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1.雪ん子と兎
(雪ん子と兎)
雪が舞う
しんしんと降る粉雪も
ちらちら舞う牡丹雪も
街の薄汚れた灰色の世界を
真っ白な色の世界に変えてゆく
雪ん子が遊ぶ
山の中、兎を追って
兎は逃げる
雪の中を跳ねて逃げる
雪の中に埋もれながら
雪ん子は兎を捕まえて言う
お前の目は雪の中で赤く暖かいと
兎は言う
雪ん子の目も赤く暖かいと
街は白い雪で覆われていた。
昨日の夜まで降っていた雪は、朝方にはやんで、今は鉛色の雲が重く空を覆っていた。
鈴子は少しの洗濯ものをリュックに詰めて病院を出た。
病院を出ると、その前が電車の駅で、歩いて五分とかからない。
ここには、わずかながらの雑踏がある。
午後四時を過ぎたとあって女子高生の姿も見える。
三十路も後半となれば、懐かしく羨ましくも見える制服姿だった。
昨日にくらべて今日は少し暖かい。
電車に乗って二区間ほど、時間にして五、六分だが、歩いて帰ろうとすると一時間近くの道のりになる。
それはなぜかと言えば、電車は山の中腹を走るのに対して、車の通る一般道は、山の裾野を大回りで走っているからだ。
車で病院に通うにしても二十分はかかる。
それに、今日のように昨日の雪が積もっている時など、除雪車の後ろをとろとろ走らなければならないので、余計に時間がかかるときもある。
でも、一時間一本二本、通勤時でも三本四本しか走っていない電車を待つよりも、車のほうが早いかもしれない。
鈴子は、二区間目の最寄りの駅を降りた。
道は、ここから二手に分かれる。駅が山の中腹なので、下り道を進めば裾野を回っている一般道に出る。
もう一つは山を登り、峠を越えると、その道沿い、リンゴ畑の中に鈴子の家があった。
鈴子は、よほど雪が深くない限りは、この峠道を進む。
小高い峠の道は険しく細い道だけれども、家に帰るには近道だった。
道の両側には熊笹が人の背丈を超えて、うっそうと茂っている。
峠の登り道も終わりに差し掛かり、重い足取りも少し軽くなったころ……
「あ、……」
そう思った次の瞬間、雪の中のわだちなのか、岩なのか分からないが、足を取られて前のめりにつんのめってしまった。
昨日降った雪の柔らかさのせいか、痛くはなかったが、雪の中に顔がうずまってしまった。
「冷たい……」
ゆっくり両手をついて顔を上げた。
どうしてこんなところで転んだのか、悔しいのと、顔にかかった雪の冷たさで涙がこみあげてくる。
でも泣けない。泣く代わりに一人で笑いながら起きあがろうとして、その場にお尻を付けたまましゃがんであたりを見回した。
こんな山の中の峠道、見ている人は誰もいない。
鈴子は、腹いせ紛れに雪を片手でつかんで、前に放り投げた。
雪は手元で砕けて顔の前で粉雪となって顔に降りかかってきた。
思わず、顔をそらして耐えた。
「冷たい……」
重ね重ね悔しさがこみ上げてきた。
「大丈夫……?」と、子供の声に驚いて顔を上げた。
「大丈夫……?」
幼女は、もう一度訊ねた。
「おばさん、ちょっと転んじゃってね。でも、もう大丈夫。今起きるからねー」
鈴子は膝に手を置き、「よいしょ」と声を上げて立ち上がった。
それを見て幼女は、お尻にズボンに積もっている雪を急いで一生懸命に小さな手で払ってくれた。
「ありがとう、冷たいからもういいよー」
幼女は、紺色の絣の着物を着ていた。
兵児帯のピンク色がかわいい。
でも、幼女の手には手袋がなかった。
鈴子はもう一度ひざまずいて、急いで手袋外して、幼女の手の平についていた雪を払って、両手で擦りながら幼女の手を急いで温めた。
「冷たい手をしているねー、どこから来たの?」
幼女は笑って答えた。
「お空の上から……」
「そうなんだーあー、冷たいところから来たのねー」
鈴子は、もう温まったと思い、自分の付けていた手袋を幼女に付けてあげた。
「これで暖かいからねー」
