Progress?

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拾い物をゴミ袋に追加して、デビルは歩みを再開した。思わぬ邪魔を食らってしまったので急がなければ臓物が腐ってしまう。薄暗い住宅街を抜けた、産業道路沿いをきびきびと歩き続ける。 こういう時に限って愛車のスクーターは修理中だ。しかし歩くことには慣れている。物心ついた頃から、これが唯一の移動手段だったということもある。信じられるのは、生まれ持った身体が最も優先される。余計な肩書も、人から押し付けられたレッテルもいらない。ただそこに在るものだけを信じる。それは彼女がこれまでの生き方の、集大成のようなものでもある。 夜中に吹きすさぶ怪しげな、それでいてどこか気候とはまた別の気色悪い生暖かさを感じる風がまるで人々の怨嗟と、憎悪と、悪だくみを含んでいるようでもあった。時々、自動運転の大型トラックが車道を駆け抜けていく以外には他にもう、人通りもない。排煙を出し続ける工場の煙突以外に、特に何も記憶に残らないような船橋の小さな工業地帯。しかし、デビルはこの何のバズも生み出さない景色に、どこか居心地の良さを覚えていた。 何も産まない、何も生まれない場所。ただ存在するだけですべてから無視されてしまう人々から目を背けられる場所。いたずらに消費をするだけで、その間にとどまり続けるその空気が、言い表せない居心地の良さの素であった。 さて、特に苦でもない荷運びはこれで終わりだ。大量のまだ生暖かさをほのかに残す臓物の届け先は、一見ここらの労働者にすら無視される様な、小さな研究所だった。看板には『三菱グループ協力会社・臓器移植/細胞再生 字田崎研究所』と書かれている。デビルはゴミ袋を背負ったまま、爪先でメタルのドアをノック代わりに2,3蹴った。 「博士、新鮮なはらわたいっぱい持ってきたよ。開けてよ」 デビルの言葉はトラックの騒音にかき消されるほどの大きさで、それからしばらく沈黙。デビルはもう一度、今度は少し強めにドアを蹴った。やっと、カーテン越しに人影が動くのが見え、ドアがチェーンを繋げたまま半分だけ開いた。 「やあ」 「……ちょっと待ってろ」 隙間から漏れ出る音に、ごと、という重苦しい音が紛れていた。散弾銃の台尻が床に触れた音だろう。木どうしが触れ合っているだけの音に、死神のため息が含まれているようだ。だがデビルはそんなもの慣れっこ。煙草を吸いたい、以外に何も考えていない。 字田崎博士はチェーンを開けるとともに、端末を手に持っていた。気だるげに操作を開始して、仮想通貨をおよそ平均年収の3年分、デビルのアカウントに振りこんだ。 振込先のアカウント名は神崎凉子、という純日本人のものであるが、デビルが日本人でないということは一目で半分くらいの人が気づくだろう。デビルは、ユーラシアのどこの人間にも見える。日本人にも朝鮮人にも、中国人にもモンゴル人にも中央アジア人にもコーカサス系にもロシア系にも。全ての人種から美味しいところどりをしたような、そんな見た目をしている。端末を見て、入金を確認。デビルは画面を閉じて、さっさとそれをポケットに戻した。アカウントはデビルのものだが、その金を引き出すのは組織だ。デビルはもっと巨悪の悪事に加担し、その利益の一部で命を繋いでいる。字田崎博士は血だらけの白衣のポケットから未開封の缶コーヒーを取り出してデビルに渡すと、中に入るように促しデビルもそれに続いた。 「どう博士、少しは儲かってるの?」 「最悪だ。IPS細胞の活用技術が日に日に進化している。拒絶反応を起こす可能性がある移植なんて、そろそろ需要がなくなるだろうな」 「ヘンっ、IPSなんかまだまだ、お金持ちしか使えない状態が続くでしょ。生きた人間の臓物だってまだ需要はあるんじゃない?」 「くだらねえことを……20年も前は、滅多に手に入らない貴重品だった人間の生きた臓器も、今じゃオーバードーズで死んだ行き倒れの死体から、ジャンキーが摘出したものをヤクザが小遣い稼ぎにうっ飛ばすようなクソ時代だ。有り余ってるさ。肺と腎臓と眼球は二つあるからな。救貧院にぶち込まれたアル中にヤク中、デジ中(デジタル依存症の略語)のゴミどもが、ちーっと娯楽を我慢する金で新しい臓器が手に入るんじゃ、移植移植の使い回しだよ。この前移植してやった肝臓なんか、ありゃ何人の腹ん中を行ったり来たりしたんだろうね」 「あたしゃ、ヒト様の臭いハラワタを移植するなんてなったらみんなぶっ殺して自殺してやるよ」 「バカが……突っ張るやつなんか何人も見てきたさ。オレは死なねえ、オレは早く死にてえ、Live Fast Die Fast、なんてクソみたいにイキってる奴ほど、いざ死の淵に立たされりゃあ片手でクソを掬い取りながら、片手で御仏の情けに縋ろうとするもんさ。どいつもこいつも、尊厳死を酸素カプセルに入るかのように選択する時代だからな……煙草を1日に5箱吸って肺気腫になろうが、そこらの死にたての行き倒れから肺を引っこ抜いて医者に持って来りゃ、一時間で肺の交換完了さ……命のありがたさなんてあったもんじゃねえ」 「そりゃ、こんなクソみたいな先進国で生まれりゃそうなるだろうさ」 デビルは乾いた血糊やリンパ液がべったりとつく手で構わず、復刻版のケント・スーパーマイルドロングをポケットから取り出して吸い始めた。