最後の私

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 長い長い散歩は、広大な施設の端から端まで歩いて一旦、小休止となる。その頃には太陽が施設の真上に到達し、私の体が空腹を訴えるからだ。キャビネットから、今度は「カレー味」のパウチを取り出し、少しの間、座って補給する。私以外にも「私」がいたときには、こういうとき、楽しい笑い声が上がったものだった。  しかし、いつまでも感慨に浸ってはいられない。この休憩は、次のルーティンをこなすためのものだからだ。  トイレに行ってから、私は施設を出る。上着は要らない。もう季節なんて概念がなくなってしまったこの世界は、昼間はただひたすらに暑い。  日焼け止めと虫除けだけ身体中に塗ったくって、ひび割れたコンクリートの道路の上を歩く。少し放置するとすぐに植物に覆われてしまうから、「私」たちはいつも総出で草むしりをしながら歩いたものだ。今は私しかいないから、目につく限りの草をむしりながら、出来るだけ毎日、通るようにしている。  植物の生命力は凄まじい。私が知る祝田技師の記憶と、眼前の景色とは全く違う。どうやらこの数世紀の間に、植生まで変わってしまったらしい。植物に加え、野生動物も脅威の対象だ。特別頑丈に作られた施設の中にいる間はいいとして、一歩外に出ると、生身の人間が対峙すべきではない動物もうろうろしている。人間という天敵から解放された彼らは元々持ち合わせていた旺盛な繁殖欲のもとどんどん増え、更には巨大化しているらしい。昔には飼い慣らされた家畜やペットという存在がいたらしいが、そのどれもが、人類が眠りについてから真っ先に狙われていったそうだ。  犬という動物が今もいてくれたら、心の支えになっただろうに。  汗を拭いながら数キロ歩き、たどり着くのはツタで覆われた、大きな建物だ。かつては大学だったらしいが、今となっては風雨にさらされほとんど崩れ、かろうじてもっている外壁が建造物としての名残を留めているに過ぎない。広い敷地内にある大半の建物は一様にそのような状態だが、中にひとつだけ、今でも在りし日の姿を、ほぼそのまま保っている場所がある。  それほど大きくはない、コンビニエンスストア程度の広さの建物の中は、今でも自家発電が機能している。その機密性ゆえもともと頑丈に作られていたらしいが、技師である「私」たちがたびたび修繕しているから、かろうじて生きているに過ぎない。室内には、先ほどまでいた施設にあったのと似たような、人間が入れる程度の大きさのガラスポッドが四台。そのうち一台は破損して、一台は故障して、稼働できるのは残りの二台だけだ。先週まではどちらにも、祝田技師の遺伝子情報とその他材料とから作られた「私」たちの仲間……祝田技師のクローンが入っていた。正確には、まだ完全なヒト型には成りきっていない、クローン胎児が入っていた。  けれど今は、一体だけ。先週、もう一体は死んでしまったから。  その時のことを考えても、心に波ひとつ立たない。もう、声を聞くこともなく葬った仲間は、何体も見てきた。  広大な施設をひとりで管理し続けることになった祝田技師が、ある日思い出したのが、この研究所だった。祝田技師の母校でもあるここで、彼女の友人のひとりが勤めていたのだ。クローン技術なんて大っぴらにできない分野だったので詳しいことは知らなかった彼女だったけれども、努力の天才だったのだろう。有り余る時間を費やして、その使い方を習得した。そうして、「私」たちがこの世に産まれ出ることとなった。
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