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「新しい従者(ヴァレット)をお雇いなさいな、エリス」  母の言に「ええ、ええ!」と大きく頷いた。  前の従者はまったくもって苦手な相手だった。何かにつけて意を汲もうとし、ほんの些細なことにさえ僕の決を求める。  くたびれ果てて近付けなくなったら、母が勝手に解雇しておいてくれた。  母の言葉に、それまで渋みと平たい甘さしか感じていなかった紅茶が途端にかぐわしく感じられた。  母がよく時を過ごすこの談話室に薔薇が飾られていたことにもたった今気がついた。  首都ロンドンにある僕たち親子の住むタウンハウスの窓の外は、いつものごとく蒸気機関車や工場が吐き出した煤煙(ばいえん)にくすんでいたけれど、久々に晴れやかな思いになる。 「あなたはずっとこのお屋敷に住むでしょう?  私はこれからはあなたの側にはついていられないから、 次はしっかりとした人を雇わないとね」  母のビビアンは齢三十代の半ば過ぎ程度に見える美しく落ち着いた貴婦人だ。  実年齢を僕にさえ隠そうとする悪癖さえなければ完璧な女性だった。  どうして隠すのだろう?   見た目より年上だとしても、母が奇跡のように美しいことが際立つだけだ。  以前そう言ったら、母は相好を崩しきって――そうすると普段より十ばかりは年上に見えて、僕は母の実年齢に妥当な当たりをつけた――「私のかわいいダニーにそっくりね」と亡き父によそえて僕を褒めた。  僕はそれなりの資産を有していて、母もまた資産家である。  そしてこのほど彼女は更なる資産家となったようだ。  僕の亡き父はいわゆる大地主(ジェントリ)であり、代々受け継いだ資産がある。  母も自身の叔母が亡くなった時に財産を受け継いだ女性であった。  そして、彼女の伴侶であった僕の父が亡くなった後は長く未亡人だったが、新たな良き夫に恵まれ、再婚する運びとなったのである。  汽船の会社を友人と共同経営し、かなりの資産を有する彼女の再婚相手は背の低さが欠点ではなく愛嬌に見える、顔と鼻の丸い男性で、美的ではないが非常に好感の持てる誠実な男であった。  そして母の望む都会の暮らしと、それに()んだときに短期間逗留するための田舎の家を湖の側に持っていて、もう一つの要素と併せ、およそビビアンの人生にとって完璧といって良かった。 「前の従者はSub《サブ》だったものね。あなたには辛かったわね」  母と視線を合わせて曖昧に微笑んだ。 「あなたは本当に何から何まで私のかわいいダニーにそっくりだわ」  緩い癖のある栗毛も、熟し切らないヘーゼルナッツのように緑の入った茶色の瞳も、嫌みなく整った人好きのする顔だちも、父ダニエルの若い頃に生き写し。  無論これは母の言葉である。  なんて自分で言うほど嫌みなことはないということくらい僕だって知っている。  そして何より、僕には父から受け継いだ強い性質があった。
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