第一話 開幕ベル

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第一話 開幕ベル

 舞台の真ん中、一人の少年が透明な玩具の家でママゴトをしている。少年と同じ服を着た人形。少し年を感じさせる男の人形。少年の白い指先で弄ばれる二つの人形が、かくんかくんと首を折る。それは冒頭と全く同じ絵。少年には蒼白く弱いサスが落ち、少し不気味で、何処か寂しい余韻を残しつつ舞台は暗転してゆく。暗闇にもの哀しげなピアノの旋律が静かに流れ、観客は拍手さえ戸惑っていた。  余りにも美しい、エピローグ────。 「コールライトどうぞ」  ヘッドセットから響く舞台監督の声が、浸り切っていた俺すらも現実に引き戻した。舞台が明転すると、先程ヘソで座り込んでいた少年の姿は何処にも無い。代わりに上下の袖からぞろぞろと役者が姿を現した。 「出すよ」  隣から聞こえた声を合図に、俺は二時間演じ切った役者に光を当てる。お疲れ様、今日は一番良かった。その思いを込めてダウザーを開いて行くと、隣から突如巨大な舌打ちが聞こえた。 「だから、明るいって昨日も言っただろ。これ普通の芝居だから。商業演劇じゃないからね。ましてやショーでもないからね。何時になったら相手の明るさ見て出せる訳。もう今年三年目だよね」 「すみません」  舞台の幕が閉じた後の、華々しいカーテンコールの筈なのに、上司に完膚なきまでに打ちのめされ俺は静かに目一杯開いたダウザーを絞った。全く情けない話である。  項垂れる俺を他所に、舞台では順調にカーテンコールが進んでゆく。メインキャストが次々に登場し、最後に下袖から姿を見せた人物は、一見すると華奢な若い男。俺と年は同じ位なのに、彼はこの座組みの座長である。毎日毎日ダメ出しを受ける俺と、輝く世界の真ん中で背筋を伸ばして立っている彼。男の無駄なプライドのお陰か、どうにも俺はその青年、神條銀次が好きにはなれなかった。 「良いよなあ……」  彼のように顔が秀でて良ければ、俺もあっち側でちやほやされていたのかも知れないと思うと自然と溜息が漏れた。 「何か言った」 「いや、言ってないです」  そう、まだ油断は出来ないのだ。今回のセンターチーフである上司、遠山淳子さんは、今年三十二歳になる大先輩。仕事も出来るし、センスもある。妥協しない姿勢は尊敬に値するが、ただただ言い方がキツいのが玉に瑕。口も悪いしたまに紙シートの色枠を投げてくる事もある。紙と言っても当たると痛いし、はっきり言うと怖い。  そんな事に怯えている隙に役者が上下にハケて行き、客電が付けば夢の時間は終わりを告げる。 「お疲れ様でしたあ」  その声で漸く、俺も肩の力を抜いた。  俺は専門学校を出てKLC、正式名称金森ライティングカンパニーに務めて今年で三年目になる。そもそもはライブが好きで、歌物に進もうとしていたのに、何を間違ったのか芝居界隈では割と大手の照明会社に就職してしまった。情緒とは何ぞや状態だった俺は当然それはもう滅多打ちにされた。  新人がまず付くポジションがセンターフォロー。フォローと言うのは、人を追いかける大きなスポットの事である。一般的にピンスポットとも言うし、ピンスポットを操作する人々をセンターとも言う。これがまた難しい物なのだ。  オーソドックスな物には三つのバーが付いていて、ランプハウスに一番近いダウザーは光量を調節する物。一番遠いアイリスは出す大きさを調節する物。其々が別の役割を持っている。真ん中のシャッターは殆ど使う事はないので、三つのうち二つのバーを左手で操作し右手で大砲のような形をしているスポットの前部分を持ち動かすのだけれど、これは結構神経を使う。繊細で優しい出し方や消し方はやはり女性の方が上手いし、情緒的なフォローは勝てっこない。正直、俺は苦手だ。何よりフォローは第二のプランナーと呼ばれる程に各々のセンスが問われるし、完全なマニュアル操作だから技術差が如実に現れてしまう。フォローで生きて行く人もいる位、プランナーに次いで面白いポジションではあるらしい。  プランナーとは、照明デザイナーの事。照明デザイナーとはざっくり言えば作品全体の照明デザインをする人の事だ。この公演のプランナーは最近売り出し中の我が社の若手筆頭、大貫隆平。若手と言ってももう四十五歳だけれど。この業界は未だ七十歳を超えた大先生達が数多く生き残っているし、生涯現役を貫いているから抱えている仕事を手放さない。お陰で何時まで経っても若手に仕事が回ってこないのだと、大貫さんは良くボヤいている。  話しをフォローに戻すと、俺が会社に入って初めて本番に付いた時は、出せば汚い、下手くそと罵られ、何をどうしたら綺麗で上手いのか訳もわからない状態だった。社風として見て覚えろと言う昭和の教えのお陰で、未だ正解は見えていない。こんな事を言ったら怒られそうだけど。いや、完全にど突かれる。  今回の劇団イリュミナシオン第八回公演『硝子張りの少年』でも、俺は遠山さんと二人でフォローに上がっている。相変わらず毎日毎日怒られてばかりだ。
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