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 事件の犯人は、必ず事件現場に戻ってくる。  刑事ドラマなどのフィクションではおなじみのフレーズとなりつつあるこの犯人の心理は、実際に起きた犯罪でも同じように当てはめることができる。犯行現場に証拠を残さなかっただろうか。凶器は見つかっていないだろうか。目撃者はいなかっただろうか。現場付近に防犯カメラが設置されていなかったか。  要するに犯人は、安心を求めるのだ。警察が自分以外の誰かを疑ってくれること、まったく見当違いの捜査をしてくれることを犯人は望み、そのとおりになっているか確かめたくてたまらなくなる。テレビなどのマスメディアで報道される内容には限りがあるため、詳細な情報については自分の力で手に入れるしかない。  だから犯人は現場へ戻る。捜査の進捗状況を自分の目で確かめ、警察が自分を追っていないことをきちんと確認するために。  今回の事件もそうだった。閑静な住宅街で起きた強盗殺人事件。念願だった刑事課の所属になってはじめて担当する凶悪事件に、(みなと)は妙な高揚感に全身を包まれながら現場検証に臨んでいた。  ごくありふれた二階建て住宅に、十五歳の少年とその母親の刺殺体。それぞれの財布からは現金が抜き取られ、荒らされた室内からは宝飾品などが盗まれていた。事件発生は午後四時頃。白昼堂々の犯行だった。  日没まで残り一時間と迫る午後五時。現場検証に一段落がつき、湊は先輩刑事とともに犯行現場となった被害者宅から外へと出た。野次馬やマスコミ連中を遠ざけるために張られた規制線の向こう側は、近隣住民をはじめとした多くの人でごった返している。  そりゃあこうなるよな、と湊は納得顔で息をつく。凶悪事件とは無縁といった雰囲気の場所だ。いったいなにが起きているのかと、好奇心を駆り立てられるのも無理はない。  なにげなく目をやった群衆の中に、黒いキャップをかぶった少年を見つける。被害者の少年と年格好が似ていた。つばを下げて顔を隠す風でもなく、低い背で背伸びをするように現場を覗き見ようとしている。  吸い込まれるように、湊は少年の動きを見つめる。湊の視線に向こうも気づき、まっすぐに目が合う。  少年がキャップのつばを下げ、湊に背を向けて立ち去った。彼の左手がつばに触れる直前、湊と視線が重なった瞬間、小さく息をのむような仕草をしたのを湊は見逃さなかった。  考えるよりも早く、地を蹴るように走り出す。黒いキャップにグレーのパーカーを羽織った少年。追いかけるべき背中を見失わないよう、器用に顔を上げたまま規制線の黄色いテープを跨ぎ、人混みをかいくぐる。  少年の背中はかろうじて見えていた。向こうも素早く群衆をかき分けながら進み、やがて猛然と走り出した。 「ちょっと! 待ちなさい、きみ!」  湊は声を張り上げ、少年を追いかける。足には少し自信があり、反対に少年は走るのがあまり得意そうではなかった。  二人分の足音と、弾む呼吸のメロディーが住宅街に反響する。十分に距離が縮まったところで、湊は少年の右腕をつかんで強引に立ち止まらせた。
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