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冬が過ぎ、暖かくなって春の兆しが見えたころ、春佳は再び雪之介と会うことができた。
彼は、中庭にいた。車いすに乗って。
「ユキ……」
声をかけるのを躊躇するくらい、彼は随分と痩せていて顔もやつれている。
だけど、春佳の顔を見るなり、いつもの優しい笑顔を見せてくれた。
「春佳、久しぶり」
「……もう退院したのかと思ってた」
「ちょっと、寝込んでた。でも、今はけっこう調子いい」
「そうなんだ」
雪之介は、写真が載っている本を見ていた。
「写真集? 好きなの?」
彼のことが知れるかも。そんな好奇心から春佳は雪之介に尋ねた。
「あ、これね。オレが撮った写真」
「え!? ユキが撮ったの? 見たい」
「いいよ」
そこには、美しく咲く桜の写真ばかりが載っていた。
「桜が好きなの?」
「好き。ピンク色、可愛いだろ」
「……うん」
「え? なにその反応。春佳は桜好きじゃないの?」
雪之助は目を丸くして驚いた表情をした。
だいたいみんな同じリアクションをする。
一般的に桜は、きれいで誰もが大好きな花だからだ。
「元々は、桜は好きだったんだけどね。私が桜の花見の計画を立てると、必ずと言っていいほど、邪魔が入るの。一緒に行く人だったり私だったり、用事が入って見に行くことが叶わないのよ。あまりにも続くものだから、私は桜に嫌われてるんだろうなって。そう思ったら、桜のことが嫌いになっちゃって」
そこまで言ったら、身体を震わせて笑う雪之介。
「そんな理由で、桜嫌いなの?」
「嫌い……。私が花見の計画を立てるから悪いのかと思ったけど、計画立てなければ、やっぱり見に行けないしね」
再び、雪之介は目を細めてクククッと可笑しそうに笑う。
「そんなに笑わなくても」
「ごめん。久しぶりにこんなに笑ったよ」
「でも、この桜の写真はすごくきれい。ユキはカメラマンなの?」
「まだまだなんだけどね。もっといろいろ撮りたい。特に大好きな桜は撮りたいな」
「ユキが写真撮ってるところ、私見たい! この中庭にも咲くよね」
そこまで言って、ハッとする。春佳が桜の写真を撮る計画を立てれば、それは必ず中止になる。自分が参加してはいけないのだ。
「それは、きっと叶わないかな」
雪之介もわかったのか、春佳の思っていることを言葉にした。
自分のジンクスにうんざりする。
「だよね。私は桜に嫌われてるから。撮った写真だけ見せて」
「そうじゃないよ」
「え?」
「オレの身体が、それまで持たないってこと」
ひゅっと喉が鳴った。彼の言葉に、何か返したいのに声が出ない。
「言ってなかったっけ? 俺ね、不治の病。治療法がなくて死を待つだけ。春佳に初めて出会ったときには、余命三か月って言われてて、まだ生きてるんだけどさ」
極めて明るく話す雪乃介だったが、そのあと、視線を落としてかすれた声を出す。
「たぶん、もう無理――」
それは、雪乃介が初めて言った、後ろ向きな言葉だった。
喉の奥がぐっと痛くなり、涙が出そうになる。
患者の前では泣いてはいけない。
そんな思いが頭の中にあり、目線を合わせるようにしゃがんだ春佳は、雪之介の手をそっと握った。すぐに折れてしまいそうなほど指が細くて悲しくなる。
「無理なんてことない。案外、どうにかなるものだって……ユキが言ったんだよ……」
「そうだった、ね……」
「桜……もうすぐだよ」
これって励ましになってるの?
看護師としてどう言えば正解なのだろう。
わからない。わからないよ。
「一緒に、見たいな……それで楽しんでさ、春佳もきっと桜を好きになるよ」
目を閉じて天を仰ぎ、彼は苦しそうに言葉にする。
春佳はそれ以上何も言えなかった。
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