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「いいかい少年。この世には見えない世界があるんだよ」
「はぁ。知ってるけど」
目の前にいる革ジャンを着た女はそう言った。
「篠田さんよぉ。俺はもう少年なんて歳じゃないよ。18だ。どちらかというと青年だよ」
「何言ってるんだい。私にとっては少年だよ」
かかっ、と車のボンネットに身体を預け、タバコを咥えた篠田は楽しそうに言った。この少し変わった女は俺の雇い主だ。両耳にピアス、長い髪を後ろで適当に結っている。
「それで? 今日の仕事は?」
「ここの病院だよ。新館の病棟と旧館を繋ぐ渡り廊下に『障』があるらしい」
「サワリ……ね」
スマホで時刻を確認すると、もうすぐ午前2時になるところだった。見上げると、空は真夜中なのに薄明るい。俺たちは市立病院の外にある駐車場にいた。静かな駐車場では電灯が煌々と白く光っている。
「時間だ。行こうか」
篠田は携帯灰皿にタバコを仕舞い、仕事道具の入ったトートバッグを車から持ち出した。
「少し冷えるな」
「まだ春になって間もないからね。しかも雨上がりだし」
そんな会話をしつつ、駐車場から病院の入り口へ移動する。篠田の履いているブーツの音がコツコツと夜に響く。
「ここ、入口だけど閉まってるな」
「『出入りの時間は22時まで。以降は裏からお入りください』って書いてある。裏だな」
「大きい病院は入口が沢山あるから迷うな」
『救急外来』と書かれたパネルのある入り口を見つけ、俺たちはそこへ入った。
自動ドアを抜け、左手にある受付へ篠田が向かう。
「すみません、電話を受けた篠田ですが」
「あ、お待ちしておりました。今担当を呼びますので少々お待ちください」
受付のナースさんはそう言って内線で誰かを呼び出した。今回はこの病院からの依頼らしい。
薄暗い蛍光灯に照らされる廊下のソファに座って待っていると、警備員らしい格好の男性が俺たちに話しかけてきた。
「お電話を差し上げた伊丹です。わざわざお越しいただきありがとうございます」
しわがれた声の男性は、もう還暦を過ぎたであろうという雰囲気だった。シルバー人材というやつか。
「どうも。篠田です。こっちは助手の江咲」
「コウサキです」
俺は軽く挨拶をする。
「難しい話は抜きにして、何が起こったか説明していただけますか?」
単刀直入に篠田が切り出す。
「ではご案内しながらお話ししましょう」
伊丹さんはそう言って俺たちを先導した。
「事の始まりはこの新館が建った一年前になります。私が夜の巡回をしておりますと、一人の看護婦……今は看護師と言った方がいいのですかな。その方がひどく怯えた様子で廊下の隅に座り込んでいたのです」
「それは何時ごろですか?」
「一階の巡回が24時ごろで、いちフロアの見回りに大体1時間ほどですから……三階は2時ごろですな」
俺は「2時ごろ」とメモを取る。
「事情を聞くと、新館にあるナースセンターに戻るために渡り廊下を歩いていると、何やら外から視線を感じ、渡り廊下の窓を見ると──」
「見ると?」
「顔が」
「顔?」
「優に10mはあろうという巨大な顔がこちらを見ていたと言うのです」
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