13  @2013年、東京、譲

1/1
前へ
/20ページ
次へ

13  @2013年、東京、譲

@2013年、東京、譲  一緒に暮らしていた中野の部屋から、中野信男が突然消えた。春はまだ遠いと感じるような、肌寒い日のことだった。  身の回りの必要最低限のものだけを持ち出していたので、信男が消えたことにしばらくの間、気づかなかった。  酔っぱらって、友達のところにでも泊まりに行ったのだろうと思っていた。  信男は洋服も大半のものを残していたから、信男が消えたことに気づいてからも、すぐに戻って来るだろうとどこかで思っていた。  発作的に家出をしたのだろう。  しかし、そうではなかった。信男は帰って来なかった。  三か月、半年と時間が流れるにつれ、譲はそれを認めざる負えなかった。 **********  二丁目の飲み屋で出会い、お互いすぐに気に入った。信男は友達が通う店の店子で、譲より六つ年下だった。  譲にとっては珍しい一目惚れだった。相手も同じ気持ちでどれだけ嬉しかったか。  二人はすぐに付き合い始め、一年ほどして、一緒に暮らすようになった。  それから一年が経っていた。楽しくてあっという間だった。  お互いを貪り求めるような情熱は下火になってきたが、代わりに穏やかで温かい日差しに包まれるような日々を手に入れた。  喧嘩することはほとんどなく、あるとすれば、信男の仕事に関することだった。  いつまで店子をするのか、水商売で生きていくなら店を持つような将来像を描き、それに向かって頑張ったほうがいいのではないか。  年上の譲が説教臭くならないように話を出しても、信男は「三十になったら考える」と笑っていた。  あれが信男を追い詰めていたのだろうか。  信男と出会って二年、信男は三十になる前に譲の前から姿を消した。 **********  譲は信男との共通の友達と会いたくなかった。信男のことを口にしたくなかった。  言えば、恨み事になってしまうし、それを言ってしまえば、信男はほんとに戻ってこなくなる。そんなことを思っていた。  まだまだ、信男を信じていたかった。  そうしていたら、話す友達もいなくなった。  譲の日々はわずか二年の間に、信男にすっかり覆い尽くされていたのだった。  二丁目に出れば、信男を思い出すし、信男のことを話題にしたりしなければならなくなる。  二丁目は信男が働いていた街なのだから。  思い出はそこここに転がっているし、知り合いも数えきれない。  譲は二丁目からも離れた。吐き出せない気持ちで、体をパンパンにはちきらせたまま。  そして、心の中は信男で一杯なのに、その場限りの男の温もりを二丁目の外に求めたのだった。  二丁目から離れるのは、十数年ぶりだった。  名前を聞けばたいていの人が知っている東京の私大に合格し、群馬の田舎から東京に出てきた。  期待で胸を一杯にして、すぐに二丁目に出た。最初は恐る恐るだったが、運よくすぐに気のいい仲間を得た。  そこからは二丁目が自分の中心になったと言っても過言ではない。  ずっと譲はこの小さな街とその周辺で過ごしてきた。  若い頃の自分は、本当に調子に乗っていたと思う。  高校まで水泳で鍛えた体は、男たちの視線をすぐに集めることができた。背も高く、自分で言うのもなんだか顔も悪くない。  そして、なにより若かった。周囲のほとんどの男たちを圧倒し、惹きつけることができた。  この街で勝ち抜くためのものはすべて兼ね備えていたと思う。  何人かの男たちと真剣に付き合い、一夜だけ触れ合った男の数も両手両足では到底数えきれない。いい出会いも悪い出会いも繰り返してきた。  熱狂を抜け、ずっとこれを繰り返していくのかと空虚さを感じ始めたころに信男と出会った。  自分は救われたと思った。でも、違った。  目の前に垂らされた蜘蛛の糸は、譲に夢を見させてからぷつりと切れ、譲を深い谷底へと突き落とす。  こんなことなら、信男と出会うことなく、二丁目で男たちと盛り合っていたほうが何倍も良かったと思う。  その日々に少しの虚しさや、ただ似たようなことが繰り返される徒労感を見出すことはあっても、そんなことから目を反らすのは、ほんとはもう慣れっこになっていたのだから。 **********  久々に二丁目を出て、外の世界を彷徨った譲は、またひとつの救いを手にした。  横浜で出会ったのは、笑うと信男に少し似ている、でも、決してこちらに寄りかかろうとしないところが信男とは正反対の明だった。
/20ページ

最初のコメントを投稿しよう!

32人が本棚に入れています
本棚に追加