いいこと

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 「多分だけど」  伊達メガネを制服の胸ポケットに挟むと、そのまま少女は眩しい夕日がビルに隠れたことに僅かに驚いたように空を見ながら呟く。  「確証バイアスみたいな感じなんじゃないのかしら。私は不幸だって考えて、そのあとの些細な逆の感情の方は見えなくなる。ひとつひとつの不幸か幸せかはあっても、脈絡もなく繋がったと感じる幸せか不幸かは、そう、単なる過剰な思い込みなんじゃない?」 「うーん、そっかぁ…」  ミルクティー色の少女は曖昧に受け答えると、幸せを逃すようなため息をついた。  「本当はね、もっと楽しい話がしたいの。深くて暗い泥みたいな話はあんまし好きじゃないんだ」 「知ってる」 「でもね、なんか今日は暗いんだ。帰るまではそうでもなかったのに、今、すごく暗い。なんだか、歩く道の全てが敵みたいな感じ。だから、その、ごめんね」 「ちょっと?それじゃ私と帰るのが嫌みたいじゃない」 「そんなことはないよ!!」  少し意地悪を言ってやろうとメガネの少女が不満そうに呟けば、真に受けたみつあみの少女は慌てて訂正をいれる。  「そんなことないの、本当に!!信じて!!」 「ごめんごめん、わかってる。」 「そういうわけじゃあないんだ。ただ、楽しすぎて、終わっちゃうのが怖くって」 「うん、知ってるよ」  防音シートで庇われた住宅街の一角を通り過ぎる。そこは二人がよく行ったファストフード店と同じ系列の新店舗が四月に出来るらしいのだが、二人はそれについてもしあと一年、いや半年早ければ、などと何度話したことだろう。  「明日の卒業式にはね」 「ええ」 「きっと私は泣くし、皆も泣くと思う」 「私は泣かないわ」 「あはは、どうかな~?」  みつあみの少女は恥ずかしがるパートナーをいたずら心で問い詰めるように覗き込む。  「最後の日だよ。高校生の。」  黒髪の少女は思わずふわふわの頭を両手で力一杯押し退けると、僅かにいつも通りの姿を見せた友人にほっとしたのを隠すように五本の指で目蓋を意味なく掻く。  「いや、やっぱ泣くかも。ああいうのって、存外冷めた生徒がふとポロポロ泣き出すものよ」 「…冷めてるとは思えないけど」  目を閉じて他の五感を封じ、ただ唯一聴覚だけを集中させねば聞こえないような声でミルクティー色の少女はメガネの少女へとぽつりとこぼす。  そしてその少女もまた、ほとんど聞き取れなかったために何も言うことなく、春一番に温度の似た風と共に流した。  「でもね」  冷たい風に気を取り直し、再び今日だけは珍しく沈んだ気分の少女は口を開ける。  「腫れた目で撮った卒業写真をケータイでシェアしながら一緒に帰る時、私達きっと笑ってる。いや絶対に笑うって決めてる。卒業旅行…は終わっちゃったから、春休みか、せめて夏休みかの予定を立てて、未来の話をしながら、卒業証書が入った筒を持ったまま手を振るって、そんな感じになると思うんだ」 「随分と具体的ね。その計画性が勉強に活かせると良かったのに」 「もぉ~!今良いところだから、勉強の話は禁止ね!」 「ふふ、ごめん、でもちょっとしかしてないわよ?」  そうして短髪の少女はクスクスと笑いながら先程の仕返しを華麗に終える。そして無駄なことを考えずに純粋にひとしきりを笑ったあと、確立された明日のイメージは語るまでにどれだけの思考がなされたのだろうかと純粋で単純な疑問が湧いた。  いや、違う。聞かずともわかる。楽しみだが悲しくもあるその行事のことを、真隣にいる友達は何度も何度も考えたのだろう。一度出来たシナリオを何度も初めから読み、時々改良させて。  それは、明日に全てをかけるスポーツ選手が寝る前にあらゆる懸念をなくそうとした現実逃避の十数分と同じような深刻さを兼ねていたのだろう。  「手を振ったあと、貴女はきっとまた泣くんでしょうね。清々しい気分で泣くか、陰鬱とした気分で泣くか、気がかりなのね?卒業式に対して今日中にはもう折り合いをつけなければ、後者になる、と。だけど考えれば考えるほど、どんどん暗くなっていく、と。」  それから黒髪の少女は推理小説で培った思想の読解術を活かしたとでもいうように、謎が解けたような勝利と爽快感を兼ねた表情で、もう一人の少女のこれから言わんとすることを言い当てる。  そしてその次も案の定、黒髪の少女が予想したようにみつあみの少女は尊敬の眼差しを向けたままべた褒めばかりした。  空になって数日経ったコーヒーの空き缶を足で電柱のそばに寄せて、学生鞄から財布を取り出してポケットにしまう間もそれは続いた。  遠かったはずの目的地はもううんと近づき、二人の視界には路地裏に続く小道が多く見える。  黒髪の少女はふと強くもう一人の腕を引っ張ると、路地裏にしては広い道へと少女を連れる。  「え?ねえ、こっちって…」 「クレープ。奢ってあげるから付き合って頂戴」 「…誘われるの、久々かも」 「いつもは貴女からだもの。たまには良いでしょ。ねえ?」  みつあみの少女は何度も頷く。  そこの新しめの看板を掲げたクレープ屋は誰も見つけられないほどにいりくんだ奥にあり、しかし匂いは大通りからでもすることと、お洒落が好きな高校生や毎日が暇な大学生達が総じて関心を寄せる隠れ家的雰囲気のあることから、店の前はよく絶えずお喋りな何人かで出来た列があるのだが、今日に限っては誰もいず、甘い香りと共に老後の夫婦にとって理想的距離感で必要なことをポンポンと短く語らうクレープ屋の二人が見える。  「チョコバナナクレープと、その…その、季節限定のピタンガのクレープひとつで」  そうして誰にも有無を言わせずに黒髪の少女は財布から千円札を広げる。財布を取り出すため鞄に手をつっこんでいた方の少女は慌てて顔をクレープ屋のメニュー表を覗き込む。  「五百円玉あったかな……ねえ、なんで私がそれを頼むってわかったの?」 「どれだけここ来たと思ってるの?その度、新しいもので期間限定のものしか頼まなかったじゃない」 「えへへ…まあね。はい、五百円」 「いらない」 「いや、奢られるのはやだよ」 「そうじゃなくって」  黒髪の少女は少し照れていて、千円札が嗄れた手に回収されたあともずっとカルトンを眺めるだけでもう一人とは全く詳しく話す気もないようだったが、しかし別の話題に何度か切り替えた後にクレープを受け取った際、ようやく口を開いた。  「四月の中旬くらいにはお互い新しい環境にもなれてくる。その頃、また行こう。私が頼むものを覚えておいて。…駄目?」  最後の方は強引な手法を取ったことを少し後悔するように尻すぼみになっていったが、思わずみつあみの少女が抱きついたことで、そんな後悔をしたことを恥じた。  「駄目なわけないよ…!うん、うん、絶対行こう!」 「…食べながら帰ろうか?」 「公園で食べてからにしようよ」 「そう言うと思った」  チョコレートソースが均一な距離を保ちながら美味しそうな匂いを描いたクレープに、赤くて小さくて、カボチャのような形の実とカラフルなジュエリーシュガーが気持ちばかり乗ったクレープは公園に着く頃には一口だけ欠けている。
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