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「顔ねぇ。えらく抽象的だな」
三階まで案内され、俺たちは伊丹さんと別れた。エレベーターホールのソファに篠田が荷物を下ろす。
右を見ると、旧館に向かうための渡り廊下があった。節電のためなのか明かりはなく、気味の悪い闇が廊下の先に伸びていた。
「話にあった時間はもうすぐだけど、ここには誰も来ないのか?」
「ああ。この時間帯はみんな避けるらしい。伊丹さんから聞くところによると、その『顔』とやらを見たのは話に出た一人だけではなく、その後複数人のナースや患者が見たらしい」
「患者まで」
「『障』に鋭くない人間までもが視認できるとは……。『障』にしては力が大きいのかもな。噂が今より広がるのを防いで欲しいという依頼だ」
「退治できるもんなのか?」
俺が問うと、篠田は「ふぅ」と息を吐き、
「わからない。無理に関わってしまうと悪化する場合もあるからな。退治することが全てじゃない。今回はなるべく穏便に……対処療法といったところになるかも」
「へえ」
「よしコウ、早速だが渡り廊下に行ってこい」
「人を実験に使うな」
「私がここで何かしらの変化がないか観測していないといけないだろう?」
篠田は「何をいってるんだ」とでも言いたそうな表情で俺に言った。
「わかったよ」
俺はポケットからペンライトを取り出し、足元を照らしつつ度り廊下へ進んだ。
篠田と関わってからずっとこんなことをやっているけど、中々慣れるものではない。
一歩一歩と慎重に進む。スニーカーの足音だけが廊下に響いた。今の所『障』の気配も視線も感じない。
「コウ、どんな感じだ?」
旧館に着くと、新館側の篠田が俺に尋ねる。
「何も起こらなかったぞ。篠田は?」
「いや、特に変化は見られない。一旦戻ってこい」
「わかった」
と俺が渡り廊下に一歩足を進めた時だった。とてつもない悪寒が全身を襲い、手が震え始めた。場の空気が冷たく、そして非常に重く変化した。『障』だ。
「篠田! まずいぞ」
「ああ、こっちでも感じられる。まだこの『障』に悪意は感じられないから、焦らずそのままゆっくり帰ってこい」
「……了解」
俺は震えるペンライトを両手で抑え、ゆっくりと歩みを進めた。反対側に向かうほど『障』の気配が濃くなっていく。耳鳴りと冷や汗が止まらない。
ようやく渡り廊下の真ん中へ辿り着いた瞬間、そいつは現れた。
熱気が肌に当たるかのような視線。左半身だけが厚い空気に纏わりつかれている。
その正体を確認しようとゆっくり窓の方へ顔を向けると──。
「か、かか、顔だ」
そこには窓いっぱいに見開かれた大きな目が二つ。眉間に皺を寄せ、まるで生気のない青白く巨大な顔が、その双眸で俺を睨みつけていた。
俺は反射的に走り出し、滑り込むようにして新館側に入った。
「な、なん……なんなんだあれは」
新館側へたどり着いた途端、『障』の気配は嘘のように消え去った。「顔」という表現は抽象的なものではなく、そのままの意味だったのだ。
「ふむ……。コウ、君から見たあれはどんなもんだった?」
驚き焦っている俺とは対照的に、篠田はとても冷静だった。
「何って顔だよ。人の顔! 青白くて巨大な!」
「そうか。斜めから見ていた私には、巨大な鬼の頭に見えたよ」
「鬼?」
「ああ。コウは正面の窓に入りきらない部分しか見えていなかっただろうけど、斜めから見たアレは巨大な鬼の首だった。頭に角、口元には牙の先が見えた」
「なんでこんなところに鬼が」
「さぁね。『障』に人間の都合なんて関係ない。何かしらの環境が整い、作用すればそこに生まれるものだからね」
「環境?」
「ああ。アレが出るのがこのフロアだけなのも、アレの頭の大きさが関係しているのかもしれない。何はともあれ、鬼と分かればまずやることがある」
篠田はそう言ってスマホを取り出した。
「方角の確認だ」
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