いつかまた、桜の木の下で

1/1
前へ
/1ページ
次へ
 私の家の近くの神社には、樹齢何十年という大きな桜の木がある。こんな大きな桜の木が見事な満開を迎えているというのに、地元の人は見慣れているからか、桜を見物に来ることもない。  小さな神社のため、常駐(じょうちゅう)宮司(ぐうじ)さんもおらず、私はいつも桜の時期になると毎日、この神社に足を運ぶ。なぜなら、この時期になると毎日のように同じ夢を見るからだ。 『来世、というものが、存在するのであれば、この桜の木の下で、また私と愛を、誓いあってください、ますか?』  相手の顔は見えないけど、男性であることはわかる。私の頬に添えられる手は大きくて、体格がよい。さらに軍服のような服を着ていたような気がする。そして、この死にかけの声の主の服装は紫の(はかま)に編み上げのブーツ。矢絣柄(やがすりがら)の着物を着ていた。この人物は、今にも死にかけている前世の私なのではないだろうか。 『あぁ、必ず迎えに行く。そして、この桜の木の下で再び、君に愛を誓おう。俺の、俺だけの愛しい花嫁』  男の人は泣きながらそう言って、前世の私を抱きしめる。そこでいつも夢は終わる。  そんな夢を見るようになったのは、中学生になってからだ。それからは桜の時期になると毎日通っているが、ここで誰かと会ったことは一度もない。  でも、なんで桜の木の下で、私は死にかけていたのだろうか? もしかしたら、当時は体が弱くて外出もままならなかったのかもしれない。だけど、自分の死期を悟り、最期の願いとして、この桜の木の下まで連れてきてもらったのだろうか。そしてそのまま、男性の腕の中で息を引き取ったのかもしれない。 「でも、所詮(しょせん)は夢の出来事。夢で見たものが本当に前世かもわからない。いい加減、諦めるべきかしらね」  私はずっと、この桜の木の側を離れたくなくて、高校進学時も家から通えるところにしたし、大学だってそうだ。高校の時、もっと上の大学を目指せるぞと言われたけれど、どうしてもこの桜の側を離れたくなかった。  それに、自分で言うのもなんだけれど、私はモテる体質だったようだ。中学でも、高校でも、大学でも告白された。どの人も誠実で、素敵な人たちだった。だけど、私の心が「違う。この人じゃない。私の求めている人は、この人じゃないの!」と声を荒げる。私はそんな心の声を無視できなかった。それに、不誠実なお付き合いをしたくなくて、全員断った。そうしたらいつの間にか、「高嶺(たかね)(はな)」なんて呼ばれていたけれど。  でも、就職活動となると、いつまでも地元にいるのは難しい。地元の役所では人員募集をしておらず、私は仕方なく、都心のほうの会社で、無事内定をもらうことができた。  都心の会社なので、田舎であるここには早々、帰ってくることはできないだろう。帰れるとしても夏休みと年末年始くらい。桜の時期に帰ってくることは不可能だ。 「ここの桜も、今年で見納めね」  私はため息をついて、最後に桜を見上げて今日は帰ろうと、鳥居のほうに体を向けた。すると、階段を上ってくる若い男性の姿が見えた。その時、強い風が吹いて桜吹雪が舞う。だけど私は、男性から目を離すことができなかった。  男性は鳥居をくぐると、まっすぐに私のもとに歩いてきた。 「ようやく、会えた」 「え?」 「ずっと、君を探していたんだ。夢でいつも見ていた。桜の木の下で泣きながら亡くなる君が最期に残した言葉。『来世、というものが、存在するのであれば、この桜の木の下で、また私と愛を、誓いあってください、ますか?』と」  男性の言葉に私は目を見開いた。彼の言葉は一言一句、死にかけの私が残した言葉だったから。そしてその男性の顔を見て、私は今までぼんやりとしか見えていなかった、前世の私を抱きかかえながら泣く軍服の彼の顔を思い出すことができた。 「礼司(れいし)、さん? 本当に、礼司さんなの?」 「あぁ。見つけるのが遅くなってごめん。正真正銘、前世の君、真由美さんの夫だった、朝倉礼司(あさくられいし)だ」 「礼司さん!」  私は男性、礼司さんに抱き着いた。礼司さんも私を強く抱きしめてくれる。  私たちは桜の木の下でしばらく抱き合っていた。やがて、ゆっくりと離れる。二人はそのまま桜の木の下のベンチに腰掛けた。 「今世での君の名前を教えてくれるかい?」 「切嗣真由美(きりつぐまゆみ)です。大学4年生で、春からは新社会人です」 「そうか。就職はここで?」 「いえ。役所が人員募集をしていなかったので、都心のほうの会社で内定をもらいました。だから、この桜も今年が見納めだと」 「そうか。ぎりぎり、間に合ったということか」  礼司はホッと息をついた。 「礼司さんは、いつ前世のことを、思い出したんですか?」 「恥ずかしい話、つい最近のことでね。車の衝突事故に巻き込まれて、頭を打ったんだ。それで、前世のことを思い出したんだよ」 「事故って、体は大丈夫なのですか⁉」 「あぁ。