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12 @2013年、東京、明
@2013年、東京、明
吉行が急に消えた。福岡に転勤になったのだ。
急な転勤だったのか、前から決まっていた転勤だったのか、明には知る由もない。
ただ、いきなり自分を見つめていた視線を失い、明はバランスを失った。
吉行の視線に支えられていたと、そのときはじめて気づいた。
目指していた漫画家にもなれず、三十を超えて将来の望みのない派遣社員の不甲斐ない自分を見つめてくれる誰かがいる。
そのことが、いかに自分の崩れかけたプライドを修復してくれていたのかを改めて知った。
これだけ強く自分を支えてくれていたのだから、吉行の気持ちもそれ相応に強かったということだ。
どうして自分を見るのか。
確認したことはなかったが、その強い思いの源は恋以外のなにものでもないのではないか。
そうは思っていたものの、追われることに安心して、それを確認しようと思わなかった。
確認したところで、容易に進める道ではない。
同じ職場ということが逆に枷になる。
まして、吉行は正社員だ。二人は明るく若い独身男女のように、くっつけば周囲に祝福されるようなものではない。
迂闊なことはできないだろう。
そう思って、吉行の想いをただ受け流していた。自分はいかに傲慢だったか。
明は、吉行が自分に何も言わずに目の前から姿を消したことに腹を立て失望しながらも、納得もしているのだった。
心に空いた穴を埋めるように、明は遠ざかっていた男たちだけが集う世界に再び足を踏み入れた。
二丁目や新橋にある狭い飲み屋に、男たちが集う銭湯やサウナ、そしてハッテン場。
上野や横浜にも足を運んだ。何かをしていなければ、吉行のことで頭がいっぱいになる。
吉行で頭を一杯にしても、連絡をとったり、会いにいける関係ではないのだ。
だから、それをしたくなくて、一人になりたくなくて、家を出て、街を歩いた。
誰かと喋り、ときには触れ合って、短い言葉を交わす。
吉行を超えるような出会いがあるわけないので、出会いは求めないと思いつつ、どこかでそれを期待していた。
男を求めて街を彷徨うのは、五年ぶり、前の男と別れて以来のことだった。
その男とはアプリで出会い、相手の強い気持ちに押し切られて付き合ったものの、明の恋心に火がつくことはなかった。気づいた男が別れを切り出してくれた。
それが苦い記憶となっていたため、明は男を求めることはなくなっていたのだった。
それなのに・・・ 寝た子を起こされ、投げ出されて、一人ぼっちにされた。
何にもなかったほうが良かったと、恋や恋のようなものを失ったときに必ず思うことを、明はまた感じているのだった。
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