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食事が終わり、僕の部屋に移動する。
向井さんには〈もう少ししてから〉お茶を持ってきてもらえるようお願いしておいた。時間は向井さんの都合が良い時で。
賢志を信頼していないのではなく、賢志を守るための危機管理の内のひとつだ。何かがあった時に第三者の証言がもらえるよう常に気をつけている事で、賢志もβではあるが立場上気をつけるに越したことはない。こちらに来たばかりの時は戸惑っていたが、今ではもう慣れた物だ。
部屋に入りソファーに座るよう促し、部屋に置いてあったスマホを確認する。特にメッセージなどは来ていない。
少し残念な気持ちになりながら賢志の向かい側に座る。
「話って?」
賢志に話を促す。が、なかなか口を開こうとしない。どうしたのかと心配になる。
「こんな事聞いていいのかすごく考えたんだけど…気を悪くせずに聞いて欲しい」
少し考えてから賢志が重い口を開く、
「光流はさ、護兄のことどうやって忘れたの?」
思いもよらない質問に動きが止まる。
護君をどう忘れたか。
なんて質問だ。
忘れてなんかない。
忘れることなんか出来ない。
「ごめん。
好奇心とかじゃなくて、大切な人を諦めるにはどうしたらいい?」
怒りのままに、悲しみのままに当たり散らそうと思う気持ちを抑え、予想していなかった弱々しい言葉に改めて賢志の顔を見る。疲れたような、泣きたいような、戸惑うような、なんとも形容し難い顔で僕を見ている。
「光流にこんなこと聞いちゃいけないとは思ったけど、光流にしか聞けなかったんだ…」
そう言って目を伏せる。
「何があったの?」
「彼女と、別れようかと思って…」
その返事に僕は言葉を失う。2つ年上の彼女は護君や静流君と同い年だったはずだ。
「どうして?」
「彼女さ、俺のことを必要としていないんだ。
多分だけど、俺はいてもいなくても同じ存在。
自分の邪魔にならない程度に近くに置いておきたい相手だとしか思われてない…」
絞り出すような言葉だった。
「来年、俺たちも4年だろ?進路のこととか
色々考える時期じゃない?就活するならそろそろ始めないとだし。
で、彼女がこっちに来るなら静兄の秘書見習いやりたいし、こっちに来ないなら向こうで就職するのも有りかなって思ってたのね。
正月休みに会いに行った時にも話はしたんだけどなかなか折衷案が出なくて…」
「それで別れるって話に?」
「その時は一旦冷静になって改めて話そうってことになったんだけど…。時間がある時に電話で話してはいたんだけど、結局彼女は俺に合わせる気はなくて、じゃあ俺が合わせるっていうとそれはやめて欲しいって。
来年卒業すると思ってたのに博士課程に行くって言い出すからじゃあ博士を取ったらこっちにくるのか聞いたら地元から出る気はないって。それなら俺が向こうで就職するって言えば自分を理由にこっちに戻ってこないで欲しいって言うんだよ。
別に彼女のためとかじゃなくて、地元に戻りたいからそっちで就職するって言えば『好きにすれば』って突き放されるし。
そこそこ長いこと付き合ってると相手の気持ちって解っちゃうじゃん?
全然俺に関心ないみたいでさ、もう彼女が何考えてるのか全然わかんなくて…」
そう言って力なく笑う。
「昨日、紬さんと少し話したんだ」
突然出てきた紬さんの名前に心臓が跳ね上がる。と言うか、いつの間に?!
「身近に院生いないからさ。博士に行くってどうなのかとか、好きな相手と近くにいたいと思わないのかって。
あの人、頻繁にフィールドワークに行ってるみたいだから彼女はどう思ってるんだろうってね」
彼女という言葉にショックを受ける。彼女がいる可能性を考えていなかっただけに〈彼女〉という存在が重くのしかかってくる。
朝から浮かれていた気持ちが萎んでいくのがわかった。
「紬さんはなんて?」
冷静を装って答えるが、声は震えてないだろうか?
「勉強が好きなら博士に行くのも悪くないみたいな感じだった。ただ、紬さんは付き合ってる相手とはフィールドワーク中も連絡は取りたいし、会えないのなら付き合いを続けていくための努力はお互いに必要だって言ってたよ」
「そうなんだね」
辛うじて相槌を打つ。
そうなんだ…としか言いようがない。
「うちはさ、付き合って欲しいって言ったの自分だし、会いたいって言うのも自分。
それでここに来て就職先考えようとしたらこんな事になってさ。
俺、彼女より歳下だから彼女に認められたくて色々頑張ってきたつもりなんだけど…俺に興味ないんじゃないかな?
何か相談しても『自分で考えて』だし、何か報告しても『ふ〜ん』って言われるだけ。
会いに行っても『来たの?』だし。
別に彼女の為とかじゃなくて、自分が彼女の近くにいたいから悩んでるのに全然相手にされなくて…疲れたっていうか、ね」
賢志は力無くそう言うと大きくため息をついた…。
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