第三話 フラグメント

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第三話 フラグメント

 何時も通りのカーテンコール。拍手を貰いセンターに立つ銀次が頭を下げれば、囲む役者陣も頭を下げる。特に何か声を発するでもなく、それだけの物。人々が全員ハケて行けば客電が上がる。 「終演します、お疲れ様でした」  元山さんのその声を合図に漸く肩の力を抜いてピンを消灯し、俺は深く息を吐き出した。今日は何時にも増して肩がこった気がする。それに何時もより、自分が芝居に集中していた気がする。 「赤羽、漸く初日開いたじゃん」 「えっ」  遠山さんはそれだけ言うとピンルームを後にした。  暫く呆然とその言葉を頭の中で回し、次第に胸に湧き上がる思い。久々に感じる、嬉しいと言う感情。初日はとっくに開いてはいるが、上手く出来なくて心情的に初日が開けない日々が続いていた。皆にも初日は何時見れるんだと詰られて、俺はきっと腐り始めていたんだ。そんな俺が今日やっと、この世界に一歩だけ入れた気がした。  そんな感動に長い事浸り暗い天井裏を抜けて袖に下りる頃には、完全に客出しも終わり演出部の姿も無かった。慌てて楽屋に戻ると既に着替え始めている人々の姿。山城さんから電源の時間を聞いて俺も着替えにかかる。  そんな慌ただしい楽屋で呑気に紫煙を燻らせていた元山さんは、思い出したように呟いた。 「やっと折り返しだなあ。今日はちょっと一杯行くか」 「良いっすね」  それにすかさず乗っかったのは他でも無い。照明部の飲み隊長山城さんだ。本当に毎日よく飽きないなと逆に関心してしまう。何処の店が良いかなんて、どうせ何時も通り山中に決まっている。そんな些細な事で盛り上がるスタッフ楽屋に何時もの訪問者が顔を覗かせた。 「お疲れ様でしたあ」  帰り支度を済ませた銀次は舞台上で見せる狂気など微塵も感じさせず、何時も通りの爽やかな笑顔を振りまいている。周りがお疲れ様でしたと言う波を断ち切るように、元山さんは軽い手招きで銀次を呼び寄せた。 「今日久しぶりにどうだ」  昨日も照明部とは飲みに行ったけど。そんな俺の心の声が届くはずも無く、銀次はそれはもう嬉しそうに瞳を輝かせた。 「行きたいなあ。でも瀧本さんからのダメ出しが待ってるんですよ。終わったら電話します」 「朝までなんかいねえぞ」 「何言ってるんですか、元山さん飲み出したら止まらないじゃないですか」  じゃあ後で、と言い残し銀次は足早にスタッフ楽屋を去って行った。  ダメ出しと言う言葉に、俺は少なからず驚いていた。誰もが天才だと思わず言ってしまうような芝居をする銀次も、瀧本さんにしてみればまだまだなのだろうか。そんな事を考えながら退館準備を着々と進め、俺達は連れ立って山中に向かった。  今日の面子は、おなじみ照明部四人と元山さん。演出部の山田さんも幸子さんも、疲れたからと言って帰ってしまった。 「お疲れ様でした」  ジョッキを高々と上げて乾杯した後、話しは今日の芝居内容について。 「何か今日銀ちゃんおかしくなかったですか」  そう切り出した遠山さんに、他のメンバーも小さく頷く。俺は何処がおかしかったのかまるで分からない。煙草に火を付けた後、元山さんは俄かに眉を顰めた。 「ああ、何か肩痛めたとかでな。ほら、あいつそう言う事絶対言わないだろ。俺達も八場辺りで気付いてさ。まあ本人が平気って言うんだからそれ以上はなあ」 「ああ、それでですか。殺し方が何時もと違ったから」  それでダメ出しなんだろうか。お客さんには分からなくても、毎日見てる側としては微かな変化も敏感に気付くらしい。やはり皆は俺と違いちゃんと見ている事に少し落ち込んだ。  しかし、肩を痛めたなんてきっとあの痣が関係しているのだろう。瀧本さんは銀次の趣味を知っているのだろうか。……いや、あれ、二人は同じ屋根の下で暮らしていて、昨日銀次は瀧本さんからの電話で帰ると言い出した。と言う事は……嘘だろ。  この予想が当たっているなら、皆がはぐらかした理由にも納得が行く。とんでもないスキャンダルだ。二人がデキていて、挙句SMプレイに勤しんでいるなんて冗談でも言えっこない。しかし銀次はまだしも、瀧本さん……あんな気の弱そうな顔をして、縛る方なんだよな。まるで想像がつかない。でも事実、銀次には緊縛痕があった訳だし──。考え出すとどうにも止まらなくなってしまった。だがはっきり言って、銀次はまだしもとか思っている時点で毒されている事に気付くべきだ。
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