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山田警官と小林警官は千葉県警の中でも勤勉と名高い巡査である。
地域の治安維持に励み、住民には好かれる。常ににこやかで、一点の曇りもない好青年。酒も煙草も刺青も、2040年に日本中ではびこる得体のしれない薬にも程遠い存在、それが周囲の人々が望んだ姿であるし、本人たちも努めてその姿勢を崩さないよう、日々生きている。
そう、相手が偽りの姿を見せる価値があると判断できる場合は、の話ではあるが。
丑三つ時の薄暗い街灯のそばで、側溝へ向かって立小便をする山田と紙幣の枚数を数える小林。近くには、ネパール人の死体。小林の足元には空薬莢二つ、ネパール人のどてっぱらにも穴二つ。側溝へ向かって流れるネパール人の血は、山田がまき散らす小便と溶けて混ざり合う。
山田は膀胱を空にして澄んだ表情を見せているが、この状況において発砲及びネパール人男性の死に対する全責任を法的には持つことになる小林の笑顔はそれ以上に澄んだものであった。小林は親の機嫌をうかがうのが得意で、妙に周りの子供たちよりも大人に褒められやすい社会に歓迎されるタイプで、政治家向きと評される子供時代を送ってきた。笑顔を物心ついた頃から、相手によって使い分けるのが得意だった。だから、後ろから不法移民に近づいて射殺し、死体から身ぐるみを剥いでも叱られることはないわけだ。いくらでも周囲に対する逃げ口上を思いつくからだ。子分の山田は小林の目が笑っていないことに気づき、慌てて一物をしまうと、端末を取り出して小林の機嫌を窺い始める。
彼もまた、うまくガキ大将に取り入り、象を殺さずとも象の肉を食べられるタイプの人間である。世渡り上手で、どこをとっても汎用で通常で常識的な人、その評価を本人は誰よりも妥当だと思っている。
「それで、どうするよ」
山田は社会の窓を閉めながら、訊ねる。
「今回は誰を被害者に仕立てる?」
「陳にしよう。この前、てめえの中華料理屋のバックヤードで賭場を開いてやがったのを目こぼししてやった、あの不細工な春巻き野郎だ」
小林はポケットに忍ばせているダイヤモンドやすりを銃口に突っ込み、条痕を消しながら続けた。
「今回はお前の銃を撃ったことにしておいてくれ。おれの銃はそろそろ、この手でごまかすのも限界だな……撃ちすぎた。署の記録じゃ、この銃に替えてからまだ一回も発砲していないことになっているからな。ロシア人から新品の同じ銃を仕入れてこのボロは手懐けているクズ共のだれかに処分させておく。お前はこの前牛丼屋で暴れてたホームレスにぶっ放した記録が本署にあるからな、もう一回くらいは発砲をごまかせるだろうよ。八方美人がよ」
「へ、へ、へ、しかし毎度いいプランだな」
山田は端末をいじりながら、陳のアドレスを探す。これはもちろん、公用のものではなくヤミで売られている裏simを差し込んだものだ。誰が電話をかけたのかわからない代物。仮にかけられた相手の履歴を探ろうと人知れず姿を消しているのに役所の記録上ではまだ生きている人間に当たるだけだ。ぬかりはない。
「今回はどんなあらすじだよ」
山田の質問に対し小林はネパール人の射殺体を蹴り飛ばしながら、考えるふりをして出来の悪いゴミを語り始める。
「そうだな、今夜おれたちはこのあたりのパトロールをしていると上役は記録している。そしてここらは戦後のここ数年でおれらが何もしなくても……いや、してねえからか?とにかく、ここは治安が悪い。路上強盗やら、強姦やらがしょっちゅうだ。幸い、上役も警察の怠慢だと市民どもから突き上げられたくねえから人員不足を犯罪に対処しきれない理由にしていやがる。実質的な犯罪のやり得を黙認しているわけだ。日本人以外が殺されるならなおさらな。だから陳はこのカレー野郎に金目当てで襲われた……そこをたまたま通りがかったお前が正当防衛の必要を感じ、こいつを射殺した……さっき、いかれたガキから取り上げたナイフを握らせておこう。今時貧乏人が貧乏人になんかしでかそうとしたって、誰も動きゃしねえ。指紋すら取られねえよ。どうせこいつも、戦後急増した不法滞在者だろ」
「けどよ、そんなにうまくいくかな……おれがたまたま通りがかったって、この前ベトナム人のグエンを使って小遣い稼ぎをした時も使った手口じゃねえか、もしおれが疑われたら……」
ここで山田は、自分の下腹部になにか尖ったものが当てられていることに気づいた。先ほど銃の条痕を消すために使っていたやすりた。そして小林は、やすりを突き付けたままキスでもしようとしているのか、というほど顔を近づけて低い声で脅す。