幼女は飛び上がって喜んで手袋を空にかざした。
「わーあー、手袋、手袋……」
飛び跳ねてよろこぶ幼女を追いかけながら、峠の頂上に向かった。
頂上は、町の人の憩いの場になっていて町中が見渡せるように、視界を遮る熊笹も大木も切り取られ、ちょっとした展望台になっていた。
そこには丸太で作ったベンチもあり季節に変わりなく鈴子はここに座って町を眺めるのが好きだった。
そして、今日も峠を登り切ったご褒美に、ここで一服するのが楽しみだった。
リュックを降ろして、大きなため息とともに丸太のベンチに腰を下ろした。
そしてリュックの中から、魔法瓶のポットと、お昼に残しておいたサンドイッチを出した。
眼下には真っ白に雪化粧した街が見える。
鈴子は、ポットのお茶をカップに移しながら、さっきの幼女を目で探した。
「あれ、どこに行っちゃったかな?」
多分、峠を降りて行ったのだろうと思いながら、茶を一口飲んだ。
最近のここでの楽しみは、この展望の良い風景だけではなく、決まってこの時間に、ここに座っていると、サンドイッチの匂いに誘われてなのか、どこからか何匹かの子ウサギがちょこんと出てくる。
それを見て、持ってきたサンドイッチを投げてやる。
子ウサギは喜んで食べている。
それを見ていると心が和らぐのだった。
今日もやっぱり真っ白な子ウサギが三メートル離れた所にいた。
「元気でよかった。でも、一匹いない……」
野生の子ウサギとあっては、人間を含めて天敵は数えきれない。
少しでも上手に逃げて長生きしてほしいと願うしかなかった。
「ウサギ、美味しそうに食べているねー」
その声に驚いて振り向くと、さっきの幼女が立っていた。
「あ、ごめんねー、おなかすいていたかな? 今日はあれしか持ってこなかったから……、ごめんね、ウサギさんにあげちゃった」
「おなかすいてない……」
幼女は笑って答えた。
「でも、どこの子だろうねー、……、お母さんと来たの?」
「お母さん?お母ちゃん!」
幼女は言い直して、また笑った。
「そうよ、お母ちゃんはどこ?」
幼女は、鈴子を指さして言った。
「お母ちゃん!」
「えーえ、私はおばさん。あなたのお母ちゃんはどこに……?」
幼女はもう一度鈴子を指さして言った。
「お母ちゃん!」
進展しない幼女との会話をよそに、もう一度あたりを見回した。
けれども二人とウサギ以外、誰もいない。
「困ったわねー、もうじき日が暮れるわよ。家に帰らないと……」
鈴子は、迷子かもしれないと思った。
でも、迷子にしては、明るい迷子だと思った。
それとも捨て子。
ここで待っていてと言われて、母親が迎えに来るのを永遠に待っているのだろうかと……
あたりが少し暗くなったと思った頃、大きな牡丹雪が音もなく静かに雪のカーテンを降ろすように落ちてきていた。
さっきまで見えていた下界の様子は牡丹雪が覆い隠してしまっていた。
「困ったわね……」
鈴子でさえ、いつまでも幼女と、ここにとどまってはいられない。
もう一度、困った挙句にあたりを見直すと、赤い傘をさした着物姿の女性が牡丹雪の向こう側に立っていた。
鈴子は、同じ着物姿であることから直感でこの幼女の母親だと思い安堵して声をかけた。
「お母さん、お子さん、こちらにいますよっ!」
鈴子は手を振って、もう一方の手で幼女の手を取って、傘の女性に歩み寄った。
そして、近づいて、その異様さに足を止めた。
彼女の着物は一重の長襦袢のような浴衣のような白い着物で、赤い半幅帯か兵児帯のような簡単な帯で締められていた。
足は素足で赤い鼻緒の黒塗りの駒下駄が目立っていた。
この雪の中で素足に下駄というのも異常なこと……
それに傘の中を覗けば、髪は黒く長く胸のあたりまで伸びていて、着物の胸元は、はだけて白い肌があらわになっていた。
顔を見れば、やはり白く透き通るような美しさで、二十歳半ばの女性に見えた。
「あのー、この子のあ母さんですよね?」
鈴子は、恐る恐る声をかけた。
