「はぁ?」  そういえばと王子は昨日のことを思い出した。口ごたえされた怒りで、執事をクビにすると言った覚えがある。 「おい、嘘だろ。あれくらい、いつも俺は言っているよな」 「ええ、まぁ」 「だが、あいつは今まで辞めずに部屋で待機していたではないか」 「そうなんですが、今朝、女中がラファエル様の部屋で手紙を見つけました。"自分は昨夜のことで決心がついた。偶然にも、新しい仕官先を見つけた"と」 「見せてみろ」  護衛は慌てて、王子に手紙を渡した。そこには、先ほどの護衛の発言と同じ内容の文章がつづられていた。  怒りと絶望が王子を包んだ。今まで誰からもチヤホヤされてきた彼にとって、マリアとラファエルからの拒絶は人生初の屈辱だった。 「ラファエルを探し出せ。まだ、王都にいるはずだ! 何が何でも呼び戻すんだ」  王子は、彼が遠く離れたディヴィジョンの街にいるなど予想だにしていない。意味のない指示が王宮に響き渡った。  ※ ―マリアサイド―  王子が、王都で右往左往している間にふたりは1日目の観光を終えた。  大聖堂の近くにある宿を運よく取ることができた二人は、別々の部屋で休むことになる。お昼に市場で料理を食べ過ぎてしまったため、夕食は比較的に軽めのものですませることにしていた。  宿で少し休んで荷物を降ろした後、数時間後に再び夜の街に向かうことにしていた。  マリアは荷物を床に置いて、ふかふかのベッドに座り込んだ。昨日からいろんなことが起きてしまった。婚約破棄。新しい出会い。そして、旅行。  王都から何時間も離れているディヴィジョンの街で、王子の側近だったラファエル様とこうやって旅行しているなんて、昨日の朝には思いつかなかったことねと笑う。  見知らぬ街で、見知らぬ料理を食べて、素敵なところを観光する。今まで自由のないかごの中の鳥だった自分がこんなに自由な生活ができるようになっている。その開放感が胸を高鳴らせた。 「でも、ラファエル様がついてきてくれて本当に良かったな」  彼女はポツリと独り言をつぶやいた。ラファエルは王子の側近として、政治力に優れ、文武両道の有名な男だった。高貴な身分に生まれたわけではないのに、自分の能力と才能だけで王子の側近という立場まで登りつめた逸材。それが王宮内部での彼の評価だ。  身分のせいで、執事ということにはなっているが……  政治顧問兼補佐官というのが本当の役割。彼が自由な身になったと知ったら、上級貴族たちもこぞって、自分の陣営に取り入れようとする人材だものと、彼女は安堵のため息をついた。  ラファエルの才能と王宮内部に作り上げた人的なネットワーク、王子の裏の情報すらつかんでいるその立場。政治の世界では、秘密兵器に成り得る最高の人材。  その男が、私に仕えてくれて一緒に旅に出てくれた。もう、なにも言うことはない。満足感に包まれる。  王子に婚約破棄されたことで名誉は地に落ちたかもしれない。でもね、それを上回る幸運に恵まれた。  そして……  私を守ってくれた彼の姿と、美味しそうにご飯を食べている姿、そして、大聖堂に感動する姿。すべてが目に焼き付いている。  思い出しただけで顔が熱くなる。胸の高鳴りも止まらない。  王宮時代から憧れ的な感情がなかったと言えば嘘になる。端正な顔立ち、人柄から出てくる優しさ、そして境遇すら力に変えて突き進む才能あふれる姿。  これに憧れない人間はいないと思う。  立場から許されなかったはずの気持ちが表に出てきてしまう。 「大丈夫よね。私、嬉しすぎて声が上ずったり、変なこと言ってないわよね」  そうひとりで心配する。  王子との婚約は3年前だった。だけど、自分は貴族の……それも公爵家の一人娘。政略結婚で好きでもない相手と結婚するのが当たり前だと思っていた。  恋なんて遠く離れた存在だと、気持ちを封印してきた。  だけど、王子からの婚約破棄のおかげで、恋というものが現実のものになった。自由に生きるということは、将来の伴侶も自分で選ぶことができる。  だから……  彼の気持ちが私に向かってくれるなら…… 「バカね。まだ、旅を始めて1日も経っていないのに。どれだけ、浮かれているのよ?」  公爵家の当主としても恥ずかしい。  でも、自由を得たことで、封印してきた気持ちは逆流してどんどんすごい流れになっていく。  止めることはできるのだろうか。せめて、もう少しは自分の気持ちを抑えておきたい。  もう少しお互いを良く知ってからでも……  そう自分自身に言い聞かせて彼女は目を閉じていく。旅行の疲れがピークに達して、彼女は短い仮眠の中に落ちていった。  ※ ―ラファエルサイド―  荷物を置くと、日課となっている行動記録のメモを書いた。これは彼が王子の側近時代からの癖のようなものだ。  彼のメモ帳には、いろんな貴族の運命を変えてしまう情報が書き込まれている。  まさか、こんなことになるとはな。そう自分で笑う。  正直に言って、ラファエルはあの王子には愛想をつかしていた。だが、彼の婚約者だったマリア公爵にはそうではなかった。彼女は、王子に比べることもできないほど聡明で、そして責任感を持った姿にただ、感心していたことをおぼえている。  彼女が国母になるのであれば、この国は安定しただろう。だが、ミーサという女にたぶらかされて、自分の婚約者を冷遇した王子にあの瞬間、本気で頭にきた。だからこそ、主君に公衆の面前で諫言したわけだが……  本来の合理的な彼では、あのタイミングであのような行動はしなかっただろう。今まで築き上げてきたキャリアを捨てるに近い行為だとわかっていたのだから。  だが、あの場では合理的な思考よりも感情的な行動の方が先に出てしまった。 「自分もどうやら愚かな人間のようだな」  そう自嘲しながら、彼は水差しの水をグラスに入れ替える。  出世が約束された王子の側近という立場を失ったのに、気分はすがすがしかった。満足しているともいえる。 「お嬢様のような素敵な女性とこのような楽しい旅ができるなら、あんな男の下で積む経歴など捨てても構わなかったんだな」  水を飲みながら執事はさわやかに笑った。
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