「おれに間違いはねえんだよ。クズが」
小林は無表情でいう。
「今までいい思いさせてやったろ、小遣い稼がせて、女も抱かせてやった。あとはてめえがおれに恩返しする番じゃねえか?それともてめえは生活保護もらってパチンコ打つ奴と同じか?GIMME GIMME GIMMEばっかりうるさい、受けた恩も返せねえゴミクズだってえのか?」
山田は喉まで「それは罪をおっ被れってことか?」という言葉が出てきたが、それは強い意志でひっこめた。小林に逆らうという選択肢を取り消さざるを得ないと判断したことと、小林がもう山田には興味がないという表情で、向こうを向き始めたからだ。
この場にいてほしくない、第三者の靴音がする。
「ふんっ、職質の必要があるな……」
小林はバッジに一瞬手をかけてから、音のする方を向いたまま淡々と続ける。
「お前はそのゴミを隠しておけ、ちょっくら仕事をしてくるからよ」
そうして、音のする方に向いて行ってしまった。山田は仕方がなく、内心で「クソ野郎!死んじまえ!ボケ、死ね!」と毒づきながら死体を隠そうと暗がりの方へ引きずっていった。
しかし、しかしだ。
小林は確かに、悪知恵は回るが、この時に一人で第三者に対処しようと試みたのは決定的なミスだった。せめて、二人でいるべきだった。そうすれば、最悪の結末は避けられた可能性がないわけではない。
小林は少し歩を進めて、問題の第三者を見据えた。
服装、そこらの大型スーパーの衣料品売り場に陳列されていそうな黒地トラックスーツの上下に黒のスポーツシューズ、これも安物だ。帽子や眼鏡はつけていない。手にはなぜか、指抜きのウェイトリフティング用グローブをつけている。髪は黒のショートヘア。
そして、小柄。
一件子供と間違えそうなその女は、身長153センチ程度で痩身、胸も尻も小さく、髪も短いので中学生男児のようにも見える。だが背中には小さな体に似合わない、中身が詰まった黒いゴミ袋を担いでいた。
なぜ小林がその人物を女とわかったか。
それは、深夜にゴミ袋をみすぼらしい格好で担いでいる、という何もかもがミスマッチな状況がかえって、色気を際立たせているからだ。
「ちょっと、あんた!」
小林は街灯を反射させるかのように胸のバッジを触りながら声をかけた。
「ちょっとお話しないか?」
しかし、その人物は小林をまるで無視し、歩みを止めない。まるで深夜に声をかけてくる警察官をゴキブリか何か、とでも思っているかのように。
悪い意味で職業意識の高い小林には面白くない。今度は少し語気を強める。
「おい!」
と小林。
「何か人に話せないようなことでもしているのか!?」
相手はここでやっと、小林の存在を認めたようにも見えた。
一瞬だけ止まり、それで終わりだ。また歩き始めたので小林は頭にきた。撃たないと決めたうえでわざと拳銃の撃鉄を起こし、その音を聞かせてやった。
「手荒な真似をする前に、話を聞いてもらいたいんだがどうだ?」
トラックスーツの女はやっと、ため息をついてゴミ袋をおろして小林に振り返った。その瞬間。
美しい。
その言葉だけが小林の頭を支配した。
表情はない、だが宵闇の薄明りからかすかに見える浅黒い肌に刻まれている顔は、まるで美術品のようだった。
小林は特権を使って、こいつを端末の秘密の個人用、権力を盾にした性犯罪遂行画像フォルダのコレクションに加えてやろう、そう考えた。
「こんな夜中になにをしている?」
小林は相手がどの人種かわからなかった。
2022年にロシアが始めたウクライナ侵攻を皮切りに長く続いた、ユーラシア大陸全土を巻き込み、日本も無関係ではいられなかった戦争が2038年に終わる前から、多くのアジア人が難民化し日本に流れ込んでは来ていた。警察官であるならば、必然的に生活相談や弱い者いじめのターゲットとして大勢の外国人と関わることになる。だからある程度は、顔を見ただけで何となく相手の人種が区別できるようになる。
しかし、こいつはどこの出身だ?
一見すると日本人にも見える。台湾人にも、中国人にも、ロシア人にも、トルコ・クルド系かもしれないし、イラン人のようにも見える。だが、どれにも決定的なジャッジを下すことはできない。
その時、黒雲が晴れて月が出てきた。月明かりに照らされた女の美貌が、小林の目に焼き付いた。美しいが、同時に疲れ切ってもいる。この世界の理を、どれほどかは小林の知ったことではないが把握しているともとれる雰囲気であった。
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