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最後の待ち合わせ
「ごめん! また遅れて!」
「ふふ、良いよ。お仕事、お疲れ様」
三十分も待っていてくれた彼氏は、怒る様子も見せずに微笑む。
今日はデートの日だから、絶対に残業はしないと決めていたのに……本当に申し訳ない。
「ね、早く行こう?」
「あ、ああ……」
そっと差し出された彼氏の手を握る。その手はめちゃくちゃに冷えていて、ますます申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「何食べるか決めた?」
「いや、まだ……」
「イタリアンだよね? 僕は、スープ系のパスタの気分かな。でも、ピザも捨てがたいし……ピザ注文したら、半分こしてくれる?」
「あ、あのさ……」
俺は、ずっと考えていたことを、初めて口にした。
「俺、こないだ昇格して……その、忙しくなって……」
「うん。だから、今日はそのお祝いディナーだよね?」
「そう、そうなんだけどさ。多分、これからデートも思うように出来なくなると思う」
「……うん。仕方ないよね。お互い、仕事があるからそういうのは理解してる」
「だ、だからさ……もう、こうやって待ち合わせするの止めない?」
「え……」
彼氏の顔が曇る。
違う、そういう顔にさせたいんじゃなくて……。
いつもは馬鹿みたいに喋れるのに、肝心なところで俺は上手く話せなくなる。
「つまり、さ……」
「分かった」
彼氏は、少し俯いて微笑む。
「もう、こういうのは無しにしたいんだよね?」
「ち、違う! つまり……」
「ごめんね、僕、鈍くて……今までありがとう。さようなら」
「だから、違うんだって!」
俺は解けかけた手をぎゅっと握って引っ張り、彼氏を腕の中に閉じ込めた。
ばくばくと心臓の音が響く。俺の音か、彼氏の音か、分からないくらいにうるさく鳴っている。
「俺が言いたいのは、もう待ち合わせをしないでおこうという意味で……」
「……それじゃ、どうやってデートするの?」
俺は、震える手でコートのポケットから、銀色に光る鍵を取り出して彼氏の手に握らせた。彼氏は目を丸くする。
「これ……」
「つまり、一緒に出ていけば、待ち合わせをする必要もないというわけで」
俺は喉の奥から声を出して言った。
「良かったら、一緒に生活させて下さい。出来るだけ、定時で帰るから」
「……初めからそう言ってよ!」
馬鹿、と彼氏は俺の肩に顔を埋める。
断られなくて良かった、と俺は胸を撫で下ろした。
こんなに緊張したのは、告白した時以来だ。
もうこんな思いはしたくないけど……多分、次はプロポーズの時にもめちゃくちゃ緊張するんだろうな。
俺は腕の中の、大切な人をぎゅっと抱き寄せる。
同じ場所から出て、同じ場所に帰る日々。
それが待っているのだと思うと、俺の心は春がやって来たみたいに、どうしようもなく浮かれてしまうのだった。
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