【第一章:再会と契約】

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 ともすれば出そうになる涙を、何度も何度もまばたきをして散らす。こんな所で泣いていちゃダメだ。泣いたって、今さらどうにもならないのだから。  目元を押さえ、なんとか涙が流れ出るのは止めたその時、右側から声がかけられた。 「穐本(あきもと)?」  振り向いた方向には、ひとりの男性。スーツ姿で、ビジネスバッグを手に、こちらをじっと見ている。その視線のまっすぐさにたじろいだが、相手の顔を見ているうちに、徐々に頭の中によみがえってくる記憶があった。 「……あ、もしかして、樹山(きやま)?」  名前を言うと、相手は安心したように笑って、近づいてきた。 「やっぱり穐本か。この新幹線乗ってた?」 「うん、そう……樹山も?」 「ん、昨日から名古屋に出張行ってて。泊まって、今帰ってきたとこ」  樹山は言葉を区切り、またじっと私を見る。穐本は何で、とその目が問いかけていた。 「……私は、ちょっとね。しばらくこっちで暮らそうと思って」 「え、仕事は?」 「先月辞めたの」  短く言うと、樹山の顔に驚きが浮かんだ。 「なんで?」 「なんで、って」 「穐本、東京で建築士になって自分の事務所を持つんだ、って言ってたじゃん」  それは中学と高校の頃、私が掲げていた夢だ。思いがけない人物から聞かされて、戸惑いを隠せなかった。 「……私、そんなこと樹山に言った?」 「あ、えっと」  今度が樹山が戸惑った顔をする。 「直接にじゃないけど、他の女子としゃべってるの、聞いたことがある」 「……そう」  あの頃、意気揚々としていた自分が懐かしい。こんなふうに、夢を壊されて戻ってくることになるなんて、思ってもみなかった。  黙ってしまった私に、樹山は何を思っているのか。変な奴だな、と思われているかもしれない。  適当に「急ぐから、じゃあ」とか言って立ち去ろう、そう考えた時。 「なあ、時間ある?」 「は?」 「俺、思ったより仕事早く終わったんだ。夕方までに報告に戻れば大丈夫だから、一緒に昼飯行かね?」  時計を見ると、12時10分前。朝が早かったから、確かにお腹は空いている。けれど。  かつての同級生とはいえ、ほぼ10年ぶりに会った相手に対して、少しばかり躊躇も感じる。昔はまあ、男女の性差を感じないぐらいに、親しくしていた時期もあったけど。
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