5天才ハッカーVS.天才SE

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 弓月がそんな物思いにふけっていると、希美は鞄を握り直してようやく口を開いた。躊躇いがちに、彼女はこんなことを問う。 「あの、一ノ瀬さん。Juneのハッキングって今どんな状況ですか? お昼に、佐古君からかなり近いところまで来ているはずだと聞いて、つい、気になってしまって……」  彼女の用件は、ごく普通なものだった。弓月はPCを振り返って見てから、その問いに答える。 「ええ、そうですね。あと少しなのではないかなという気はしています。ただ、今ちょっと停滞していまして……最後のパスワードが、どうしても解析できないんです」 「最後のパスワード……」  弓月の言葉に、突然希美がハッと顔色を変えた。そして彼女は、弓月の横を通り抜けて中に入ると、弓月のPCのディスプレイを見る。 「どうしたんですか?」  弓月が問うが、希美はそれには答えずにPCを少し操作する。そして、突然電源に手を伸ばした。 「さ、佐倉さん? ちょっと待ってください!」  弓月は、思わず希美の手を掴んで止める。ここでシャットダウンされては、全てがやり直しだ。彼女の意図が読めずに、混乱が広がる。希美はというと、パッと弓月の手を振りほどくと、「もう大丈夫なんです!」と叫んだ。 「もう大丈夫って、何がですか」  弓月が声のトーンを低めて言うと、希美はなぜか目を伏せて、駄々をこねる子供のように首を激しく横に振る。 「これ以上はやらなくて大丈夫です。もういいので。また直して新しいの持ってきます」 「パスワード解析できてないんです。中のファイルにもたどり着けていません」 「そこまででいいんです。ありがとうございました」  取り付く島もない態度で言って、希美はまたシャットダウンをしようと手を伸ばす。彼女のめちゃくちゃな理論では納得できるはずもなかった弓月は、PCと希美の間に割り込んですんでのところでそれをセーブする。弓月は、真っ直ぐに希美の瞳を見据えると、怒っているとすら聞きとれるような声音でこう言った。 「中途半端で終わるのは性に合いません。最後までやらせてください」  弓月の真剣さに、希美はぐっと唇を噛む。 「……駄目です」 「こっちこそです、佐倉さん」  二人の視線が空中でぶつかり、一瞬にして空気の密度と温度が急上昇する。しかし、しばらくした後、希美はその視線を外して、部屋の奥にある応接用のソファーに腰掛けた。弓月が何かを言おうと口を開いたが、その前に希美が、ひとりごとかと聞き紛うような声音でこう言った。 「だったら……今やって下さい」 「……今?」  思わず聞き返してしまう弓月。すると希美はこくりと頷いた。 「私、ここで待ってるので。もうそこまで行ってるんだったら、多分すぐですよ。……最城の天才ハッカー、一ノ瀬さんなら」  希美の声音は、少なくとも冗談のそれではなかった。彼女の意図は分からなくても、弓月はこれが正式な宣戦布告であることを理解する。 「……では、今回は三十分いただきます」  弓月はそう答えて、PCに向き直る。三十分を指定したその言い回しに、二人は初めて出会ったあの春の日のことを自然に思い出す。  あの時と同じ。  これはきっと二人のプライドをかけた真剣勝負だ。
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