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彼の空気感は居心地が良かった。
お互いに喋るわけでも喋らないわけでもない。
どちらかが話したい時には
どちらかが話を聞く。
またどちらかが話したい時には
またどちらかが話を聞く。
そんな簡単そうで絶妙なバランスを
彼はあっさりとやってみせた。
勿論
お互いが話をせずとも
隣にいるだけで安心感がある。
そんな
ちょっぴり大人な恋愛のような
そんな
すでに家族になったかのような
彼の温かな愛情が
日を追うごとに
私にゆっくりと流れ込んでくる。
私にはそれが何よりの幸せで
同時に
この気持ち良さがどこか不安で
…
贅沢、
なんだけどさ。
でも
なんとなく
やっぱり
なんとなく
…
「あの、さ。」
彼が運転する車内で
彼の横顔に問いかける。
「どうしたの?」
すっかり板の付いたタメ口に
私は言葉を続ける。
「何か、隠してない?」
彼は前を向いたまま動かない。
彼の後ろの夕焼けが
黒く長細い雲に隠れる。
「別に、言いたくなかったら言わなくていいよ。けど、私はあなたをもっと知りたい。知った上で、私はあなたといたいの。だから…」
彼が強めに踏んだブレーキ音が
私の言葉を遮る。
思わず辺りを見ると
すでに私の家の近くにいた。
「ごめん。」
彼が静かに謝る。
彼の顔は
見たことのないくらいに
悲しそうな顔をしていた。
思わず「私こそごめん。」と口を開く前に
彼は食い気味に言葉を縫った。
「前にも、彼女がいたんだ。遠距離だった。別に、会いに行かなかったわけじゃない。連絡を取らなかったわけじゃない。好きじゃなかった、わけじゃない。
でも、結局別れた。俺よりも身近にいた、俺よりも好きな人ってやつに…
別に、誰も信じられなくなったとか、そんな自暴自棄な話じゃない。
ただ…人が、怖いんだ。裏切られるのが、怖いんだ。誰かのそばに居過ぎてしまうのが…怖いんだ。」
彼は泣いてはいなかった。
でも
心でまた
くすんだ黄金色が光った気がした。
下を向く彼に
私は優しく腕を回して抱きしめる。
「大丈夫。 ほら。 大丈夫。」
呪文のような
おまじないのような
彼の耳元で
ただ語りかける。
「大丈夫。 ほら。 大丈夫。」
雲から顔を出した
夕焼けのように暖かな声で
ゆっくりと上から下へと
詰まっていたものを流していく。
「大丈夫。 ほら。 大丈夫。」
独りではないと
時計の針は止まってはいないと
誰よりも力強く
誰よりもそっと。
「大丈夫。 ほら。 大丈夫。」
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