多少のすり傷程度で済んだんだ。前世を思い出してからは、君と約束した桜の木を探しまわったよ」  礼司のさん言葉に嘘偽りはない。でも、最近になって前世のことを思い出したというのなら、きっと今まで、何人かの女性と付き合ったことはあるだろう。もしかしたら、私ではない婚約者がいてもおかしくない。なにせ、今の礼司さんは見るからに高級なスーツ姿で私よりも年上、少なくとも20代半ばに見える。  昔の結婚は、親同士が決めるのが普通だった。でも、今は違う。よほどのことがない限り、親が見合い話を持ってくることはない。でも、礼司さんが名乗った苗字は「朝倉家」。昔と同じ苗字。つまり、由緒ある家系ということだ。対して私はただの一般人として生まれた。礼司さんと結ばれることはないだろう。身分が違いすぎる。だから、解放してあげなくては。 「礼司さん。あなたと再会できたことは、嬉しく思います。でも、前世のことは、もうよいのです」 「真由美さん?」 「こうして、あなたに会えた! それだけで、私はもう満足です。これ以上、過去にとらわれないでください。あなたは、あなたの道を歩んでください。今までそうしてきたように」  この人を、私で縛ってはいけない。自由にさせてあげなければならない。たとえ、私の中に、礼司さんを想う心があったとしても。私が立ち上がろうとしたら、礼司さんは私の腕を掴んだ。 「真由美さん。もしかしたら、君は勘違いをしているんじゃないか?」 「勘違い?」 「確かに、俺は昔と同じ『朝倉家』に産まれた。でも、上には兄二人がいて、その二人はすでに結婚していてすでに我が家は安泰。三番目の俺は誰と結婚してもいいと、父親からも言われている。なにより、俺は今まで女性と付き合ったことはないよ」 「え?」  まるで私の心を読んだかのように答える礼司さん。 「まぁ、告白されたことは、今まで何度かあったのは事実だ。でも、前世のことを思い出していなくても、俺の心が叫んでいたんだ。『お前には、約束した彼女がいるだろう』って。だから、全部お断りをしてきた。中にはご令嬢もいて、無理やり見合いをセッティングされたこともあったが、それは兄たちがどうにかしてくれた」  礼司さんは立ち上がって私の前で膝をついた。そして胸元から小さな箱を取り出し、蓋を開けて私に差し出した。そこに入っていたのは、ダイヤが光り輝く婚約指輪だった。  礼司さんはまっすぐに私を見つめる。 「切嗣真由美さん。どうか、俺と結婚をしてくれますか?」 「い、いいん、ですか? 本当に、私で。今の私は、権力も持たないただの一般人ですよ?」 「そんなものはいらない。俺が欲しいのは、真由美さん、あなた自身だ」  私は嬉しくて、ポロポロと涙をこぼしながら、何度も頷いた。礼司さんは優しく微笑みながら指輪をケースから取り出し、私の左手の薬指にはめた。 「真由美さん。今度こそお互いが、しわくちゃのおじいさんとおばあさんになるまで、一緒にいよう」 「はいっ!」  私は思わず礼司さんに抱き着いた。礼司さんは危なげなく私を抱きしめると、ゆっくりと立ち上がった。その時、また風が吹いて、桜の花びらたちが舞い落ちる。 「この桜なりの、祝福かな?」 「そうですね。きっとそうだと思います。この木は、私の死を看取り、私が中学生で記憶を取り戻してからずっと、側に寄り添ってくれた大切な思い出の桜の木。本当に、今までありがとう」  私は桜の幹を優しく撫でた。礼司さんも桜の幹に手を触れ、桜を見上げた。 「俺は君にも誓おう。真由美さんのことは、今度こそ俺が幸せにしてみせると。だから、ここから見守っていてほしい。俺たちの行く末を」  桜の木が答えるように枝をしならせる。私たちはしばらくの間、桜の木を見上げていたが、ゆっくりと互いの顔を見合わせた。 「まずは、真由美さんのご両親にご挨拶しないとね」 「はい。でも礼司さん、その前に」 「ん?」 「不束者(ふつつかもの)ですが、どうか末永くよろしくお願いいたします」  私は礼司さんに、そう頭を下げた。すると礼司さんは眉尻を下げて、私の体を起こさせる。 「こちらこそ、よろしくお願いいたします」  私はなんだか礼司さんの言葉がおかしくて、フフッと笑ってしまった。 「なんで笑うのかな」 「いえ。すみません。ちょうど、今日は両親が家にいるんです。行きましょうか」 「うん。緊張するな」 「大丈夫ですよ。両親は少なからず、私の事情を知っていますから」  私は礼司さんの手を引いて、我が家に向かうために、歩き出した。でも、鳥居をくぐる前にもう一度、私は桜の木を見上げた。 「ずっと見守ってくれていて、ありがとう」  私の言葉に、桜はヒラヒラと花びらを散らして答えた。  そして今度こそ、私は礼司さんと手をつないで、二人で鳥居をくぐり、神社を後にした。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

10人が本棚に入れています
本棚に追加