anthology

24/26
前へ
/26ページ
次へ
ライオンキッド  私は島森(しまもり)(まもる)という名前を決して忘れない。 コーヒー色に日焼けした自分の右腕を枕にして、守は眠っていた。 いとこが結婚した。 守は迎え酒を呷った。 酩酊してないと自分の母親とも話せないどうしようもない飲んだくれだった。 今年の冬は厳冬だった。 気取られまいと慎重に話したりした。 守は大学の冬休みで帰って来たのだった。 左手の親指だけがヤニに焼けている。 シガーハンズだった。 隣家の旦那さんが死んだ。 確か子供はいないはずだ。 母はムームーを着て女の欠片もない。 友達もクソも。 暗い街だ。 家が病む。 守は川の欄干で煙草を吸っていた。 明後日に流れてる川。 引地川。 本籍地、川崎。 来客の多い日だった。 近所の電気店が来年のカレンダーを渡しに来た。 「お母さんは?」 「お母さんは・・いません」 母はと言うべきだった。 「DUSKINの人ですか? あ、お隣の」 「片瀬(かたせ)です。・・これ」 香典返しという訳か。 「お花、頂いたから」 未亡人というか美貌人だな。 「どうも、この度は・・」 ご愁傷様でした、と口の中で言った。 片瀬さんは頭を下げて帰って行った。 コデマリの角に消えた。 「うちは世聞ですけど・・」 夜行性になった。 夜のすべり台で何するでもなく星空を眺めていた。 patagoniaのパフを着ていた。 誰もいない公園が好きだ。 スイッチョン。 霜。 「島森さん?」 片瀬さんが犬の散歩をして来た。 守は黙って会釈をして帰ろうとした。 「もうしばらくそばにいてくれない?」 秋波だった。 美人は不細工が好きなんだな。 「良人(おっと)は良い人だったわ。うちのやどろくが」 片瀬さんが泣いた。 守はそっと肩を抱いた。 手足が雪のように冷たかった。 犬が鳴いていた。 「あの人の犬だから。言う事なんか聞かない」 胸に指を這わせた。 「クサクサしてるから煙草吸うんでしょ?」 冷気。 吸い込まれそうな瞳。 「私にもちょうだい、それ」 それ以来、守は憑かれたようになった。 上擦った笑顔で家族にも返事をしない。 「金輪際、ウチには近寄らないで下さい!」玄関先で母が怒鳴っていた。 「喪も明けない内から、男たらし込んで・・、早く大学、帰んなさい」 「宗教?」 「いいじゃないか、守も妙齢なんだし」 冬休みが終わった。 そのまま守は帰らずにいた。 消えたたばこをいつまでも口に押し当てたままだった。 神経質だった守は見る影もなかった。 「酔ってるの?」 母がおでこに手を当てた。 守と片瀬はファミリーレスで逢い引きを交わした。 いつも頼むのはのり弁だった。 梅干しも入ってない。 潔癖な関係だった。 出会ってしまった。 ヘルメットバッグが床に落ちている。 乾杯した。 気の抜けたビールで。 「げっぷする奴は早死にする」 乾かすだけの水。 早晩、気付かれもしないで。 ファミリーレスの店内は3分の2が鏡だ。 片瀬は鏡に映らない。 「私、ニーベルンゲンだから」 「何それ」 「私、雪女なのよ」 守は動じない。 「驚かないのね」 守はハーフメットを被った。 「メタルヘッド。心が無いからさ」 「カタツムリライダーね」 「店内でヘルメットはご遠慮下さい」 「動かない男に現代の雪女、生きにくい二人ね」 「僕の前任者は?」 「逃げようとしたから殺した」 「君ってサイコパス?」 煙草の灰を落とした。 二人だけで笑える。 「あの犬も凍死させちゃおうかな」 「カニ」マイルドセブンを持つ手。 「カッペ」 髪がハネてたて髪みたい。 これも神の采配か。 女を抱く度量がないだけだった。 「気分かな」 神様よりも身近。 宝石みたいな目。 上目遣い。 家を出る前に「何月病?」と兄に声を掛けられた。 家が壊れてゆく。 浜辺。 最寄りの果て。 「雨漏(あまもり)さん」 角材で出来た家。 「ここを僕らの棲家にしよう」 打ち捨てられた空き家になった海の家で暮らすようになった。 「二十歳の家」と名付けた。 守は海パン一丁だった。 寒さを感じなくなった。 憂いを帯びた少年が仏像になると言う。 大海。 清い間柄だった。 守と片瀬はなんちゃって婚をしたが、知らせなかった。 すきま風が入る。 よいつぶれて眠った。 身を寄せあって暮らすうち、守は身をやつしていった。 頬はこけ、まるで罪人だった。 「逃げて。私から逃げてよう」 「君を決して離さない」 声が震えていた。 ある朝、片瀬が妊娠した。 想いだけで。 キスして堕ろした。 片瀬の腿を水が伝う。 かきいだく。 爪を立てる。 「心も女で凍るのよ」 「ゆ、ゆきおんな」 美し過ぎる。 「DUSKINの人ですか?」 熱いものが。 「仕返し」 同じ世界に抱き締める。 溶けるおとぎ草子。 花占い。 雪。 夜が明けない朝になる。 波打ち際。 天使の足跡。 唇の皮が剥ける。 旭の海。 片瀬は海に溶けて、白露になって消えた。 守は冷たくなっていた。 「笑ってやがる」 「赤の他人に引き渡されるんですか?」 「配偶者ですから・・」 「可愛い顔して、節操がない」 世聞の見出し。 「何も思わない日本」 「地図から消える日」 父は離婚して一人で病死した。兄はインドネシアに行ってそのまま帰らなかった。母の行方は杳として知れない。 守がどっかの誰かさんと情死したことはいとこにも伏せられたままだ。 ファミリーレスは鏡がとっ払われた。 小説が全てじゃない。 片瀬江ノ島。
/26ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加