3.No Hair No Life

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3.No Hair No Life

 朝の出来事から約1時間。  彰造はスーツの上にトレンチコートを羽織り、黒のハットを被ったなんとも年代を感じる格好で出勤していた。  部長に軽く叱責された後、申し訳なさそうに同僚たちに挨拶しながら自身のデスクへ向かうと隣に座っていた彰造の後輩、吉宮が顔を上げた。 「あ、小山さん! おはようございます! いつもは余裕もって出勤してるのに遅刻なんて珍しいですね。それにそのハットも……なんかあったんすか?」 「まあ……いろいろあってね」  曖昧すぎる返答に吉宮も「な、なるほど」と気を使って一言、苦笑混じりに言うだけだった。  そうして椅子に腰を下ろした彰造はそのまま背もたれに寄りかかり、ゆっくりとハットを外すと毛の安否を確認するために優しく頭を撫でまわす。  毛を守るために被ったハットによって若干倒れてはいるものの、しっかりついてることは確認できた。 (命がかかっているとはいえ、これからずっとこの毛1本に一喜一憂することになると思うとメンタルがもたないなぁ)  しかし仕事が生きがいの1つとなっている彰造にとっては毛ばかりに気を取られて仕事をおろそかにするわけにもいかなかった。 (外に比べれば風もなくて危険も少なそうだし、そこまで気にする必要はないかな)  そう自分に言い聞かせてキーボードへ手を伸ばそうとしたそのときだった。 「吉宮くん? どうかしたのかい?」  ふと視線を感じて横を向くと吉宮がなにやら怪訝そうな表情でこちらを見ていた。 「え、あー……そうですね……ちょっと止まっててもらえますか。すぐに終わるんで」  歯切れの悪い返事と共に吉宮は彰造へ向かって手を伸ばしていく。  その手と彼の視線が頭上へ伸びていると気づいた瞬間、彰造はとっさに頭頂部に手を添える。 「あ、動いちゃダメっす小山さん、頭に毛みたいなのがついてますよ?」 「みたいじゃなくて実際に毛なんだけど」 「え……」  吉宮はぽかんと口を開けていたが、それが毛だと理解した彼は申し訳ないと思いつつも吹き出してしまった。 「そ、そんな……某国民的アニメにでてくるお父さんじゃないんですから……ぶふっ!」  ツボに入ったらしくこみ上げてくる笑いに堪えようとしているが、隠しきれていないのは明白だった。  珍奇な見た目だと彰造も自負していたが、ここまで笑われると少し腹が立つ。  彰造が分かりやすく咳払いをしてみせると「す、すみません」と吉宮も自重して笑いを抑えた。 「私だってこんな場所に1本だけなんて生えてほしくなかったよ」 「なら抜いちゃえばいいじゃないっすか。そのままだと今回の俺みたいにイジってくる人が出てきちゃいますよ?」 「まぁ、そうしたいのはやまやまなんだけどね……」  今朝の出来事を話せたら少しは楽になるだろう。しかし信じてもらえるはずもないため濁した言い方しかできなかった。  蛍光灯を反射する頭をポリポリと掻きながら悩ませていると突然、吉宮が自身の胸を叩いた。 「未練があるなら任せてくださいっす! 俺が代わりに抜きますよ!」 「えっ、別にそういうわけじゃなくて……!」 「こういうのは勢いが大事なんすよ! 後腐れないようスパッと抜いてあげますんで!」  彰造の制止も虚しく、なぜか張り切った様子で近寄ってくる吉宮。そして彼の手は再び頭頂部の毛へ伸びていく。  そうしてつまもうとする指先が毛に触れる寸前、彰造は雄叫びと共に後方へ大きく飛びのいた。 「や、やめろおぉっ! やめてくれえぇっ!」 「こ、小山さん!?」 「この毛は……私の命なんだ!」  両手で毛を守るように頭頂部を隠しながら彰造が悲痛な叫びを上げる。普段温厚な彼からは想像もつかない必死の形相に、吉宮も愕然としていた。  彰造からしたら言葉通り、命がかかっているためそうなるのは当然だった。  しかし事情を知らない人からしたら別に意味に捉えられるのも仕方なかった。 「なんか、すいません。まさか小山さんがそこまで気にしてたなんて思ってなくて……」 「……あ、いやっ、今のは違くて!」  困惑する吉宮とオフィス内のざわつく声で我に返った彰造が辺りを見回すとオフィス内にいる人々の視線が彰造に集中していた。  大事にしたくなかった彰造は何事かと心配してくる同僚たちに謝りつつ落ち着かせると、吉宮の方へ向き直る。 「私の方こそ急に叫んで悪かったよ。でもこの毛に関しては放っておいてくれないかな」 「わ、分かりました……」  こくり、と1回だけ頷くと吉宮は自分の席へ戻っていく。彰造もその後を追うように隣にある自身のデスクへ戻った。  しかし吉宮以外にも彰造の毛に気づいた人が何人かいるようでひそひそ話や、クスリと笑う声があちこちから聞こえてくる。 (……気まずい。だがいつかはバレると思っていたし、慣れていくしかないか)  両頬を手で軽く叩いて気を取り直すと、ようやくパソコンに向き合う。  そうして彰造は奇異の目にさらされながらも、退勤時刻まで仕事をこなすのだった。
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