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「赤羽、何て顔してんだ」
その声に我に帰り、小さく首を振る。銀次の秘密に辿り着いてしまったなんて、口が裂けても言えやしない。しかしこの業界は演出家や振付家にアッチ側の人はかなり多い。瀧本さんと銀次がそうだったとして、今更驚く事でも無いのかもしれない。だが噂で聞く程度で直接的に関わった事の無い俺にとっては結構衝撃的だった。
何時からだろうか。もしかして前の劇団の時からなのか。いやでも銀次は中学生だ。ああ、気になって仕方が無い。一つの断片を知ってしまうと何もかもを知りたくなるのは人間の性なのだろうか。折角の飲みの席だ。ここは一つ、さり気なく探りを入れてみよう。
「あの、新聞社って何で解散したんですか」
軽い世間話的に振ったこの話題に、元山さんは眉を顰めた。
「いきなりどうした、赤羽君」
「いや、絶頂期だったらしいじゃないですか。普通そんな時に解散しますかね」
我ながら上手い事はぐらかせたんじゃないだろうか。そう思っていたのだけれど、元山さんは眉を顰めたまま遠い昔を思い出すように黄ばんだ天井を仰いだ。
「貞操新聞社は瀧本がまだ大学生の時に、当時駆け出しだった三本と作った劇団だ」
だとすると、もう十五年近く前の事か。俺なんか小学生かそこらだな。
「三本はあの頃から天才だったなあ。それでもこの世界はそんなに甘いもんじゃねえ。長く燻っていた時代もあってな、俺もお前の親方隆平も音響のヨシもほぼノーギャラでやっていたな。三本の演出は面白かったし、瀧本の本も未熟ながら良かったからな。投資みたいなもんだ」
ヨシは音響プランナーでありオペレートもこの公演に関しては自分でやっている人。大貫さんとほぼ同年代の音響さんだ。
「だがな、決して悪くないんだが三本の演出は役者を選ぶ。あの頃劇団員の中で、それを演じ切れる奴がいなかったのよ。そこに飛び込んだのが銀次さ。そりゃあ最初は素人だったが、銀次はやはり何て言うんだろうなあ……感性がズバ抜けていてな。三本は漸く自分の作りたい物が作れるって大喜びだったよ」
だがな、と言った後、元山さんは意を決するようにジョッキを煽った。
「銀次は当時まだ若くて、三本の影でくすんでいた瀧本の才能に惚れ込んで新聞社に入って来たんだ。三本じゃあなくてな」
「……三本さんじゃなくて」
それは一体、どう言う事だろう。
「銀次が入ってからの瀧本は一皮も二皮も剥けたみたいにそれはもう凄かったな。戯曲賞も銀次が入ってからだったよな。俺はよ、瀧本の才能を引き摺り出したものは銀次だと思っている」
その言葉に周りも強く頷いて見せた。
「でもな、三本は瀧本を買ってはいたが認めてはいなかった。売れ出したのも銀次と、自分の才能が認められたからだってな。瀧本はああ見えてプライドの高い男だ。そんな天才と天才が相入れると思うか」
思わない。弱く首を振る俺を見て元山さんは小さく微笑んだ。
「そう言う事だ。今迄上手く行っていたのは、瀧本が抑え込んでいたお陰だな。その箍が外れたらどうだ。芸術家なんてもんはさ、我が強くてわがままなのよ。そうじゃなきゃ物なんか作れねえ。結局二人の仲は修復出来ない位拗れちまってな。喧嘩別れみたいなもんじゃないかな」
脚本家と、演出家。脚本家に演出をする知識と感性があるならば、衝突は免れないのかもしれないな。
「まあ、俺達スタッフ陣は劇団員じゃないし、詳しく聞いている訳じゃない。全て憶測だ。本当の真相は三本と瀧本しか知り得ないんだがな」
元山さんは悪戯っぽく肩を竦め、そう締め括った。直後、望月さんは思い出したように俺に視線を投げた。
「そう言えば赤羽、今日ヤケに乗ってたけどどうした」
「あんま覚えてないですけど……」
それは七場のフェードアウトの事。あの時俺は、自分の消したいように消した。正解かなんて分からない。いや、そもそもこの仕事に正解なんて無いのだろう。俺は最後の、あの銀次の顔が見せたかった。それだけだ。望月さんは少し俯いて答えた俺を見て嬉しそうに大きく頷いた。
「フォローってのは客と同じ。その役者を見ていたいって思いが大切なんだ。フェードアウトもそうだな。思いがなきゃ、別に機械に頼っても良い訳だろう。その方が毎日同じ事が出来るし確実にミスも無い。でもな、何時迄もフォローだけが人の手でやるアナログなのは役者も生き物だからだ。役者と一緒に呼吸しなきゃな」
遠山さんが嫌いな役者でも好きだと思い込んだりする、そんな信じていなかった精神論が何よりも大切なんだと、俺はその日初めて肌身で感じる事が出来た。見て覚えろと言う理由。それはきっと、ここが小手先の技術が全ての世界ではないから。けれどこれは認められた訳では無い。出来て当たり前。俺達は、プロなのだから。
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