谷間に咲く海の夢

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 少女は目を丸くした。谷の人魚を好きになれないのは、木の方に非があるからと思いこんでいた。しかし違ったのだ。青年は少女自身でさえ掴みかねた、見る目を変えても老木への嫌悪感が消えないわけを、的確に言い表した。    「そうだわ。人魚や山神に助けられてばかりで、一人ではどこへも行けないこの木は確かに、私に似てる。それにこうして向かい合うと、沸々と胸が熱く、重く、暗くなる感じ……自分に苛立ってるときと、全く同じ」 「やはりね。自分で自分を嫌いなら、ほかの人からも嫌われているはずと思ってない? 人は自分の思うようにしか、物事を見られないものだからね」 「それも違うの?」 「桜を嫌いな人も好きな人もいるように、君を大切に思う人も必ずいるさ。血縁者に限らず、君に寄り添って手を貸してくれる人が。例えば、カージュとか」 「まさか」    深慮に裏打ちされたミオトの言葉は、どれも水が砂に染み込むように心に馴染んだが、その一言だけは違和感があった。過去の(いさか)いを秘めたがために、誤解を招いたらしい。それを解こうとしたレゼルに先んじて、顎に手を当てた青年が「これは僕の想像だけど」とまた思いがけないことを言い出した。 「君の『足』の提供者は、彼だろう?」 「杖のこと? さあ……今までは祖母が手配してくれていたから。私の杖をカージュが作っているなんて聞いたことないわ。折られたことならあるけれど。作るとしたら村長のためじゃない?」 「その折れた杖が、彼の家に置いてあったのさ。繋いであったけど、それでも短かったから、君の幼少期の物かもと思ったんだ」 「折った杖をわざわざ繋いで、取ってあるの?」  なぜそんなことを、と青年に問おうとして、やめた。  彼は私に、人魚になる以外の希望を見出させようとしていたはずだ。それで自ら可能性のドアを開けて、手本を示した。ならそれに応えなければ。想像するのだ。しがらみも全て取り払って、自由に……。   「カージュとは昔、喧嘩したの。おまえはただの人間だって言われて。杖を折られたのも、そのとき。……彼は喧嘩したことを、後悔してる」 「うん」 「それで、杖を作ってくれてた。償いのため。いえ、仲直りしたくて、だったら……いいな」  慣れないことをして火照る頬を、レゼルは両手で隠した。隣で、忍び笑いの気配がする。カージュの去り際にも、彼がこうして笑っていたのを思い出す。 「立派な希望ができて良かった。けど謙虚だね、レゼル。僕ならもっと欲張ってしまうな。彼が君の夢を打ち砕いたのは、君がここを離れていくのが嫌だったから。どこにも行けないように杖を折ったけど、それでは君が困るだけだと気づき、『足』を贈ることにした。手の届かない場所へ君を連れ去る尾鰭ではなく、この地で一緒に歩ける『足』を。どうかな」 「……さすがね。想像力が違うわ」  胸を張った青年は、勢いよく立ち上がって、右手と杖をレゼルに差し出した。 「今朝、彼は新しい杖を仕上げたようだった。僕らが開けた可能性のドアの先は、あそこに続いているかもしれないね」  家の玄関で、色褪せた木の扉が手招くように揺れていた。
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