字田崎博士は移植用臓器を今日の夕食の食べかけと一緒に自宅用冷蔵庫に入れている。その間にも、デビルは暇つぶしのようにぶつぶつと話し続けた。 「あたしが物心ついた頃にゃ、もうすでにロシアの兵隊がそこらをウロチョロしてやがった。へっ、小学校上がる年にゃあ戦争がおっぱじまってさ……そうなりゃ、ただでさえ生きてる価値のないくさいガキどもの中でも、親も親戚も兄弟もいない1番のクソガキなんざ、ドブネズミよりも価値がねえもんさ」 デビルは自己憐憫や、トラウマでぶつぶつも話しているようには見えなかった。どちらかと言えば、極端に自分を客観的に見ている。歴史の教科書の登場人物の1人を自分にしているような、そのような語り口だ。 「あたしゃあ、プロテスタント教会に引き取られたんだ。一応ナズラン(イングーシ共和国の首都)じゃあ一番でかいところだったらしいんだけど、そりゃそうだよね。牧師が説教してる時、教会の地下の秘密工場じゃ捨て子や戦災孤児のガキどもがボツリヌス菌を作ってんだからよ。それをあろうことか敵側の米軍に撃ってたんだからな。大昔に、イラクやイランにしたことを考えりゃロスコー・アーバックルのバカ映画がイエス・キリスト復活と同じくらいの神聖さを感じられるね。まあ、バイキンビジネスも、頓馬のガキがうっかり漏洩させやがって終わったよ。あたしはたまたま牧師に酒とコカインを買いに行かされていたから助かったが戻ったら全員おっちんでやがったね」 字田崎は一切聞いていなかった。デビルも別に聞いて欲しいわけではなく、単に垂れ流しているだけのようだった。 「……はあっ、結局終戦はこの国で迎えた、か。教会を出てからいろんなところをウロウロしてたけど、さんざっぱら悪の枢軸だのアメリカの肉便器だの言われてたこの国でその後も生活してるとはね。あれから、もう2年も経つわけだわね」 煙草を放して口から出る白い煙が、どこか死体を焼く煙にも見えた。デビルは元々細身の目を煙でいぶしながら、二、三瞬きをして煙草を気にせず研究所内の床に放り投げた。急を要する臓器移植患者が来ても特に掃除もしないのだろう。毒餌を食べたネズミの死骸が患者用ベッドの足元に転がっていても字田崎は掃除をする気はなさそうだし、別にデビルを咎めやしなかった。 特段、面白いわけではないのだがデビルはリフティンググローブで甲を隠したままの手で、顔を手のひら全体で何度か叩いた。全てが、彼女の笑いの沸点に到達する気分のようだ。これは、ドラッグの影響ではなく一種の双極性障害の躁状態を示唆しているものだろう。 「はあっ、博士は便利だよな。もし変なの吸って肝臓イカれても、すぐに取り替えられるんだから。電池みたいなもんか」 「バカいえ、お前の縄張りのクズどもの死体から抜いてきた肝臓なんざ原子力電池で焚き火したやつの肝臓よりも信用できねえや。どいつもこいつも、酔ったまま眠るように死ぬことが美徳とでも思ってんのか……気づいた時は、全身プラスイオンまみれでクソ漏らしながらくたばってんのが、流行りなもんなのかね……これから急患が来る、そろそろ帰ってくれないか?」 「どっちだ?」 「抜く方さ。まだ人生長いのにな……」 「いくつだ?」 「じゅう……6とか、7とか?なんでも、逃亡資金が欲しいだのなんだのよ」 「ケッ、うちの子飼いの連中と金か女か薬の話ででも揉めたんかね。千葉から出て行ったって、その年じゃもうどこにも行くところがないだろうよ」 「まあ……6・3・3製も戦争でなくなっちまってな。12で丁稚奉公に行けなかったんじゃ、いや、16でドロップアウトしてりゃあ、もうあとは縄張りゲームで犬ごっこでもするしかねえわな」 「この辺のギャングは……海神スクラップスか。どこの所属だ、藤崎マフィアか?たしか敵同士だ、ここから逃げるんならあそこの構成員が海神のゴミガキともめたってとこかな」 「藤崎マフィアなんてお前んところの子飼いのガキどもじゃないか。お前の方が詳しいだろ」 「ケッ、あいつらは戦場帰りの集まりだから気合い入ってる。縄張りを広げない代わりに他所からも侵略されねえ……マフィアのやつなら内輪揉めかな、まあ、ツラくらいは見たことあるかもしんないから、一目みてみっか」 「なんだ、覚えてねえのかよ」 「当たり前だろ、あたしは基本1人行動だからな。むしろ戦場経験の少ないやつなんか相棒につけられたら弾除けにもできやしない。AIに仕事奪われて、あとはもう人殺しと子作りしからできないなんて奴ばっかりなんだからさ。ギャングのメンバーなんか政治家の公約よりも入れ替わりが激しいよ」 その時だった。誰かがドアを激しくノックする音が聞こえた。 「おや、迷える子羊ちゃんがきなすったぜ……」 デビルは面倒くさそうにソファーに身を投げると、来店者を見ようと構えていた。
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