33人が本棚に入れています
本棚に追加
/20ページ
06 @2023年、東京
@2023年、東京
昨夜きっちりカーテンを閉めてなかったせいで、腰高の窓から入る朝日が、ベッドの中で胎児のように丸まって寝ていた明の横顔を強く照らしていた。
その眩しさに、明が目を覚ます。そんなふうに目覚めたので、当然気分は良くない。
それは朝日のせいばかりではなかった。
久々に吉行の夢を見た。
なんで今さら。
吉行の夢を見るたびにそう思う。でも、忘れたころに吉行は夢に現れ、その存在を誇示するのだった。
忘れてほしくないのだろうか。
そんなふうに考え、そんなはずはないと毎回打ち消す。吉行は結婚して、自分の前から姿を消したではないか。
でも、以前と変わらず、夢のなかで、吉行はじっとこっちを見ていた。あの窓際の席に座って。
それだけではない。フロアに立っていた吉行。廊下でこちらを振り返った吉行。
いつもこっちを見ている吉行を、明も目で追うようになった。
視線を感じて振り返ると、いつもそこに吉行がいた。見返すと、反らしたり、受け止めたり。
そんな変化に、いつしか一喜一憂しはじめた自分をくすぐったく感じた。そんなふうに、吉行の視線を求めるようになった。
そうなってしまえば、どちらが先に見つめはじめたかなど問題ではない。
罠にでもかかっているのだろうか。言葉のない関係に、明はなんとなく不安になっていった。
知らずにうちの吉行に惹かれていた自分に気づき、それが吉行の狙いだったのではないかと怖くなる。
恋の沼には、いつも知らず知らずのうちに立ってしまって、気づけば引き返すこともできないのが常なのだから。
明は寝不足の重い体を起こし、ベッドから離れる。
そして、中途半端に開いていた厚いカーテンを、ゆっくりとずらし、朝の光を部屋に招じ入れる。
明は思わず朝の日の眩しさに目を細めた。
まだ、終わってないんだと思う。完全には。
明は、鍵を開けて、窓を開く。すると緩く風が流れ込み、カーテンを揺らした。
「終わらせないと。譲が戻ってくるまでに」
明は眼下の住宅街を見下ろし、小さくため息をついた。
**********
その日、明は一日部屋に籠り、パソコン画面に向かって仕事をしていた。
今の明の仕事は漫画を描くことである。やっと納得のいく仕事を手にし、それだけで食えるようになって、七年ほどが経っただろうか。
浮き沈みの激しい業界で、これだけ長く仕事ができていることは本当にありがたいと思う。
しかし、ここに至るまでの道のりも決して平坦ではなかったのだから、やはり世の中は公平にできているとも思う。
デスクの端に置いてあったスマホが鳴りだす。
伏せていた面を確認すると、発信者は譲だった。明は小さく笑って電話に出た。
「もしもし」
「もしもし、仕事中? いま、大丈夫?」
「うん、休憩してた」
嘘をついて、ペンを置く。
「そっか」
「うん。元気?」
「元気、元気、そっちは?」
「うん、元気」
「そっか、良かった」
「仕事、忙しいの?」
「そうでもないけど、ちょっと忙しくなったかな、異動決まったし」
「そうだよね」
「でも、半年先だし、まだ後任も決まってないから、それほどでもないよ」
譲が約束通り三年で東京に戻れることになり、明もほっとしていた。
「そっか」
「うん、大したことない」
「ムリしないでね」
「ありがと。あのさ・・・」
「うん?」
「俺がそっちに戻ったら、一緒に暮らさないか?」
「うん、実は僕も考えてた」
「良かったー。嫌がられたらどうしようかと思った」
譲のほっとした声に、明は電話口で笑い声をたてる。
「なんで? 嫌がらないよ」
「そうだけど。明は、家が仕事場でもあるし」
「仕事場はほかに借りるよ。ここを借り続けていもいいし。忙しい時はアシさん頼むこともあるしね」
「そっか。それでな」
「うん」
「マンションを買おうと思うんだ」
「え?」
「そんな驚かなくても。俺たち、そんな年頃だろ」
自分は43で、譲は45だ。
言われてみれば、マンションを買ってもぜんぜんおかしくない年だった。
「あ、まあ、そっか」
「それで、どこにするかもしぼってるんだけど」
「え? そこまで進んでるの?」
「俺の頭の中だけでね」
「ああ・・・ で? どこ?」
「うん、都内の10区から選ぼうかと」
「10区?」
「パートナーシップ制度って知ってる?」
「もちろん。名前だけだけど」
「それを実施してるのが、都内では10区なんだよ」
「そうなんだ」
「俺にもしも何かあったら、明になにができるんだろうって思って」
そんなこと自分は考えてなかったと思い、明は秘かに慌てる。
「なに、それ。早すぎるよ」
「何があるかわからないだろう」
「そうだけど。でも、まだそんなこと考えなくても。年もそんなに変わらないし、僕が先に逝くかもよ」
「それは、そうなんだけど、何かしたいんだよ。しておきたいんだよ、できることは。俺たち、結婚はできないだろ」
「うん、まあ。それは、そうだね」
「パートナーシップ制度があっても、相続とかは難しいみたいなんだけど、でも、制度も変わっていくだろうし」
「うん」
「だったら、あるところのがいいかなって」
ないよりはあるほうがずっといい。
「うん、確かに」
と明は同意する。
「賛成してくれる?」
「もちろん」
「良かったー」
「当り前じゃん」
すぐに言葉にはできなかったが、譲の気持ちがありがたいと思う。
腹の中からじんわりと温まり広がるような、そんな優しさを感じた。
譲の優しさは、いつもそんなふうに明に伝わる。
「ほっとした。じゃ、ほっとしたところで、切ろうかな。どうせ、ほんとは明、仕事中だろうし」
「ばれてました?」
「なんでもお見通しですから」
二人は同時に笑い声をたて、どうでもいいような話を十分ほど続けた。
「じゃあな。無理すんなよ。おやすみ」
譲が電話を切ろうとする。
「譲」
「ん?」
「ありがと」
「・・・」
「いろいろ考えてくれて」
「当り前だろ。じゃ、ほんとに切るぞ。おやすみ」
「おやすみ」
明はスマホを耳から離し、ゆっくりとデスクに伏せ置く。
そして、椅子から立ち上がり、窓辺に近寄っていった。
カーテンを細く開け、暗い窓に映った自分の顔をじっと見つめる。
「マンション、か」
それが今の二人にどうしても必要なものかと問われると困るが、あってもおかしくはないものだと思った。
それになにより、譲の気持ちがありがたかった。
明はざっと音をたて、今夜はカーテンをきっちりと閉める。
そして、窓辺を離れ、再び仕事をするためデスクに向かった。
最初のコメントを投稿しよう!