02  @2013年、横浜

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02  @2013年、横浜

@2013年、横浜  横浜イチの賑やかな歓楽街の外れにその銭湯はあった。  高さのあるマンションに囲まれて建っている小さな三階建ての古いビルがそれだ。  建物は場違いな、そして銭湯の屋号を記すには少し派手すぎるネオンに彩られている。  建物の一階は駐車場とコインランドリーになっていて、ビルは小規模ながら風呂に入る人や洗濯ものを抱えてくる人などの多くの人を迎え入れている。  そのビルに、明も吸い込まれるように入っていく。  明は疲れた顔をして、二階の入口に姿を現わした。 「いらっしゃいませー」  受付のおばちゃんから、声量のある乱暴な口調で言葉をぶつけられる。  明は小さく会釈を返し、入口のすぐ側にある自動券売機で、入浴とサウナとタオルがセットになった入場券を購入する。  脱いだ靴を靴箱に入れ、靴箱のカギとともに入場券をおばちゃんに差し出すと、代わりにバスタオルやハンドタオル、種類の違う2つの鍵をどすんと受付台に出された。 「二時間でお願いします」  明は小さくお辞儀をしてそれらを取り上げ、男湯へと入っていく。  脱いだ服をロッカーに入れ、鍵をかけ、その鍵ともう一つの鍵のバンドを手首につける。  小さなタオルを手に、湯気で曇る風呂場へと入っていった。  体を洗っている老人や幼い子供の頭を洗ってやってる若い父親などがいる中で、浴槽につかり、じっと明を凝視している男がいる。  そのねっとりと値踏みするような視線は覚えのあるものだった。  明は男と視線を合わせないようにして、奥に進んでいく。男が浴槽から出たのが視線の端に入ったが、見ないようにした。  湯舟の向こうには、小さなドアがあった。  玄関のポーチにあるような小さなものだ。そのドアについている鍵に、ロッカーキーではない、もうひとつのキーを入れて回し、ドアを開錠し、サウナエリアへと入る。  さっき浴槽に沈んでいた男が、続いて入ってきたが無視し続ける。  サウナは一階だけではなく、二階にもある。  広さは同じぐらいだが、二階のサウナのほうが温度が低く、長居しやすいものだ。  明は、一階のサウナには入らず、階段をあがり、二階のサウナへと進む。男はまだついてきている。  もうどうにでもなれ。  明は捨て鉢な気持ちで、足を動かす。  二階のサウナのドアを開けると、ひな壇のように二段に席が設けられた空間に三人の男がいた。  明は一段目の空いている隅のほうに腰を下ろし、小さなタオルで前を隠した。ついてきていた男が、隣に腰を下ろす。  じっとこっちを見ている視線を感じたが、気づかないふりを続ける。  冷たいようだが、欲望に応じられないのなら、早めにサインを出すのが、この界隈の礼儀だ。  男は、足首にロッカーキーをつけた日焼けした脚を、明の白い脚に撫でるように当ててくる。  明は気づかないふりを続けた。  それでも男は諦めきれないようで、明の腿に手を置いてきた。明はその手をゆっくりと退け、拒否を示す。  男はつまらなそうな顔をして、サウナを出ていく。  明はほっと息を吐き出し、改めてサウナの中の男たちを見た。  少し離れて並んでいる座っている男に視線が吸い込まれる。  大きな人だな。  薄味だが精悍な顔つきの男が、少し足を開き、腕を組んで座っていた。  そこの部分はきちんとタオルで隠している。  顔も体も筋肉質だな。  きつく目を閉じた男の顔を覗き見ながら、明は思う。  なんか、韓流スターみたい。色も白いし。  見ていると、サウナに入って来る男や出ていく男は何らかの形でその男にアプローチをかけていくが、男はそれをやんわりと断り続けていた。  拒否された男の中には、あからさまに舌打ちをする男もいたが、男は少しも動じなかった。  そんな様子に明は好感を抱き、この男に釣りあいそうな男はここにはいないなと思った。  気づけば、サウナにはその男と明の二人が残されていた。  ふたり分離れた並びに座っている、その男は腕を組み、じっとしたままだ。顔も体も汗に包まれている。  温度がそれほどでもないサウナでも長く入れば当然汗だくになる。  この人、ただのノンケのサウナーなんじゃないの? こういうサウナって知らないのでは?  そうも思うが、男たちの誘いをいなしていた様子を見ると、そうではないことがわかる。  男は誘われることにも、断ることにも慣れている。  明は改めて、その男をゆっくりと観察した。  広い肩幅、厚い筋肉で盛り上がった胸、少し毛深いが、長く筋肉質な脚。  完璧な体だな。トレーナーか何かかな?  見ていると益々男に興味が湧いてくる。今度は男の顔をじっと見た。  整っていることにばかり気をとらえていたが、目の下はクマで黒ずんでいる。  頬にも陰りがあったり、男の顔にはそれなりに疲れのようなものが散らばっていた。  男の顔を見ながら、明は自分の目の下を撫でた。そこも寝不足のため、男と同様に暗く沈み張りがない。  こんないい男でもうまくいかないことなんてあるのかな。  明は、そっと横に動き、男との距離を詰める。  そして、男の肩に、蒸気と汗でしっとりした自分の頭をことりと置いた。  男が明に気づき、目を開ける。 「ごめんなさい。少しだけ」 「え?」  男の低い声が耳に心地よかった。明はゆっくと目を閉じる。 「なにもしないから、少しだけ、このままで」  逃げるかと思ったが、男は逃げなかった。  しばらくそうしていると、男が明の頭に自分の頭を傾ける。  明は驚いたが、そのまま目を閉じ、静かにしていた。すると、明の頬を撫でるように、何かが零れ落ちていく。  それは一度ではなく、二度三度と続いた。  汗じゃない・・・  明は気づかないふりをして、次の男がサウナに入って来るまで、じっとそうしていた。
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