第一話 開幕ベル

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 神條銀次は、劇団イリュミナシオンに所属している舞台業界では注目の若手俳優。顔は文句無し。すらりと伸びた長身ながら程よい細身で、肌は白く反して髪の毛も目も青いほどに漆黒で、男の俺でも思わず綺麗だと思ってしまうような、キツネ顔と言うのだろうか。とにかく驚く程の美形。しかしその性格はまるで少年のように無邪気で、袖で常に接する演出部は可愛い可愛いと持ち上げているし、悪ノリの共演者に開演前唇を奪われている姿を見かけた事もある。気難しい事で有名な大道具のおっさんに、銀次なら抱けるとまで言わせたのだから驚きだ。その癖天狗になっている様子も無いし、ペーペーの俺にだって挨拶はしっかりしてくれる。人柄も良いし、悪い噂なんか聞いた事が無い。スタッフとも気さくに話すし、普段人を褒めない大貫さんがベタ褒めする位。  彼はそんな絵に描いたような舞台人であり、好青年。その癖幕が開くとその好青年っぷりがガラッと変わる。彼の芝居はいい意味で癖が無い。どんな役でもこなせる柔軟性。そして何より、イリュミナシオンの退廃的な作風にピタリとハマる不気味な程の妖艶さを醸し出してくるから驚きだ。とにかく、所作や視線がエロい。正に天性の物なのだろう。まあ、どのみち俺とは作りが違うのだ。  何時も通りのしめ作業を終え、退館時間ギリギリとなって、俺達は神條銀次と共に店に向かった。山中は年配の夫婦が経営する小汚い居酒屋だ。どうしてか舞台人はこう言う酎ハイに何が入っているか良く分からないような店が好きだ。安いからと言う理由が一番なのだろうけれど、きっと雰囲気もあるのだと思う。しかし飲み方は皆尋常じゃなくて、次の日普通に現場なのに朝までなんてザラだ。お陰で現場でグロッキーな人を頻繁に見かける。飲みに関して言えばこいつらは皆底なしのバカだと俺は常々思っている。しかも現場終わりは飲みに行かないと気が済まないらしく、今回も例外無く毎日毎日飽きもせず山中に足を運んでいた。だが今回のチームは皆酒の席で説教はしないタイプだからまだ耐えられるのだけど。  完全に常連となった俺達を店のおばちゃんがちょっと奥まったいつもの場所に通してくれた。 「神條さん何飲みますか」 「あ、生で」  取り敢えず席について直ぐに生を五人分頼み、待っている隙につまみの集計を取る。後輩はいるものの、各現場に散っているものだから三年目になっても現場では一番下な事が多い。新人は仕事が出来ないことも失敗することも当たり前。何でも良いから毎日飲みに行けば良いと言うのが我が社の社風。もう全く意味が分からないけれど、お陰様で飲み屋での教育はかなり徹底して叩き込まれて来た。  乾杯を済ませ、お疲れ様でしたと声を揃える。おはようございますに始まり、何があっても飲み屋でのお疲れ様でしたに終わる。ここはそんな単純な社会。
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