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4.踏み出す勇気
なんとか仕事を終えた彰造はやや足早に会社から出て、帰宅している途中だった。
しかし一難去ってまた一難、彰造は険しい表情でひとりごちる。
「雨……それに強風だなんて、聞いてないぞ……!?」
身体が押されてしまいそうな強風とその勢いに乗って打ち付けてくる雨に彰造は襲われていた。
もちろん今朝の天気予報ではちゃんと知らせていたが、当時の彼は毛に意識が向いていたせいで聞き逃していた。
周りが傘を差している中、全身ずぶ濡れになりながら彰造はハットを強く押さえる。
(ハットで押さえ込んでしまうが、この雨風の中にさらすよりはマシだろう。それに家に着いてしまえば脅威はなくなる。それまでの辛抱だ……!)
片手は鞄、もう片方の手はハットを押さえて両手が塞がっている状態のまま家を目指して歩を進める彰造。
しかしそれを邪魔するかのように行く先々で赤信号に捕まり、そして現在も住宅街の交差点で足止めをくらっていた。
しかも毎度直前で止められているせいか、目を細めて分かりやすく不機嫌な表情を浮かべる彰造。
ちらりと視線を横に移すと、そこには『○○町2丁目』と書かれた看板が壁に張られていた。
(幸い、ここの交差点は車通りが少ないから信号もすぐに変わるだろう。それにここを過ぎれば家まで数分だ)
イラついた気持ちを整えるように深呼吸すると、彰造の口からは白い息が吐き出された。
「ここまで雨風に当たるとさすがに冷えるなぁ……家に帰ったら真っ先にお風呂に入ろう」
「……おじさん、寒くないの? 大丈夫?」
微かに身体を震わせる彰造の背後から、不意にかけられた声。
声の方へ振り向くとそこには中学校の制服を着た少年が不安そうに彰造を見つめていた。
身長も低く、顔にはまだ幼さが残っていることから中学1年生ぐらいだろうと推測できた。どうやら傘を差していない彰造を見て心配してくれたようだった。
「あぁ、傘を忘れちゃってね。でも家はすぐ近くだから大丈夫だよ」
「そっか、じゃあ僕はこっちだから行くね。バイバイおじさん!」
「心配してくれてありがとうね、風が強いから気をつけて帰るんだよ」
小さく手を振って別れを告げた少年は青信号になっている方向へ歩き出していった。
(見ず知らずの私を心配してくれるなんて優しい子だなぁ……子供?)
少年の背を眺めていたところでふと、魚の小骨が喉に引っかかったような違和感が彰造を襲った。
(なにか、大事なことを忘れているような……子供……交差点?)
『仕事からの帰宅途中、○○町2丁目の交差点で暴走車にはねられそうになった中学生の子供を庇って死亡となっています』
「……っ!? まさか!」
彰造の死因について話していたときの死神の言葉が脳裏に響く。
タイミングも、場所も、人物もすべて今の状況と合致している。
(もしそうならあの子はここではねられる? だが毛が生えている今なら運命が変わることももしかしたら……)
そんな彰造の微かな希望を嘲笑うかのように奥から1台の車が接近していた。しかも交差点が近くなっても減速する様子はない。
どうやら傘と雨音のせいで車が接近していることに少年は気づいていないようだった。
(この場には私と少年しかいない。助けられるのは私だけ……死神は毛がある限りは死なないと言っていた。しかし本当に大丈夫なのか?)
死の運命から生き延びれると知っているからこその躊躇。生への執着が彼の足を止めていた。
責任感、恐怖、不安、焦り……さまざまな感情と思考が錯綜し、彰造は顔を俯かせる。しかしその間にも車は少年へと迫ってきている。
(死なないというだけで大怪我をする可能性はある。それどころか最悪死ぬ可能性だってないわけじゃない……それでも、目の前ではねられると分かっている子を見過ごすことなんて……私にはできない!)
鞄を持っていた拳を強く握りしめ、彰造は勢いよく顔を上げた。
「ええい、ままよっ!」
そう叫びながら彰造は手に持っていた鞄を放って無我夢中で少年の方へ駆けていった。同時に手の支えを失ったハットが風に煽られ宙を舞う。
運動不足の老体にムチを打ってなんとか少年まで追いついたときには既に車は2人の寸前まで迫っていた。そこでようやく少年も車に気づくが、突然の出来事に足が止まってしまう。
(まだ諦めるな! 頼む、間に合え! 間に合ってくれ……!)
「うおおぉぉぉぉっ!!」
自分を鼓舞するように雄叫びを上げながら彰造はそのまま少年を抱き込むと、強く目を閉じて奥の歩道へと飛び込んだ。
次の瞬間、彼の全身を激しい衝撃が襲った。
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