第一話 開幕ベル

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 会計を済ませ、皆方々に散って行く。三人は電車で、俺だけ深夜バス。何時もならここで解放されるのだが──。 「お疲れ様でした」  三人を見送る俺の横には、何故か神條銀次。運の悪い事に、どうやら彼も深夜バス班らしい。 「やっぱり山中は良いですねえ、落ち着く」  二人肩を並べ少し離れたバス停に向かう道すがら、神條銀次はそう言ったっきり上機嫌で鼻歌交じりに歩いている。適当な相槌で誤魔化したが、直ぐに会話は尽きた。俺の嫌な癖で、こう言う時は何か話さなきゃいけないと思ってしまう。 「何時から舞台に立っているんですか」  そう自分で言ってギクリと心臓が竦んだ。これは当たり障りがないように思えて、自分の無知を露呈したような質問だ。だが俺の心配を他所に、神條銀次は人懐っこい笑顔を向けた。 「中学の頃ですかね。瀧本さんの舞台見に行って感銘受けて、それで俺もやりたいと思って。勿論、中学卒業までは正式に劇団員にはして貰えなかったんですけどね」  やはり父親が舞台関係だと、そう言う物に触れる機会が多いのだろうか。俺なんかまともに芝居を見るのすら会社に入って初めてだったのに。第一中学生がアングラ芝居見て感銘を受けるって、絶対に病んでいるとしか思えない。俺はこの時神條銀次が、好青年の仮面を被った裏表のある人間に思えてならなかった。 「そう言えばうちの劇団初めてじゃないですよね」 「え、あ、はい」  警戒しているこのタイミングでの突拍子もない発言に、思わずどもってしまった。確かに俺がこの劇団の本公演に付くのは二回目だ。新人は機材の荷下ろしがあるから打ち上げも出られないのに、まさか顔を覚えられてるとは。そんな驚きを察してか、神條銀次は直ぐにその答えをくれた。 「うちの劇団、お願いしているスタッフさんもあまり同世代がいないので、こっそりチェックしていたんですよ」  確かに俺が入る前まで、イリュミナシオンのスタッフで一番若かったのは山城さんだったらしいし、演出部も音響も、結構良い年のお姉様方やおっさんが多い。五人いる劇団員にいたっては、皆瀧本さんと同じ三十半ば。それで覚えていたらしい。  一人納得していると、神條銀次は思い出したようにくるりと俺の前に回り込んだ。 「ね、敬語やめない。せっかく同い年なんだしさ」  期待に瞳を輝かせ、小さく小首を傾げる様に何だかゾッとした。これじゃあまるで自分の魅力を知り尽くした小悪魔だ。 「あ、はい……」  やはり腹黒い奴なのかも知れないと言う憶測から顔が引き攣る俺を見詰める瞳が、酷く優しく揺れた。 「俺の事も銀次で良いから」  その幼気な表情に、不思議と張っていた緊張も何処か解れた気がした。中学生でこんなヤクザまがいな世界に単身飛び込んだ彼は、この年になって漸く同世代のスタッフに巡り合ったのだろう。役者同士ではどうにも埋められない嫉妬の壁。仕事仲間はいても、友達は、いないのかもしれない。本当に嬉しそうな神條銀次を見ていると何だか切なくなった。 「俺は、赤羽徹」  何だか小っ恥ずかしくて素っ気なくなってしまった返答にも気にする素振りを見せず、銀次は小さくそっか、と言って再び夜道を歩き始めた。  腹黒そうで、でもやはり純朴で、舞台上では退廃的な色気まで自在に操る。本当に訳のわからない男だ。訳が分からないと言うよりは、得体が知れない。けれど俺がこの青年を理解するにはまだ情報が少なすぎる。まともに話したのだって初めてだ。  嬉しそうな横顔を盗み見ると、不意に仔鹿のように潤んだ双眸が俺を捉える。思わず一歩引きそうになった俺を留めるかの如く、銀次は幼い笑みを浮かべた。 「ピンって面白そうだよね」 「面白そう……」  面白い事なんかない。肩はこるし、気を張りっぱなしで終演後はぐったりするし、何より熱い。二時間焚きっぱなしだと左手の手首から肘にかけては火傷で真っ赤になるのだ。遠山さんは女性だからアームカバーなんかしているが、俺はまた変なプライドのお陰で素手でやっている。型が古くなればなる程熱も篭りやすく、最早アイリスもダウザーも熱過ぎて握れない事すらある。そう言う時は諦めて革手袋をするのだけれど。
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