「その子は、ゆきんこ……、雪の子供。私の子供ではないのよ……」
この女性の口は動いてない。
でも話しているように聞こえる。
「え、でも同じ着物で赤い帯で、同じ駒下駄……」
改めて幼女の足元を見るとやはり裸足で駒下駄だった。
「いいえ……、あなたには見えない? ここにはゆきんこが数えきれないくらいいるのよ……」
「どこのお子さんなのか知っているんですよね?」
鈴子は名前をゆきんこと呼んだことで、母親でないにしても、知り合いだと思った。
「ゆきんこは、雪の子供。冬の雪の中から生まれて、春に根雪とともに消えてゆく定めの子……」
「何を言ってるのよー、この子は、あなたの子でしょう!」
鈴子は語気強く言った。
「いいえ……、誰の子でもないわ……、でも、あなたは雪ん子に好かれているようだから、あなたが人の子として育てるのなら、春を超えて生きられるかもしれないけれど……」
「冗談じゃないわー、子猫じゃあるまいし、あなた、この子を捨てるつもりでしょう!」
鈴子は、捨て子か無理心中をしようとしているのか分からないが、その姿と言い回しで尋常でないことが分かった。
惨事にならないうちに保護しようと、止めた足を駆け足に変えて、彼女の腕を捕まえようと腕を伸ばしたところには腕はなく、どこだと前を見れば五,六メートル先に傘を回しながら歩いていた。
「え、いつの間に……」
もう一度捕まえようと走り出そうとすると、いつの間にか幼女が腰に巻きついていた。
「お母ちゃん、お母ちゃん!」
「おばさんは、お母ちゃんじゃないわ。あそこの人がお母ちゃんでしょうー」
そう言って、もう一度前を見ると、傘の彼女はいなかった。
いつしか、牡丹雪も止んでいた。
「あれ……、夢でも見ているような……」
でも、幼女は現実にここにいる。
「困ったわね……」
もう、そこまで、夕闇が迫っていた。
鈴子は仕方なく幼女の手を取り山を下りた。
取りあえず、その足で町の駐在所に出向いた。
「鈴子さん、旦那さんの具合はどうかね?」
「相変わらずです……、それよりも、この子、どこの子でしょう?」
静子は、顔を幼女に向けて、駐在さんに示した。
「見かけない子だねーえ、どこにいたんだね?」
「山の峠道で会ったんですが、一人みたいで、暗くなるから連れてきたんです……」
峠で会った傘の着物の女の人のことは言わなかった。
今にして思えば、あまりにも現実離れしていた。
「それは、また……」
駐在さんの頭にも不吉な予感が走った。
「お嬢ちゃん、こっちにきてちょうだいな。お名前、言えるかな?」
「いっや、おじさん嫌い!」
幼女はそう言って鈴子の後ろに隠れた。
いかつい警察の制服が怖かったのかもしれない。
「おじさん、嫌われちゃったかなー」
お巡りさんは、頭をかいた。
「私は、ちょっと好かれちゃって……」
「どうします……? 本庁に行けば一日くらい面倒を見てくれると思いますが……」
駐在さんは、鈴子の後ろに隠れている幼女を見ながら言った。
「いえ、一日くらいなら私の家に泊めておきます……」
鈴子は、幼女を一人にするには、あまりにも寂しすぎると思った。
「そうしてもらえるとありがたい。そのうち親も気が付いて探しに来るかもしれんから……」
「そうですよね……」
「一応は、有線で町中に知らせてもらうことにしますから……」
駐在さんは、机に座ると、日誌に記録を付け始めた。
「お願いします!」
「あ、名前は……?」
「ゆきんこだとか、でも多分違うと思いますが……」
「まだ分からなんかなー」
「多分……」
鈴子は、幼女を連れて家に帰る途中、大変なことに気が付いた。
幼女の着替えが一つもない。
簡単に引き受けたが、大変なっ出費とばかり頭を痛めた。
「じゃあ、お洋服買に行きましょう」
「うん!」
幼女は大きく頷いて鈴子の手を引っ張って歩き出した。
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