最後のアガキでみる夢は

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それから私の景色は一変した。私の時間が色を帯びだしたのだ。 日本でバカロレア認定校に在籍し、DPを取得していたから思っていたよりも早く入学できた。 大学に通う傍ら夫の仕事を手伝い出した。 「学びと実践を高速で繰り返せば意思が意志を生むから。大変だと思うけれど挑戦してみてはどうか」と夫が背中を押してくれた。 管理ではなく、与えて貰う事にこれが愛情と言うものだと夫から教わった。 欧米の大学はとにかくレポート提出が多い。インプットとアプトプットを高速回転させて知識を血肉に落とし込んでいく。 それまで自ら能動的に動いた事がなかったから全てが新鮮で、私は高揚感を初めて味わった。 夫から勧められるまま挑戦をし続けた結果、3年でUCLAを卒業する。 その頃になると夫のビジネスに私はなくてはならない存在になっていた。 経営側の意思決定をする場面でもしばしば意見を求められ、夫の代わりに商談に応じる事も珍しくなかった。 私はやりがいを感じていた。 ただ一つ、気掛かりだったのは子どもを授からないこと。 夫はもうじき35歳。 いよいよ、義両親も孫の顔が見たいと言葉にする様になっていた。 夫は「天からの授かりものだから気にすることはない」と言ってはくれるが、私の中で子を持つイメージが全く湧かない。 今、やっと自分自身が生きている感覚を味わい、時間が色づいて見えるこの世界を手放したくない思いの方が強かった。 そんなある時、夫に投資の話が持ち掛けられた。 低所得者が戸建て住宅を手に入れやすくする為の住宅ローン債権を組み込んだ金融商品。 不動産の売買が増えれば夫の会社も成長することになるからどうかと勧められたそうだ。 話を持ち掛けてきた知人が業界での成功者だったこともあり、夫はすぐに金融商品を購入した。 元来、真面目で親しい間柄の人が悪意を持つはずがないと思っている夫は言われるがまま取引額を上げていった。
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