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10 @2013年、東京、新宿
@2013年、東京、新宿
明とはじめて二人で飲みに行ったのは、新宿の歌舞伎町だった。
今週末は冬服を出したほうがいいだろうか、まだ早いか、来週あたりがちょうどいいか、そんなことを考えている時期だった。
サラリーマンや若い学生たちが溢れる大衆的な、でもチェーン店ではない居酒屋で、二人で向かい合った。
唐揚げやポテトのような若者が好むものから、塩辛や松前漬けのような珍味まで幅広いものでテーブルを埋めた。
明は、自分と同じように好き嫌いが少なかった。それにまず好感をもった。食べ物の好き嫌いが激しい人間は、人に対するそれも激しいように感じるからだ。
明は玉子焼きが好きで、だし巻をおかわりしたことを覚えている。
明は聞き役だが、話下手というわけでもなく、しゃべるのが嫌いというふうにも見えなかった。
初対面の相手を前にすると、沈黙が怖くて喋りまくってしまう自分を、うまくフォローしてくれたように思う。
自分が喋らなければ、明が口を開いたのだろう。明はそんなふうに相手をみて、どう行動するかを考えることのできる奴だった。
二時間ほど店で話し込み、外へ出た(店が混んできて、二時間制で追い出されたのだ)。
そのまま解散するのもなんだか寂しくて、それを口にすると、明も賛同してくれた。
二人で、のんびりと喧騒の中を歩いた。いつしか、人の影は減っていき、高い建物が続く西新宿の街へと流れついた。
気づけば、店を出て一時間ほどが経っていた。
そろそろ帰らないとと思い、下を車が走っている陸橋で足を止めた。
欄干に腕をのせ、下を覗き込んでいると、隣に明が立った。同じように、下を見ている。
夜の国道は、大きなトラックやタクシーが多かった。皆、一様にスピードを上げていて、車体が切る風の音が響いてくる。
「早いね」
明が言った。
「うん」
とだけ返す。
何年も一緒にいる友達といるときのような気楽さを感じ、心が明るく軽くなった。がっつり会うのは初めてなのに、不思議な感覚だった。
穏やかな明は二丁目で会う友達とは違い、静かだ。でも、暗いわけじゃない。
一緒にいると気持ちが浄化して、前向きになれる。そんな気がしたのだった。
譲は明を見た。明はじっと下を見て、行き交う車に視線を当てている。
こちらの視線に気づいた明が顔を上げ、笑い、口を開いた。
「ちょっと酔った」
「酔っちゃったね」
それだけの会話を交わし、再び黙り込む。
明は、今度は空を見ていた。ビルを見ていたのかもしれない。つられるように上を向いて、視線を泳がせた。
お互いにどタイプではなかったと思う。でも、それが良かったのだろう。
見た目で急速に惹かれ合えば、すぐに体の関係を持ってしまい、流してしまうようなありふれた関係になってしまっていたかもしれない。
「なあ」
「ん?」
「なんで、あの時、風呂屋の前で俺に声かけてくれたの?」
「・・・」
「なんで?」
「・・・ひどい世の中だなと思ったから」
意外な回答だったし、何が? と思った。
「え?」
「こんなにかっこよくて、優しそうな人が、あんなところで、泣いてるなんて、ひどい世の中だなと思ったから」
「・・・」
「ゲイだからってだけで、そんな・・・」
ゲイであることで社会で、会社で弾かれていると感じることは多々ある。
カミングアウトしていないので、嘘をつかなければならないことや気持ちを抑えなければならない場面も多く、なんで自分だけと思うような窮屈さは確かに感じていた。
でも、あの涙はそうじゃない。単に失恋して流したそれだ。
そうは思ったが、明の勘違いを正すことができなかった。嘘はつきたくなかったが、でも、目の前の明の思いも否定したくなかった。
「この人を守りたいって、衝動的に思った」
明はそう言って、照れたように小さく笑って、続けた。
「僕は強くないから、自分の悲しみと向き合い続けたり、それに打ち勝ったりするのは無理だって感じてるときで・・・だったら、誰かを守ることで、強くなれるかもしれないと思った」
明は誤解してると思ったが、そうではなかった。
笑うと少し信男に似てることに惹かれ、明と連絡先を交換するような、そんな自分の弱さを、あのときの明はすでに見抜いていたのだと思った。
「なに言ってるんだろ。わけわかんないよね? 気持ち悪いよね?」
明はそう言って気弱な笑顔を浮かべた。
そんな明から目が放せなかった。
「結局、自分が寂しかっただけかもしれない・・・」
俺も、そうだ。
思ったが、なぜか言えなかった。代わりに、ゆっくりと明に近づいた。
そして、明の後ろに回り、そこそこにがっちりはしているが、自分よりはずっと細いその体をゆっくりと抱きしめた。
明は、されるがままになっていた。
だから、抱きしめた腕に力をこめた。
「苦しいよ・・・」
それでも力を緩めなかった。すると、明は少しだけ身をよじって、後ろを見た。そして、こちらの肩に額をあてて、止まった。
ずっとそうしてきたかのように、収まりが良かった。
心地よさを感じながら、遠くの空と、近くの高いビルを眺めた。
明が小さく震えているような気がした。実際は、その髪の毛がビル風を受けて揺れているだけだった。
それでも、明が心細さを感じているような気がして、思わず口を開いていた。
「怖くないよ・・・」
声をかけても、明は顔を上げない。
「一緒に飛べるよ」
そう続けると、明はだらりと下げていた両の腕を持ち上げ、背中に手を回してきた。
そして、それらにぐっと力を入れて、自身に引き寄せた。もともと隙間のなかった二人の体が、さらに密着した。
思わず目を閉じていた。
じわりと明の温もりが伝わってきて、再び力をこめて、その体を抱きしめた。
明が再び小さく動いているように感じた。今度はほんとに、その肩が少し震えていた。
どこかから車のクラクションが響く。
譲は明の重みを肩に感じながら、しばらくの間、そのまま抱き合っていた。
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